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初の左腕によるピッカリ投法を披露した佐野慈紀氏に起こっていた壮絶な舞台裏

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
6年ぶりにグラウンドに戻ってきた佐野慈紀氏(中央右/筆者撮影)

【佐野慈紀氏が久々にピッカリ投法を披露】

 すでに各所で報じられているように、糖尿病による感染症により右腕を切断した元プロ野球選手の佐野慈紀氏が12月21日、神宮球場で開催された学童軟式野球全国大会の開会式に参加。式の最後に行われた始球式で投手を務め、同氏のトレードマークともいえる「ピッカリ投法」を左腕で披露した。

 約5年間にわたり糖尿病と闘い続け、佐野氏がグラウンドに立つのは6年ぶりだったこともあり、無事始球式を勤め上げた同氏に対し、会場に集まったファン、関係者から賛辞の拍手が送られた。

 だが感動的なセレモニーの舞台裏では、壮絶な出来事が起こっていたのをご存じだろうか。

【今年8月末に退院してから目標にしていた始球式】

 始球式後に囲み会見に応じた佐野氏は、以下のように感想を述べている。

 「マイナス10点ですね。(中略)しっかりトレーニングもしていたし、結構(投球フォームで)ステップもできるようになっていた。練習は硬球でやっていたんですけど、マウンドから届くようになっていたんです。

 当初の目標は(マウンドから)ストライクを投げることだったので、それを考えると全然出来ていなかったですね」

 実は佐野氏にとって今回の始球式は、長期入院生活を終え8月末に退院して以降、目標にしていたイベントの1つだった。その辺りについては、本欄で公開している退院間もない佐野氏に心境を語ってもらったインタビュー記事をご覧頂きたい。

 そして佐野氏が説明しているように、今も定期的に人工透析を受けながらも体力を回復するトレーニングを続け、11月14日にはキャッチボールを開始するなど、着実に準備を進めていた。

【突然襲われた腰の激痛と余儀なくされた再入院】

 ところが、突如としてアクシデントが佐野氏を襲った。11月某日夜、くしゃみをした直後に腰に激痛が走ると、そのまま患部にジワジワ痺れが広がり始めた。

 それ以降は痛みが治まらず、寝返りをするのも困難な状態になっていた。それでも人工透析は定期的に受けなければならず、担当医と相談して自宅近くの病院まで救急車で搬送してもらい、そこで人工透析を受けることになった。同時に腰も検査してもらい、ぎっくり腰と診断された。

 処方してもらった鎮痛剤で症状は一旦緩和され、1泊しただけで退院したのだが、その後かかりつけの病院で人工透析に受けた際に鎮痛剤の予備がなくなり再び激痛に襲われ、そのまま別の病院に搬送される事態になっていた。

 改めて検査を受けると、ぎっくり腰ではなく感染症により患部に膿が溜まっていることが発覚。そのまま始球式当日まで入院生活を続け、始球式の準備どころか寝たきり生活を余儀なくされていた。

【病院を出発する際に横転して大騒ぎに】

 寝たきり生活を続けていれば、誰であろうと体力、筋力が奪われてしまうものだ。せっかくコツコツとトレーニングで積み上げてきた準備が、すべて無に帰してしまった。

 それでも患部の膿を摘出する処置を受け痛みが緩和し、病院から外出許可をもらうことができた。念のため前日に歩行練習も行い、「立つことができれば、帽子を飛ばすことが出来れば何とかなる」という思いで始球式に臨もうとしていた。

 だがいざ神宮球場に向かおうとしたところ、立ち上がった瞬間から足が震える感覚に襲われ、玄関を出る前に横転してしまうことに。駆けつけた医師や看護師から一度病室に戻るように促されたのだが、{行かないといけない}と彼らを説得してタクシーに乗り込んだ。

 当初の予定では8時に球場入りすることになっていたのだが、大幅に遅れてしまったのはこうした事情があったためだ。

【佐野氏「いちいち落ち込んでいられない」】

 いざ球場に到着し、他の人に支えてもらいながら球場に歩いて入ろうとしたのだが、何度か倒れた後立ち上がることが難しくなり、車いすを用意してもらい球場入りするしかなかった。

 その姿は取材に訪れたTVクルーによって撮影されており、佐野氏は「始球式をやりに来ているのに無様な姿を見せるのはどうしたものかと考えもしたが、現状を見せるのがベストだなと思い直していた」という心境になっていたという。

 始球式前に行われた集合写真でマウンドに立ってみると傾斜に不安を抱いたため、自らの意思でマウンドの前で投げることを決め、ノーバンド投球はできたなかったものの、しっかり帽子を飛ばしピッカリ投法を披露することができた。

 これが舞台裏で起こっていた一部始終だ。

 希望したメディア全員の個別取材を受けた後、佐野氏は再び病院に戻っていった。残念ながら今年の年明けも病床で過ごすことが確定的な状況だ。

 「こういうことが今後何度もあると思うので、いちいち落ち込んでいられない。これ(始球式)をきっかけにして、しっかり投げられるようになり、キャッチボールができるようになったら、目標はもう一度野球教室をやりたいと思っています。その思いで頑張ろうかなと思います」

 自分の境遇を踏まえた上で囲み会見で語った佐野氏の言葉に、改めて胸が熱くなる思いだ。これからも同氏が再びグランドに戻ってくる日を待ち続けるだけだ。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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