新指揮官リージョとイニエスタはヴィッセル神戸で「化学反応」を起こせるか。
ヴィッセル神戸が、フアン・マヌエル・リージョ監督の就任を発表した。アンドレス・イニエスタとの間にどのような化学反応が起こるのか、期待が高まるところだ。
リージョ監督がイニエスタを指導する。その一報は、スペインでも話題を呼んだ。それには、理由がある。あのジョゼップ・グアルディオラ監督が、一目を置く存在だからだ。
■邂逅
話はグアルディオラの現役時代に遡る。バルセロナで黄金時代を謳歌したグアルディオラだが、2001年に故郷を離れる決断を下した。
バルセロナの確固たるフィロソフィーに揺るぎはない。4-3-3、3-4-3を駆使したシステム。ポゼッションに価値を置くフットボール。ただ一方で、バルセロナで純粋培養された選手は、レアル・マドリーで育成された選手と違い、外に出て行くと意外なほどに脆い。グアルディオラはそれを理解していたのかもしれない。ゆえに、国外挑戦を決めたのだ。
2人の「邂逅」は1996年9月1日だった。オビエド対バルセロナ(2-4)の一戦。試合後、グアルディオラがオビエドのロッカールームを訪ねた。リージョ監督と話す機会を設けるためだった。
「我々は2-4で敗れた。だがペップは試合後にロッカールームに来て、『オビエドは良いプレーをしていた』と言ってくれた。ずっと私に注目していたと言うんだ。そして、連絡先を交換したい、とね。固まってしまったよ。どうやら彼は、私のチームと試合をするまで引退しないと言っていたらしい。それを聞いた時も驚いたね」とは、リージョ監督の弁だ。
そして、グアルディオラは2006年にメキシコへと渡り、念願の環境を手に入れた。リージョ監督の率いるドラードス・シナオラへの移籍が決まったのだ。しかし、実はその3年前に両者は一緒に仕事をする寸前まで迫っていた。2003年に行われたバルセロナ会長選で、候補者のルイス・バサットがリージョ監督とグアルディオラ技術部長というコンビの入閣を検討していた。結局、この年の会長選でジョアン・ラポルタが勝利を収め、計画は幻に終わった。
■イニエスタ>メッシ
だがリージョ監督の招聘に関しては、ある種のリスクが伴う。戦術に走り過ぎて、現実から遠ざかるところが彼にはある。理想を追うあまりに、リアリズムを失ってしまうのだ。サラマンカ、オビエド、テネリフェ、サラゴサ...。リーガエスパニョーラ1部において、1996年から2000年にかけて5シーズンで4度解任の憂き目に遭った。当時の一定期間における解任記録を更新し、面目は丸潰れとなった。
17歳で監督業を志して、29歳でサラマンカを率いて1部の監督にまで登り詰めた。長らく監督業に携わるリージョ自身は、かつて「監督が雇われる理由については、誰も知らない。直近の試合の結果が良かったからなのか、会長や首脳陣に従順だからなのか...。監督の知識、教えるという価値観、そういったものに基づいて契約がなされているわけではない。真実を追求した上で契約をするなら、理解できる。その場合、解任など起こりはしないがね」と語っていたことがある。
それでも、グアルディオラは言う。「私はリージョとクライフから強い影響を受けた」と。グアルディオラだけではない。先のロシア・ワールドカップで、アルゼンチン代表を率いたホルヘ・サンパオリ監督もまた、リージョを高く評価していた。チリ代表とセビージャではサンパオリ監督の下でアシスタントコーチを務め、チームの快進撃に貢献した。
そのリージョが、新天地に選んだのは日本だった。ヴィッセルの指揮官に就任する背景には、イニエスタの進言があったのではないかと言われている。奇しくも、彼は2010-11シーズンにアルメリアを指揮していた頃に「メッシとクリスティアーノはプレーするために、プレーする。だがイニエスタはフットボールをしているんだ。イニエスタのプレーを見るのは、強烈な喜びだよ。幸福感に包まれるようなね」と、リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドを引き合いに出して希代のMFを称賛していた。
12歳でバルセロナのカンテラに入団したイニエスタには、「バルサのDNA」が脈々と流れている。対して、リージョはイデオロギーの類似性を模索する。現実と虚構の狭間を行き来しながら、神戸で新しい挑戦が始まろうとしている。