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豊島将之新名人(29)が豊島三段(16)だった頃

松本博文将棋ライター
(2006年前期・三段リーグにて:撮影筆者)

 2019年5月16日・17日。福岡県飯塚市でおこなわれた名人戦七番勝負第4局は、豊島将之二冠(29)が佐藤天彦名人(31)に133手で勝利を収めた。その結果、挑戦者の豊島が4連勝のストレートで、初の名人位に就くことになった。

 挑戦者が4連勝で名人位に駆け上がったのは、長い実力制名人戦の歴史の中でも、過去に4度しかない。2016年に羽生善治から名人位を奪取し、ここまで名人戦3連覇中だった佐藤が弱かろうはずはない。しかし今回の七番勝負では充実著しい豊島が、佐藤を圧倒する形となった。

 幼少の頃からきらめくような才能を発揮した少年が、その後も成長を続け、年若くして頂点に立つ。それが将棋界の基本的な物語である。豊島はまさにその王道を歩んできた、正統な系譜に連なる王者の一人である。

 豊島が名人位にまで昇りつめたこと。そして王位・棋聖を併せ持ち、三冠として名実ともに棋界の第一人者となったこと。どちらも偉業である。しかし近年の豊島の勝ち方を見れば、それほど意外なことではないのかもしれない。

 才能あふれる若者たちの中にあって、「名人候補」の称号は限られた者にしか与えられない。そして豊島は幼い頃から今日に至るまで、一貫して名人候補であり続けてきた。

 豊島将之は1990年4月30日生まれ。出身は愛知県一宮市で、5歳の時に大阪府豊中市に転居。関西将棋会館で、指導棋士の土井春左右さん(現在83歳)に才能を見出され、あっという間にアマ高段者となった。小学3年、9歳の時、桐山清澄九段門下で奨励会入会。後に藤井聡太(現七段)に更新されるまで、史上最速のペースで昇級、昇段を重ねていった。

 中学2年、14歳で三段リーグに参加した天才豊島も、そこではやや、足踏みを強いられた。

 2006年度前期。三段リーグ4期目の豊島は昇段のチャンスをつかんでいた。そして最終日、競争相手の佐藤天彦と対戦した。豊島は16歳。佐藤は18歳。佐藤もまた「名人候補」の呼び声が高かった。

 終局時の写真をご覧いただきたい(撮影はすべて筆者)。どちらが勝ったか、おわかりいただけるだろうか。

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 写真を観ただけでは、結果を推測するのは難しいのではないか。大一番にもかかわらず、両者は平静そのものだった。未来の名人戦につながるかもしれない対局を制したのは、佐藤天彦だった。

 佐藤はこの期、2位で奨励会を卒業。晴れて四段に昇段し、プロ棋士となった。一方の豊島は3位で次点に終わったものの、翌2006年度後期の三段リーグでは、1位通過を果たしている。

 両者が四段昇段を争った2006年9月から12年半後。両者は名人戦七番勝負で頂点を争った。おそらくはこの先もまた、長い戦いが続いていくのだろう。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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