ラサと巡礼だけではない。チベットの文化、人々の営みと心の在り様を世界に伝えたい
チベット映画人の重要人物で、日本初のチベット人監督の劇場公開作『草原の河』でも知られるソンタルジャ監督と、中国全土はもとより世界でもその名が知られるチベットの芸術家、ヨンジョンジャ。
映画『巡礼の約束』は、このチベットの文化を世界へと発信する二人の偉大なアーティストが出会い、生まれた作品だ。
ソンタルジャが監督を務め、ヨンジョンジャがプロデュースと主演を務めた作品は、チベット仏教の聖地ラサへの巡礼の旅を通し、チベットの文化と風土と人の心の在り様を映し出す。
故郷ギャロンの文化や伝統を後世に伝えられないか
まず、企画の成り立ちをこう明かす。
ヨンジョンジャ「もともとはわたしの企画したものになります。今回の映画の舞台となるギャロンはわたしの故郷。小学校のとき、ある先生の実体験を聞きました。それはロバで巡礼に行く話で。このエピソードをもとにギャロンの文化や伝統、美しい風景を後世に伝えられないかと考えました。
食生活や宗教は、ラサの地区もチベット一帯も、ギャロンもほぼ変わらない。ただ、大きく違うところもあって、たとえば言葉。このギャロン地区にはギャロン語という言葉がある。それはチベットの四大方言のひとつです。
それからギャロンには古くから伝承される素敵な服飾、民族服がある。石造りの家屋もギャロン地区とラサを中心とした地区の特色です。そういう細かいところも、きちんと表現したいと思いました。
マスコミはチベットといいますとラサを中心とする地域にしか触れない。ギャロン地区などほとんど取り上げられないので、あまり理解されていないし、ギャロンの言葉などほとんど知られていません。それを知ってほしいという気持ちをすごく強く抱きました。
ただ、自身の創作分野である音楽や歌劇ではなかなか表現しきれない。そう思ったとき、物語を語るのはやはり映画が1番いいのではないかと思ったんです。
それで、じゃあどの監督が、となったとき、いろいろな知り合いからソンタルジャ監督を推薦されました。
チベットを題材にした映画というのはいくつもあります。ただ、漢民族の監督たちが撮った作品は、自分たちチベット族の目から見ると、服飾にしても衣装にしても、セリフにしても、風俗・習慣なども含めて、ほんとうに画一的といいますか。記号化してひとつのパターンにしてしまって描いているように映るんです。とてもわたしたちチベット人が見て納得できる作品は少ない。
でも、ソンタルジャ監督の作品はほんとうにチベットの文化・伝統に根付いて、真のチベットを描いている。そこでソンタルジャ監督にお会いすることになりました」
出会う前の互いの印象を二人はこう振り返る。
ソンタルジャ「ヨンジョンジャさんは有名な歌手ですから、もちろん存じ上げていました。そして歌い手だけではなく、チベット文化の普及と継承にも尽力されている。その活動は常に気にしていました」
ヨンジョンジャ「わたしも監督の存在は知っていました。作品もみていて、すばらしい作品だと思っていました。ですから、わたしも監督のことは気になる存在であったことは確かです。実際に会っての印象は、意気投合したといいますか(笑)」
ソンタルジャ「会って、お酒飲んで、その時点でもう『いっしょにやりましょう』と決まった気がします。お互い通じるものがあったので。
あと、出資者というと、いろいろと要望を出してくることがほとんどだとおもうのですが、ヨンジョンジャさんは『あなたの作りたいように作ってください』といってくださいました。その言葉を信頼して、『じゃあ一緒に』という感じでしたね」
ヨンジョンジャ「そうですね。あと、私にとって映画は初めてで未知の世界。もうすべて監督に任せたほうがいいのではないかと思いました。自分は映画に関しては完全に素人ですから、監督にお任せしようと。ソンタルジャ監督はそう思える存在だったということですね」
ラサへの巡礼だけではないチベットを描く
この全幅の信頼のもと、物語は大幅に変わることになる。
ヨンジョンジャ「もともとあった話の中で残ったのは、老人とロバの存在と、ギャロンからラサへ行くということのみ。あとは監督が想像で膨らませてくれて、それを脚本を書いた作家のタシダワさんとともにひとつの物語にしてくれました」
ソンタルジャ「単にラサへの巡礼を描く意味はないなと。そういう巡礼をテーマにした作品はほかにもある。別の要素を盛り込むことでもっと豊かな物語にしようと思ったんです。それで、ひとつの家族の軌跡を、巡礼に重ね合わせるように描いてみてはどうかと。
人が生まれる原点は家族で、チベット仏教の源もラサにあります。そこに核心を置いた物語を作ってみようと思ったのです」
ヨンジョンジャ「自分の企画した内容とは違う形になりましたけど、その脚本は納得のいくものでした。巡礼は物語を進めていくためのきっかけにすぎない。本当に描かないといけないのは人間で、その家族の物語が大切なのだと思いました。ですから、脚本に目を通したときは、すごく興奮しました。『これは素晴らしい作品になるんじゃないか』と思いました。
これぞチベットの市井を主人公にした物語だと思いました」
まさかの主演オファー
ただ、ヨンジョンジャ自身は自分が主演を務めることはまったく予想していなかった。
ソンタルジャ「脚本を書いている段階から、ヨンジョンジャさんのことが頭にありました。ロルジュという人物は、ほぼあてがきで書きました。脚本が出来上がった段階ですぐにメールを送って、ヨンジョンジャさんに成都に行って直接会っていいました。『ぜひ主役はあなたがやってください』と」
ヨンジョンジャ「初めはとんでもないと、断りました。わたしは演劇経験がゼロですから、演じる自信なんてまったくない。また、脚本がすばらしかったので、わたしが演じるなんて恐れ多いというか。自分が出演することで失敗作にならないかと監督に伝えました。でも、監督が『演出はわたしがやるから大丈夫、安心して任せてください』といわれ、さらに『前の作品でもわたしが演出したのはみんな素人です。ですので、大丈夫ですよ』と続けられた。それで、悩みましたけど引き受けることにしました」
ソンタルジャ「わたしは、映画を作るときのルーティーンで、この人物はこの人と決めるんですね。それから物語を膨らませていくので、もうヨンジョンジャさんにやってもらうしかなかったのです。ヨンジョンジャさんをモデルに書いていますから。
でも、脚本を執筆中は絶対に言わないんです。これは『あなたですよ』と。書き終わってから初めて明かすのがわたしの流儀なんです」
作品は、ウォマとその夫ロルジェが暮らす村、ギャロンから始まる。
ソンタルジャ「ギャロンには脚本を書きあげる前までは、いったことはありませんでした。新聞記事やテレビの番組ですこし触れたぐらいだったと思います。
そこで脚本を書くにあたって、ヨンジョンジャさんに車でギャロンを案内していただきました。それからラサへ向かうルートも見て回りました。だいたい1週間ぐらいのシナハンだったと思います。
ギャロンを実際にみての印象はすばらしいのひとことといいますか。独自の文化がいまも残っている。すぐにこの場で撮影しようと思いました。ですから、現地で撮るときには、ここの場所ではこういうふうに人物を動かしてといったイメージができていました」
ヨンジョンジャ「ギャロンは独自の文化や伝統が保たれている地域なのですが、それをいかしてくれたと思います。また、ギャロンの方言をつかった初めての映画だと思います。これでギャロンの場所と文化が世界の人々に認識してもらえたのはとてもうれしいことですね」
人の心のきれいなところも汚いところも、ポジティブなところからネガティブなところも描きたい
そのギャロンから妻のウォマが理由を一切に明かさず、ラサへの巡礼の旅へ出ると言い出す。夫のロルジェは妻のこの突然の申し出をどう受け止めていいかわからない。しかも、こちらの心配をよそに妻は同行も拒否する。
やがてある事実を知ったロルジェは、妻のあとを追う。一方、ウォマの前夫の息子ノルウも、母に会いたい、と、ウォマの弟に連れられウォマのもとへ向かう。
こうしてくしくも巡礼のルートをたどることになった3人は、できれば避けてとおりたいような厳しい現実に直面していく。そのひとつの運命の物語は、親と子の愛、血のつながり、人間にとっての生と死といった普遍的なテーマが浮かび上がる。こうしたテーマはソンタルジャ監督の過去の作品にも共通しているといっていい。
ソンタルジャ「なぜ、自分が厳しい状況に置かれた人間を描くのかは、正直よくわからないんです。
おそらくこどものころから体験してきたことの積み重ねが反映されているのでしょう。ひとつ言えるのは、やはり厳しい状況におかれたとき、その人間の人間力が試されるといいますか。その人物の本心や度量が出る。その人の心のきれいなところも汚いところも、ポジティブなところからネガティブなところまできちんと描きたい。そして、その一歩先に必ずあるであろう一筋の光を示したい。それを物語を作る上で意識しているところがあります」
とりわけ主人公のロルジェは、許しがたい妻の秘密や厳しい事実を目の当たりに。厳しい試練に相対することになる。
ソンタルジャ「妻の秘密を知ったロルジェには、嫉妬や怒り、無念さ、悲しさなど、当然ですけどさまざまな感情が渦巻く。ただ、そういったあらゆる感情を捨て去り、乗り越えたとき、なにか人として大きく成長できるのではないか。
ロルジェはそれを体現している人物といっていいでしょう。たしかに妻の行為にはさまざまな意見があると思います。でも、それはある意味、関係ない。いかにロルジェが自分という人間を見つめなおした結果、他人のために尽くそうという気持ちになっていったのか。そこにこそ重要なメッセージが含まれているとわたしは思っています」
ヨンジョンジャ「演じた自分としても、ロルジェが妻の秘密を知ってしまったシーンは複雑な心境でした。ふつうはなかなか冷静になれないですよね。それは人間らしい感情だと思います。
ただ、彼はそれを知った上で、怒りを面に出しながらも、最後は妻を赦す。人間なかなかそうはなれないかもしれない。でも、どこかで人として忘れたくない赦しの心がロルジェには存在している。その心を感じてもらえたらと思います」
このように作品は、現代を生きる人々の心の在り様を丁寧に映し出す。
ソンタルジャ「今の時代というのは、日本も中国もなにか心がついていっていないような状況にあるのではでしょうか。すべてが経済優先で、その前では人の心がないがしろにされてしまう。
お金を前に、人の心が砕け散ってしまうことを物語るような事件や事故が日々起きている。誰もが他人に気をかけないような、思いやりの欠いた社会になりつつあるような気がしてなりません。
そうしたいまの社会に対してわたしが危惧していることが作品に入っていることは確かです。人として失ってはいけない心を描いたところはあります」
ヨンジョンジャ「ロルジェは最終的に自分の前に立ちはだかる問題を、他人に投げるのではなく、自分の力で解決していきます。
そして困難をのりこえたとき、彼の中に寛容な心が生まれる。その寛容さこそいまの時代に必要なことではないでしょうか?
人としてもっておきたい誠意とやさしさをこの物語から感じてもらえればと思っています」
岩波ホールにて公開中
場面写真はすべて(C)GARUDA FILM