名将・広岡監督ラストタクト! 昨夏兵庫準Vの関西学院敗れる
9日は新たに23大会が開幕。球音は一気に全国へと広がった。近畿では一足早く始まった兵庫大会が盛り上がっている。名門・関西学院が、初戦で昨秋8強の加古川西と対戦。終盤まで食い下がったが、2-5で敗れた。ベテラン・広岡正信監督(68)は、この試合を最後に、通算36年に及んだ監督生活に別れを告げた。
終始、加古川西ペースで逃げ切られる
相手の加古川西は昨秋、準々決勝でセンバツ出場の東洋大姫路に0-2で惜敗した。進学校としても知られるが、左腕・太田恭介(3年)を中心に攻守ともよくまとまっている。展望記事でも「関学にとっては難敵」と書いたが、終始、加古川西ペースの試合だった。
昨夏から主戦格だったエース・森津雄大(3年)が序盤から攻められ、3回に5番・山本幹二(3年)の適時打などで3点を失う。その後は徐々に挽回して1点差とするが、8回にまたも山本の2点適時三塁打で突き放され、5-2で逃げ切られた。神戸国際大付に敗れたものの、昨夏、激戦・兵庫で準優勝した関学は、無念の初戦敗退となった。それでも広岡監督は、「客観的にも強い相手だったし、一方的になるかと思ったが、よく粘った」と、選手たちをねぎらっていた。
報徳の監督で帝京を破る
そして、今大会での勇退を表明していた広岡監督にとって、この試合が最後の采配となった。OBでもある広岡監督は関学大を卒業後、銀行勤務を経て、同じ西宮市内にある報徳学園に奉職。報徳中学の監督を7年間務め、高校の監督に就任した。教え子には、大阪桐蔭の西谷浩一監督(52)がいる。西谷監督3年時には不祥事で夏の大会に出られず、「さよなら紅白戦をしたのが思い出深い」と懐かしんだ。それでも平成元(1989)年のセンバツ出場に導き、吉岡雄二(近鉄ほか)のいた帝京(東京)を初戦で破った。帝京はこの年の夏、甲子園で優勝する。
関学を春夏とも戦後初の甲子園へ導く
翌年、母校・関学の監督に就任すると、平成10(98)年のセンバツ出場に導き、63年ぶりの復活を果たす。
高鍋(宮崎)に初戦で惜敗(2-4)するが、平成21(2009)年には、夏の兵庫大会を制し、70年ぶりの出場。つまり、関学を春夏とも戦後初の甲子園へ導いたのが、広岡監督その人である。この大会の初戦では、酒田南(山形)に快勝し、満員のスタンドのボルテージは最高潮に達していた。優勝した中京大中京(愛知)に2回戦で惜敗(4-5)したが、名門復活を強烈に印象付けた。学費免除などの特待生はおらず、いわゆる「強豪私学」とは一線を画する。毎年、100人前後の部員がいて、大所帯を預かる苦労は並大抵のことではないだろう。
新井貴浩氏の長男も奮闘
関学には、毎年のように有名選手を父に持つ生徒がいる。今チームでは、広島、阪神で4番打者として活躍し、通算2203安打を放った新井貴浩氏(45)の長男・亮規浩(あきひろ=3年)に注目が集まった。
背番号13の新井は、失点した直後の3回に早くも代打で登場。結局、4打席いずれもゴロアウトに倒れ、最後の打者になった(タイトル写真)。それでも広岡監督は、「最初は(試合出場が)厳しかったが、よく努力した。練習への取り組みが違う。大器晩成型だと思う」と、新井の将来へ太鼓判を押した。
広岡監督へ「尊敬しかない」と貴浩氏
新井は「(広岡監督から)アウトになっても、一塁への全力疾走だったり、当たり前のことを徹底しなさいと指導を受けた。最後もその気持ちでヘッドスライディングした」と、悔しがった。大学でも野球を続け、いずれは「プロをめざしたい」と言う。スタンドで息子の奮闘を見守った貴浩氏は、「中学からしか野球をやってないんで、広岡監督じゃなかったら、ここまで上達しなかった。(広岡監督との)出会いが成長させてくれたと思う」と話し、「家族との時間だったり、全てを犠牲にして、子どもたちのためにやってこられた。尊敬しかない」と感謝の言葉を並べた。
「幸せだった」と広岡監督
広岡監督は、春夏甲子園の放送のゲスト解説として接してこられたファンも多いと察する。プレーだけでなく、選手や指導者の気持ちに寄り添う語り口は、人柄がにじみ出ている。「苦しいこともあったが幸せだった。多くの人に応援してもらった」と、この日もスタンドのファンに何度も頭を下げていた。関学は三代、四代と通わせる一家も少なくない「ファミリー意識」の強い学校だ。
そして監督の座は、この日も試合前のノッカーを務め、ベンチで責任教師として父をサポートした息子の直太氏(44)に託す。もちろん直太氏も、OBであり教え子である。
今後は総監督で支える
「無事にバトンを渡せたかな。(負けは)悔しいけどホッとした」と、初戦敗退にも前向きな広岡監督は、「しばらくはグラウンドにも行こうかな」と肩の荷が下りた様子だった。今後は総監督として直太・新監督ら教え子たち指導陣を陰で支える。試合後は、新井貴浩氏らが待つ保護者の輪の中に入って記念撮影するなど和やかな雰囲気で、最後まで笑顔が絶えなかった。誰からも愛される広岡監督の人徳を見た思いがする。