【河内長野市】異世界の入口?旧鬼住村の崖の下に見つけた地図にも出てこない森の前にある謎の鳥居と玉垣
今日はみどりの日ですが、河内長野は緑が多いですね。さて河内長野市神が丘は旧鬼住(おにずみ)村と呼ばれるところで、映画「鬼ガール!!」の舞台として少し前に話題になりましたね。現在も鬼住橋や鬼の盥(たらい)などがありますが、そことは離れた場所、旧鬼住村のあるエリア内に謎の鳥居と玉垣を見つけました。
旧鬼住村(現:神ガ丘)を調べると次のような説明がありましたので引用します。
場所は鬼住村の中でも伏谷(ふせたに)と呼ばれる集落の近くで延命寺からそんなに離れていません。大阪府道を歩いている時に偶然見つけました、画像で森が見え、その中に石見川の支流が流れていますが、その中央付近をよく見ると謎の鳥居があったのです。
拡大しました。鳥居と玉垣が見えます。相当古いもののようですね。地図などでは全く情報が出てきません。それ以上に府道の先は崖のようになっていて、さらに手前に個人所有と思われる畑などが広がっています。降りていく道などもなく、余計に謎だらけです。
鳥居の奥は左側に台のようなものが見えますが、他は何も見えません。鳥居の先が暗いのでその先は異世界につながっていて、その先に鬼が住んでいるかのような、オカルトやファンタジーっぽくなっています。
そういえば、このスポットの前に、府道のすぐ横で画像のような石灯篭が無造作に置いてあるのを見つけたのです。ということはもともと神社があって石燈籠のあたりから下る道があったのかもしれません。
ここであることが考えられました。それは隣の鳩原にある川上神社です。川上神社はもともと鳩原神社と呼ばれていたそうですが、明治時代に周辺の村の神社の神々と合祀したとのこと。実際に旧鬼住村にあった神社も川上神社に合祀されています。
1889(明治22)年に鬼住村は寺元村、河合寺村、鳩原村、太井村、小深村、石見川村と合併して新たに誕生した川上村の大字(おおあざ)鬼住となります。その後字(あざ)ヒガヒ谷之上に村社天神社(御祭神:事代主命・菅原道真)があったものが、1907(明治40)年10月18日に川上村大字鳩原字ハナミゾの村社川上神社(旧鳩原神社)に合祀したとあります。
「字ヒガヒ谷之上」がどこなのか調べているうちに、ある情報が見つかりました。1683(天和3)年の河州錦部郡鬼住村絵図というのが河内長野市図書館アーカイブ(外部リンク)で公開されていて、絵図をよく見ると天満天神というものがあります。
ところがその天満天神の場所は延命寺のすぐ北側の山の中にあるようなので、見つけた鳥居と玉垣の位置とは違います。とはいえ、これは1683年の時点の絵図面で、それから合祀まで200年以上の間があるので、途中で場所が川沿い側に移った可能性もありますね。
結局、鳥居と玉垣があった所が「字ヒガヒ谷之上」かどうかについては残念ながら明確な情報を見つけられませんでした。
ちなみにこちらが、現在の鬼住神社です。川上神社の本殿のすぐ左側に鎮座しています。情報が無いので推測の域を離れませんが、もしかしたら見つけた鳥居の中には天神社があって、その御霊が現在川上神社の境内に祀られて鬼住神社となり、もともとの場所には鳥居と玉垣だけが残されたままとも考えられます。
似たような事例があります。これは、神戸市長田区の高取山にある神社ですが、こちらの神社も今は御霊が無く、鳥居と玉垣と、中の建物だけ残っている状態です。
実際にこのような説明がありました。豊春神社という名前だったようですが、建物が修復できず危険な状態だったので、御霊を山上の高取神社境内に遷したと書いてあります。
改めて鳥居の前にロープのようなものが見えるので立ち入りを禁止しているようにも見えます。遠くから偶然に見つけた謎の鳥居と玉垣、旧天神社の跡かどうかは明確にはわかりませんが、さらに調べるといろいろ見つかるかもしれません。
神ガ丘で見つけた謎の鳥居と玉垣
住所:大阪府河内長野市神ガ丘
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス川上神社前バス停から徒歩30分程度
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