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サクソンが2024年11月来日。ヘヴィ・メタル・サンダーで脳を満たせ!【後編】

山崎智之音楽ライター
Saxon / photo by Ned Wakeman

2024年11月、最新アルバム『ヘル、ファイアー・アンド・ダムネイション〜天誅のヘル・ファイア〜』に伴う日本公演を行うサクソンのシンガー、ビフ・バイフォードへのインタビュー後編。

前編記事に続いてアルバムをさらに掘り下げながら、今回のツアーに同行するブライアン・タトラー(ダイアモンド・ヘッド)との長い交流、1980年代のアメリカ市場への侵攻秘話などについて訊いてみたい。

Saxon『Hell, Fire And Damnation』(ルビコン・ミュージック/現在発売中)
Saxon『Hell, Fire And Damnation』(ルビコン・ミュージック/現在発売中)

<ブライアン・タトラーが日本に行くのを誰も止めることは出来ない>

●ブライアン・タトラーは今回の日本公演に参加するのですね?

ブライアンが日本に行くのを誰も止めることは出来ないよ!彼がダイアモンド・ヘッドで日本をツアーしてからずいぶん経っているし(2008年)、すごく楽しみにしていると言っていた。彼は「1066」や「マダム・ギロチン」の曲作りにも関わっていて、まるで何十年もずっとサクソンにいたように、バンドにフィットしているんだ。

●ブライアンと知り合ったのはいつのことですか?

ブライアンとは1980年代初めからの付き合いだよ。ダイアモンド・ヘッドは誰もが“次に来る”と信じていたバンドだった。決定的な必殺の1曲があれば、世界中のロック・ファンが飛びつく存在になっていただろう。残念だったよ。ただ彼は今でもダイアモンド・ヘッドを続けているし、サクソンでプレイすることも楽しんでいる。このラインアップを可能な限り続けることが出来たら嬉しいね。

●いわゆるニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・メタル(NWOBHM)期のバンドで、もっと大きな成功を収めるべきだったバンドはいますか?

ダイアモンド・ヘッドは間違いなくそのひとつだけど、タイガース・オブ・パンタンももっとビッグな存在になるべきバンドだった。でも彼らは途中で方向を見失ってしまったように思える。音楽性を変えたり、メンバー交替を経て、エッジを失ってしまったんだ。プレイング・マンティスも良い線を行っていたけど、どこかで勢いを失ってしまった。サクソンは、ちょうど良い時にちょうど良い場所にいたんだ。飛ぶ鳥を落とす勢いだったモーターヘッドの1979年イギリス・ツアーにオープニング・バンドとして同行出来たのも大きかったと思う。それで注目されたんだ。

●ローレンス・アーチャーとインタビューしたとき、かつてサクソンにギタリストとして非公式に加入を打診されたと話していましたがいつ、どのような時期だったのでしょうか?

こちらのインタビューをどうぞ)

ポール・クインが2度目の結婚でいろいろ問題があって、ツアーに出られなさそうな時期があったんだ。それでマネージメントが何人かのギタリストに声をかけて、その1人がローレンスだった。彼がいたスタンピードとは一緒にツアーしたことがあって、彼が素晴らしいギタリストで、付き合いやすい人間だということは判っていたからね。その他にも数人に当たったけど、若い頃のアンディ・スニープとも話をしたんだ。実際の交渉はマネージメントがしたんで、私には詳しいところは判らないけどね。結局ポールがバンドに戻ることになって、その話はなくなったんだ。

●ところであなたはNWOBHMをどのように発音しますか?“エヌ・ダブリュー・オー・ビー・エイチ・エム”?ブルース・ディッキンソンが“ヌウォーブム”と発音していて驚きました。

私はいつもフルで“ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル”と言っているなあ(笑)。特に省略はしていないよ。

Biff Byford / photograph by Ned Wakeman
Biff Byford / photograph by Ned Wakeman

<日本のファンのために最高のショーをやることはバンドの義務であり喜び>

●1980年の第1回“モンスターズ・オブ・ロック”フェスティバルにはレインボー、ジューダス・プリースト、スコーピオンズらと共にサクソンも出演、イギリスのヘヴィ・メタル・ブームのハイライトのひとつでしたが、どんなことを覚えていますか?

最高の空間だった。自分たちがリスペクトするバンドがいくつも出演して、数万人の大観衆が熱狂した、歴史的な1日だったよ。他はベテランやアメリカ、カナダのバンドで、当時のイギリスの若手バンドはサクソンだけだったんだ。『ホイールズ・オブ・スティール』(1980)を発表した後で、ベストなタイミングだった。

●2024年4月下旬から6月上旬にユーライア・ヒープと北米ツアーを行いましたが、反応はどんなものでしたか?

初期ユーライア・ヒープを知るベテラン・ファンから十代の若者、男性も女性も集まって、「7月の朝 July Morning」や「対自核 Look At Yourself」を歌うのを見るのは、美しい光景だった。プログレッシヴ・ロック寄りのファンからサクソンのハード・ドライヴィンなファンまで、起伏に富んだショーだったね。

●アメリカといえば、1970年代から1980年代頃まで、イギリスのアーティストがアメリカ進出を公に口にするとバッシングを受ける傾向がありました。ロッド・スチュワートの『アトランティック・クロッシング』(1975)やデフ・レパードの「ハロー・アメリカ」(1980)もそうですが、サクソンも『クルセイダー』(1984)の「セイリング・トゥ・アメリカ」でアメリカ市場狙いの誤解を受けました。

イギリスの音楽マスコミは自国のアーティストを囲い込みたいんだよ。いつまでも自分たちのボーイズでいてほしいんだ。アメリカに行ってしまうと帰ってこないんじゃないかと心配なのかも知れない。だから「アメリカに行く」と宣言するとすごくナーヴァスになるんだ。多くのバンドがイギリスでも変わらず長期のツアーを組んでいたのにね!「セイリング・トゥ・アメリカ」は決して「サクソンはイギリスを去ってアメリカ市場に専念する」という内容ではないんだ(苦笑)。ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号に乗ってアメリカ大陸に上陸して(1620年)、ボストンやニューヨークなどの町を作っていくことを描いている。歴史上の出来事を歌っているんだよ。

●同じ『クルセイダー』で批判があったのが、スウィートの「セット・ミー・フリー」をカヴァーしたことでした。1983年にクワイエット・ライオットがスレイドの曲「カモン・フィール・ザ・ノイズ」でアメリカ制覇を成し遂げたことで、それに便乗してグラム・ロックのカヴァーで全米ヒットを狙ったのではないか?...という疑惑でした。

いや、「セット・ミー・フリー」をやったのは、あの曲が好きで、私たちなりの新しい生命を吹き込めると確信したからだった。クワイエット・ライオットのことはまったく意識していなかったよ。『クルセイダー』でアメリカ市場狙いの曲があったとしたら、「ドゥー・イット・オール・フォー・ユー」だろう。あの曲はアメリカ人の外部ソングライター(ケヴィン・ビーミッシュ)と共作したんだ。それでもアメリカのFM局でヒットを飛ばそうとは考えていなかったし、あくまでサクソン流のパワー・バラードだった。

●サクソンは「セット・ゼム・フリー」やクリストファー・クロスの「ライド・ライク・ザ・ウィンド」、そしてカヴァー・アルバム『インスピレーションズ』(2021)『モア・インスピレーションズ』(2023)を発表してきましたが、今後カヴァーしたい曲はありますか?

うーん、『インスピレーションズ』のときにジェスロ・タルの「ロコモーティヴ・ブレス」をやろうかと話したことがあったけど、カヴァー・アルバム第3弾をやるかは判らないな。第1弾はコロナ禍で、今後バンドがツアー出来るか未来が不透明だったときに作ったんだ。そのとき候補に挙がったけどレコーディングしなかった曲がちょうどアルバム1枚ぶんあったんで、第2弾を出すことにした。楽しい試みだったけど、バンドは軌道に戻ることが出来たし、これ以上やるつもりは今のところないよ。

●もしエルトン・ジョンの曲をカヴァーするとしたら?

彼の音楽は素晴らしいけど、私たちが少年時代に大きなインスピレーションを受けたわけでもないし、おそらくカヴァーすることはないと思う。『ロック・ザ・ネイションズ』(1986)にエルトンがゲスト参加したのは、プロデューサーが彼と友人で、オランダの同じ“ヴィセロード”スタジオでレコーディングしていたからだった。「ノーザン・レディ」は1976年頃に書いた曲だった。『クルセイダー』でレコーディングすることも考えたけど、何かひとつ足りないと感じたんだ。そこにエルトンのピアノを加えたら、すべてがピッタリ嵌まった。彼に感謝しているよ。残念ながらそれから彼とは会っていないんだ。たまにメディアで見かけるけど、元気そうで何よりだね。

●今回「ザ・プロフェシー」で俳優のブライアン・ブレシッドがナレーションを担当していますが、彼とはどんな繋がりがあったのですか?

ブライアンは私たちと同郷のヨークシャー出身で、1990年代頃から知り合いなんだ。イングランド北部の炭鉱作業員のためのチャリティで知り合って「サクソン、良いね!好きだよ」と言われて驚いたよ。彼のことはTVシリーズ『ブラックアダー』(1983)でリチャード四世を演じるのを見て好きになったんだ。彼は元々シェイクスピア俳優で、『スター・ウォーズ ファントム・メナス』(1997)や『フラッシュ・ゴードン』(1980)に出たのも見ているし、連絡先を交換して、フェスでバンドのイントロMCをしてもらったこともあったから、いつかアルバムで一緒にやりたかった。今回はようやくそれが実現したんだ。

●2024年11月の日本公演を楽しみにしています。

私たちも日本に戻ることにエキサイトしているよ。『ヘル、ファイアー・アンド・ダムネイション』に伴うツアーだし「マダム・ギロチン」「ゼアーズ・サムシング・イン・ロズウェル」などをプレイするけど、みんなが聴きたいクラシック・サクソンも演る。ジャパン・ツアー用にスペシャルなセットを組んでいくよ。この曲は日本のファンにウケるだろうか、この曲はどうしても落とせない...バンド内で話すところから既に楽しみが始まっているんだ。日本のファンは40年以上のあいだサクソンを応援してくれた。そんな彼らのために最高のショーをやることは、バンドの義務であり喜びだよ。

●日本公演の後の予定は決まっていますか?

2024年内のツアーは日本で一段落して、2025年2月からヨーロッパを回るんだ。『ヘル、ファイアー・アンド・ダムネイション』のセールスは順調だし、新曲を生で聴いてもらう機会をもっと作っていきたい。それが終わったら一息ついて、次のアルバムに着手する。サクソンの音楽を世界中のファンと共有出来ることにスリルを感じるし、出来るだけ長く続けていきたいね。

Saxon Japan Tour 2024フライヤー(ルビコン・ミュージック)
Saxon Japan Tour 2024フライヤー(ルビコン・ミュージック)

【公演日程】
SAXON Hell, Fire And Damnation
~天誅のヘル・ファイア~JAPAN TOUR 2024

◆2024年11月02日(土)
大阪・難波Yogibo META VALLEY
OPEN 18:00 / START 19:00

◆2024年11月03日(日)&04日(月・祝)
東京・代官山UNiT
OPEN 18:00 / START 19:00

http://diskheaven.shop-pro.jp/?pid=181839637

【最新アルバム】
サクソン
『ヘル、ファイアー・アンド・ダムネイション』
ルビコン・ミュージック 現在発売中
http://rubicon-music.com/

【アーティスト公式サイト】
https://www.saxon747.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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