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【世界的な精神科医が指南】「人生を楽しむ人、不幸を嘆く人」のちょっとした違い

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

世界的な精神科医であるジャック・ラカンは、「不幸は隔世遺伝的に引き継がれる」と主張します。無論、性格は生物学ではないので、彼は遺伝という言葉を用いて説明していませんが、わかりやすく言えば隔世遺伝。

つまり、人生を楽しんでそうに見える人というのは、「そう見えるだけ」であって、じつは水面下では、その人独自の(選びようもなく祖父母から引き継いでしまった)不幸と格闘しているのです。

箸の上げ下げが気に食わない

以前、私のもとにカウンセリングに訪れた方は、マンションを10棟ほど所有している大地主さんでした。マンションのローンなどとおに返済し終えているので、ほしい車はいくらでも買えるし、愛人もいるし、自宅は豪邸だし、芸能人のパトロンすらやっていました。

しかし、「なんか寂しい」のだそうです。彼は自分がなぜそんなに寂しいのか分からないので、「オレはいつもなんか不幸だ」と言っていました。

お金がない時に「なんか寂しい/不幸だ」と思えば、「頑張って金持ちになってみようかな」と思えますが、すでに金が山のようにある状態で「なんか寂しい」というのは、人生の課題としてかなりヘヴィーです。お金のない不幸はお金で解決できますが、お金のある不幸はどうにもならないからです。そうですよね? 

貧乏が原因で夫婦喧嘩が頻発するのなら「金稼いでくるわ。ガタガタ言わずに待っとけ」で済みますが、お金のある不幸は「箸の上げ下げが気に食わない」わけで、もうどうにもならない。

いつも「なんか楽しそうな人」が知っていること

さて、ラカンはようするに、誰だって不幸になるパターンを体内に宿していると言っているわけですが、つまり、誰だって不幸になると言っているわけですが、それにもかかわらず、いつも「なんか楽しそうな人」がいますね。

そういう人はどのような精神を持っているのでしょうか。「ほどほどに生きようぜ」といった毒にも薬にもならぬ人生訓を信じているのでしょうか? そんなに脳みそが牧歌的なのでしょうか。

まさか。

いつも「なんか楽しそうな人」はなぜか、自分のルーツを熟知している。だからいつもなんか楽しそうなのだ――ラカンの精神分析を参照するとそう言えるでしょう。

ルーツというのは、自分にはどのような祖父母がいるのかとか、その祖父母の生きざまはどうであったのかとか。あるいは、あなた自身の幼少期において、どのような友だちとどこで何をして遊んだのか、どのような親にどのように育てられたのか、などといった個別具体的なことです。

それらを知ることによって私たちはおのずと、自分の強みと弱みを知ります。その知ったことがじつは、人生の武器となって、「隔世遺伝的な不幸」を未然に予防してくれる。あるいは実際に不幸が起きても被害を小さくすることができるのです。

人生というものは『源氏物語』に流れる通奏低音のとおり「生きているだけで大変」なものですが、「なぜかいつも楽しそうな人」は自分のルーツを知っているから楽しそうに見えるのです。

イチロー選手の精神の奥

ただし、知っているといっても、知識として知っているだけではダメです。全身で知っていることが重要です。頭で知っているだけの知識は真に人生に生きてこないからです。

全身で知ろうと思えば、絶えず自分のルーツをみずからに問い続ける必要があります。

ほら、イチロー選手ってどことなく修行僧のように見えますが、もしかすれば彼はつねに、自分のルーツを自分に問い続けているのかもしれません。

世界的指揮者である故・小澤征爾さんは生前、とあるインタビューにおいて「自分のルーツを知ることの大切さ」を語っていました。自分の持ち味、すなわち自分らしさを出そうと思えば、自分のルーツを知ることが大切だ。そのためにはたくさん勉強しなくちゃいけない――ざっとそういった文脈だったと記憶しています。

世界的な映画監督である北野武さんは一時期、しきりに「オイラのばあちゃんは義太夫だった」と言っていましたが、それだって、彼なりに自分のルーツを問い続けたゆえのことではないでしょうか。

あなただけの経験

私たちはともすれば「時代の価値観」に自分を合わせがちです。今なら、多少お金があって、仕事に大きなストレスがなく、好きな人と恋愛し、子をもうけたら高学歴かつ精神を病んでいない子に育つ――そういった価値観に自分の生きざまを合わせようとします。自分のみならず子もその枠に押し込もうとします。そんなことをするから不幸になるのです。

本当に大切なことは、自分のルーツが自分に語りかけてくる声を聞き、そこから生きる希望を得ることです。

繰り返しますが、「時代の価値観」に自分を合わせようとするから「なんか不幸」なのです。そうではなくて自分を生きるのです。

自分を生きるとは、自己啓発が言うような「ありのままの自分」というよくわからないものを目指すことではありません。科学の心理学が捨象する「あなただけの1度きりの経験」を生きることです。

自分のルーツを知っているか否か――こんなちょっとしたことがじつは、ものすごく大きな差なのですね。誰もそんなこと言いませんけどね。言ってくれればいいのに。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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