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バナナが呼び込んだ我らの町の「小さな奇跡」

二宮寿朗スポーツライター
2014年1月、応援バナナの即売会は大盛況だった(写真は川崎フロンターレ提供)

武蔵小杉駅から川崎フロンターレのホームスタジアム、等々力競技場に向かうその途中にイトーヨーカドー武蔵小杉駅前店はある。

1階にはオープンして間もない常設のオフィシャルグッズショップがあり、試合当日ともなるとユニホームを着たサポーターたちでにぎわう。ここはサポーターたちのちょっとした憩いの場。食料品を買い込んだバッグを手に、テンションを高めながら次々とスタジアムを目指していく。

スーパーと、サポーターと、フロンターレ、その三者が起こした「小さな奇跡」をご存知だろうか――。

始まりは「かわさき応援バナナ」だった。

かわさき応援バナナとは1房につき、3円がフロンターレに寄付され、それが等々力競技場全面改修の費用として川崎市に寄付されるというもの。フロンターレのサポーターたちは地域の商業施設にバナナを置いてもらおうと、誰に頼まれたわけでもなく自分たちで活動していた。その熱意が実り、2013年秋から駅前店が応援バナナを置くようになった。

ここにツワモノの男性コアサポーター、通称パインさんが登場する。パインさんは応援の士気を上げるべく、サポーター仲間にいつも差し入れを用意していた。仕事で台湾に出張したときに「パインケーキ」を大量にお土産で買ってきたことから、ついたニックネームがパインさん。差し入れはニックネームにちなんで?「パインスティック」が定番だったのだが、等々力競技場の改修協力に貢献できることから応援バナナに切り替えた。当初は別の店で「箱買い」していたのだが、競技場が近いという理由で駅前店に足を運ぶようになった。2013年の最終節となった横浜F・マリノス戦では何と3箱を購入。もちろんパインさん以外のサポーターも、ここで応援バナナを買うようになっていく。これに驚いたのが、駅前店の青果マネージャーである。

パインさんはこう述懐する。

「別のお店で買っていたときは特に反応がなかったんですけど、駅前店の佐藤さん(青果マネージャー)から『応援バナナを仕入れた瞬間から、びっくりするほど売れています』と軽く騒ぎになっていることを伝えられたんです。僕も、驚きました。それから当時の店長さん、(提供元の)ドールさん、そしてフロンターレに話が広がっていって、じゃあイベントでバナナの即売会をやりましょうってなっていったんです」

サポーターがつないだ計画は、すぐに実行に移される。

2014年1月、大久保嘉人がバナナを模した耳とまげをつけた「バナナマン」に扮して叩き売りを同店で実施して大成功に終わる。これが例年の恒例行事となり、イトーヨーカドーの多店舗に広がって中村憲剛、大島僚太とバナナマンが増員していった。サポーターたちもこの企画そのものに参加している。パインさんは即売会のイベントとなると一箱買って、子供たちに配ったこともあった。

いつしか青果マネージャーはフロンターレの熱狂的なサポーターとなり、また店舗側も、試合終了後にパイン賞として選手に贈呈するパインのラッピングを無償協力するなど関係がどんどん深まっていった。

しかしこれはあくまで「小さな奇跡」の序章にすぎない。

駅前店は、2014年から大型商業施設「ららテラス」、「グランツリー」が次々とオープンした影響で、苦戦を強いられるようになっていた。そんな折、昨年11月に新しく店長に赴任したのが西川晃石さんである。当時をこう語る。

「店の500m圏内にショッピングモールが次々にできてきて、グランツリーの中にも我が社の新しい店があるという状況でした。駅前店はいつか淘汰されていくんじゃないかと見られても、不思議ではなかったと思います。でも我々は、そう考えていませんでした。何か違うものを打ち出せれば、絶対にお客さまの支持は得られると考えていました。

着任して、まずは地域の状況を把握しなければならないと思って町を歩いているとフロンターレの創設20周年フラッグがあちこちにあることに気づかされました。本当に地域から愛されている、応援されているんだなと実感を持つことができたんです。応援バナナの販売をやらせてもらっているわけだし、もっともっと密接な関係になっていけるんじゃないか、と思いました。試合の日にサポーターの人が店を素通りするんじゃなくて、立ち止まって店に入ってもらえるようにしたい、と」

ほかの店にはない、駅前店だけの強み。

新店長の出した答えがオフィシャルグッズショップの常設であった。行動は迅速で、就任から1カ月も経たずに会社の本部とフロンターレ側に提案している。このとき西川店長はパインさんを含めサポーターに相談し、背中を押してくれたのが大きかったと言う。

とはいえ、常設は高いハードルだった。フロンターレは近くにオフィシャルグッズショップを展開しており、また会社の本部からも投資を伴うとあって色良い返答を得られなかった。結局落ち着いたのが2016年3月から3カ月間の臨時出店という形。「ここで結果が出なかったら、常設はあきらめてください」というのが本部からの通達だった。

西川店長は思い切って店をフロンターレ色に染めていく。

1階のショーウインドウをフロンターレの旗やグッズ、バナーで埋め、まずは足を止めてもらうことを心掛けた。試合当日は従業員にチームのタオルマフラーを身につけてもらい、ショップ内は撮影自由とした。チラシなど広告コストをかけず、SNSでの広がりに期待したからだ。スーパーとフロンターレのコラボレーションは、思いのほか反響を呼んだ。

ショップがスーパー内にあることで新規のお客さんも足を運ぶようになった。サポーターたちも積極的に足を運んだ。すると3カ月での売り上げ目標を、わずか1カ月半でクリアしてしまった。

また、ショップ内の買い物だけでなく、スタジアムで飲食する食料品の売り上げも上がった。フロンターレを店の特色としたことで、売り上げ低下の危機から息を吹き返していった。本部からは地域に密着した取り組みを高く評価され、同店は700件のノミネートから社内表彰制度でMVPを獲得した。そしてショップの常設が決まったのである。

パインさんもこう喜ぶ。

「僕たちサポーターは単に駅前店とクラブをつないだだけ。駅前店には感謝しているんです。応援バナナのイベントでも、売り場の一番いいところをバーンと用意してくれましたから。前の店長さんや佐藤さんがそういう下地をつくってくれて、そして今の西川さんをはじめ従業員のみなさんもフロンターレを応援してくれています。サポーターにとってもここで集まることができるし、大切な場所だと思います」

フロンターレというツールによる売り上げの『V字回復』が「小さな奇跡」ではない。クラブのため、地域のためにサポーターが自発的に動き、クラブと店をつなぎ、そして地域の活性化に一役買ったこと。それこそが尊い。

地域密着を信条とするフロンターレは月に一度、サポーターの代表者たちと定例会議を行なっている。議題はサッカーではなく、どんなイベントを打てば反響があるか、川崎のためにクラブとサポーターは何がやれるかなどを話し合っている。

パインさんは語る。

「川崎という町はいろんなところから人が集まってきているし、人と人のつながりを持つこと自体簡単じゃない。でもイベントのお手伝いをすることによってそのコミュニティがどんどん広がっていって、地域そのものが見えるようになってきました。フロンターレを大好きになって、そのおかげで川崎が大好きになりました。こういったものを、子供たちの世代につなげられたらなと思うんです」

サポーターとはチームをサポートするのみならず、地域をサポートする存在なのだとあらためて気づかせてくれる。

話を聞いた日、パインさんは小学生の息子さんとスタジアムに足を運んでいた。2人のユニホームが揺れていた。実に楽しそうにスタンドに向かっていった。

町と、サポーターと、クラブ。

三者が一体となった小さな奇跡、小さな幸福はこれから先、もっともっと広がっていく。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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