公立小でのアルマーニ標準服の問題から見えること、家庭負担に向き合うことと校長の役割
公立小学校で9万円もする標準服がいるのか?
東京都中央区立泰明小学校でアルマーニ製の標準服が高額だ、と話題になっている。本件はかなり特異なケースかもしれないが、今日は、ほかの学校にも言えるであろう、考えたいことがあるので、解説する。
そして、公立小学校の標準服にしては高い、保護者への説明も唐突だった、といった保護者の声も紹介されている。この記事でも言及されているように、保護者負担が重い本件では、この小学校に通いたくても通えない子(家庭)も出てくる可能性がある。いやらしく言えば、「こうした保護者負担を厭わないご家庭だけ来て下さいね」とのメッセージと受け取られかねない。それが校長の意図ではなかったとしてもだ。
対岸の火事にあらず、学校は保護者負担にどこまで真剣か
このケースのように有名ブランドに依頼してということはかなり珍しいだろうが、保護者負担が重いという問題は、どこの小中高校にもある話だ。制服の家計負担が重いのは、多くの公立中高でも言える話である。そもそも、制服や標準服がいるのか?という議論、検討からしっかりやらないといけないと思う。
また、修学旅行や部活のユニフォーム、靴、遠征費などにも相当の家庭負担がかかる。
修学旅行については、就学援助という制度で困窮家庭には一定の支援があるが、バッグや服、飲食代なども馬鹿にならないし、所得制限ギリギリで支援されない家庭等にとっては数万円もする旅行代はすごく重い。
部活については、ある識者は「今の時代、部活動のなかには、貧困家庭は参加できないものになっているものもある」と私に話してくれたことがある。
私立はある程度の負担を覚悟で選んでいると言われるかもしれないが、私立でも保護者負担は低いほうが望ましいことにちがいはない。
今回のケースは、銀座のある華やかな小学校での話と片付けるのではなく、各学校は、保護者負担についてどこまで真剣に向き合ってきたか、見直す材料にしてはいかがだろうか?
わたしの知人には、学校事務職員の立場から、保護者負担の軽減に熱心に取り組んでいる人も多い。たとえば、『本当の学校事務の話をしよう: ひろがる職分とこれからの公教育』などの著書がある柳澤 靖明さんは、教材費など保護者負担になっているものについて、教科担当らと費用対効果を検証したうえで、負担軽減できないか(つまり、自治体の予算で措置したり、そもそもその教材を見直したり)進めている。
残念ながら、教員のなかには、保護者負担やコスト感覚に鈍い人もかなりいる(これはデータで検証したものではなく、印象論となるが、このことにうなずく教職員は多い)。日頃、会計的な事務を多く行っている事務職員の声や知見も活かしながら、もちろん保護者の声も聞きながら、家庭負担の在り方はもっと考えていくべきだろう。
校長は独断で決められるのか
もうひとつ、この報道でおそらく読者の方やこの小学校の保護者の方が思われるギモン、モヤモヤとしては、校長が独断で決めてよいのか、という話かと思う。記事では「同校では、協議の組織や事前調査はなかった。和田校長がほぼ単独で働きかけ、決めたのだという。」と報じられている。
校長の権限については、少し古い資料となるが、以下の文科省作成の表がわかりやすい。
この資料にもあるが、学校教育法において、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」(第37条)とあり、しかもこの「校務」とは、以下のとおり広く捉えられていることから(『学校管理職試験 法規の攻略法』での解説)、校長の権限というのは、実は強い。
つまり、制服、標準服などの話は、文科省や教育委員会が規定しているものではない。学習指導要領などで縛っている話でもないのだから。では、だれに権限があるかといえば、校長なのだ。
多くの人には誤解があるかもしれないが、公立小中高で広範な権限をもち、いろいろな影響を与えることができるのは、文科省というわけではない。見方によっては、「一番強いのは校長だ」とも捉えることができるのである。
話は波及するが、たとえば、部活動についても、この部は休部する、廃部するなど、決めるのは文科省でも教育委員会でもない。校長の裁量である(ただし、生徒の自主的な活動なので、生徒の意思をしっかり尊重する必要はある)。運動会でなんの種目をやろうかなども、校長裁量である。
とはいえ、権限や裁量があるからといって、独断でよいという話にはならない。むしろ、強い権限があるからこそ、保護者負担を強いるようなことや、ある児童生徒への不利益ともなりかねないことは、様々な声を聞きながら、慎重なプロセスを踏む責任がある、とも言えると思う。
地域とのつながりや愛着は服装で頑張る話ではない
別の記事では、この校長が保護者あてにあてた文書が公表されている。一部抜粋して引用する。※全文は出所先で閲覧できる。
この文書から読み取れるのは、地域への愛着やつながり、愛校心を、標準服を通じて高めようとする考え方だ。
そういう道もなくはないかもしれない。しかし、学校の本務、教師としての本務は何か、どこにあるかと考えれば、地域とのつながりや学校への愛着というは、魅力的な授業を通じて、結果として高めるというのが本筋であろう。かなり専門的な話となるが、新しい学習指導要領でも「社会に開かれた教育課程」というのがキーワードとなっている。つまり、社会や地域とつながりの深い、教育内容、カリキュラムにしていこうね、という話だ。
そして、そのカリキュラムの編成権もまた、校長にあるのである。文科省は指導要領を示して大枠や最低限のことを示しているに過ぎない。なにをどう具体化するのかの一番の責任者は校長である。ただし、当然、校長だけのアイデアや思いだけでは限界もある。だから、教育課程の編成についても、教職員のアイデアを活かしたり、保護者、地域の声も採り入れたりしていく、オープンマインドな学校運営が必要だと思う。
以上、今回のアルマーニ標準服の話は、保護者負担にいかに向き合うか、また、校長の役割とは何か、考えさせられるケースなのだ。