「表現の不自由展」の対応にみる政治家の“正義のすり替え”
開催計画が持ち上がる度に物議を醸す美術展「表現の不自由展」。これまでに各地の展覧会等で公開中止や展示拒否にあった作品を集め、憲法21条の「表現の自由」を問うのがコンセプトだ。今年は6~7月、東京展、名古屋展、大阪展と3カ所の巡回展が行われるはずだったが、いずれも抗議活動の影響で難航している。
「表現の不自由展」は2015年に東京で開催され、その後、2019年の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展の一つになったことで大きな注目を集めた。作品の中に従軍慰安婦を表す少女像や、昭和天皇の写真が燃える動画作品があることから、激しい抗議電話や抗議メールにさらされ、開幕3日目から約2カ月間、中断し、芸術祭閉幕の1週間前に再開するという経過をたどった。
今年の巡回展はまず、6月25日から予定されていた東京展で、会場の民間のギャラリーが事前に行われた抗議の街宣活動に耐えられず、開始前に開催を断念した。7月6日からの名古屋展は市立のギャラリーで、7月16日からの大阪展は府立の労働センター。いずれも公共施設なので開催できると思われたが、名古屋展は3日目の7月8日に中断。大阪展は会場側が6月25日に使用許可を取り消し、展示会の主催者と法廷の争いにもつれこんだ。吉村洋文・大阪府知事は利用承認の取り消しは「当然のこと」と話している。
戦争の加害、被害の問題や天皇制ファシズムに関しては、考え方の違う者同士の対立が戦後ずっと続いてきたし、「表現の不自由展」とそれに抗議する勢力との衝突もその一つである。河村たかし・名古屋市長と吉村・大阪府知事は展示会への抗議活動を踏まえ、「市民の安全のため」と開催しない理由を説明するが、首長として中立、公平の立場で検討したというより、明らかに「中止」に前のめりだ。河村・名古屋市長も吉村・大阪府知事も「表現の不自由展」を不快に感じる思想信条の持ち主であり、「市民の安全を最優先する首長」という仮面をかぶり、展示会を否定する側に「正義」を引き寄せる思惑が透けて見える。
名古屋展は「爆竹のようなもの」で中止に
名古屋展は「私たちの『表現の不自由展』その後」のタイトルで、7月6日~11日まで、名古屋市中区の「市民ギャラリー栄」で開催予定だった。しかし、3日目の7月8日、河村・名古屋市長は安全性の問題からギャラリーを11日まで臨時休館した。
「反戦・平和」「人権」をテーマにしたミニコミ誌「新聞うずみ火」(事務所・大阪市)の矢野宏代表は、展示会を見学するため7月8日午後1時半ごろ、「市民ギャラリー栄」に到着した。すると、建物入口には「只今ご入場できません」と貼り紙がされていた。主催団体の関係者を見つけて話を聞くと、展示会場の8階にいたところ、午前9時40分ごろ「施設が閉鎖されたので動かないでください」とアナウンスがあったという。10分後には「一時、退避をお願いします」とのアナウンスが流れ、見学者らとともに1階に移動。施設側からはアナウンス以外に何の説明もなく、正午ごろ、愛知県警がギャラリーに配達された郵便物について記者発表したという情報が入っただけだった。
矢野代表は「マスコミ報道では、8日朝に封筒に入った爆竹のようなものが郵送されてきて、封を開けると破裂音が鳴ったということだ。爆竹は点火しなければ破裂しないのだから、本当に『爆竹のようなもの』だったのか。誰がどう封を開けたのか、どのように破裂音がしたのか疑問だらけ。施設職員は『警察から何も聞いていない』と言うばかりで、主催者にすら事実関係を説明しようとしない。これでは主催者も展示を見に来たお客さんも、納得できないのは当たり前だ」と話す。
8日午後3時、河村・名古屋市長が「市民の命を守るのが市長の絶対的な義務だ」として、11日までギャラリーを臨時休館すると発表した。矢野代表は「送られてきた物がマスコミ報道の通り爆竹なのであれば、けが人もいないのに臨時休館とはやり過ぎ。展示会を止めさせたい加害者側を喜ばせるだけだ。こんな前例を作ってしまったら、『爆竹で中止に追い込める』と展示会や集会の妨害に真似される」と危惧する。
2019年の「あいちトリエンナーレ」で河村・名古屋市長は従軍慰安婦の少女像に反発し、展示会場前で抗議の座り込みまでした。さらに、「あいちトリエンナーレ」の実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事を攻撃、大村知事のリコール運動に発展する。これは大規模な署名の偽造が発覚し、今年に入って逮捕者まで出る事態になった。リコール運動の応援団を自称していた河村・名古屋市長にとっては、政治利用に失敗した「表現の不自由展」がまた名古屋に戻ってきたわけで、矢野代表は「展示会を最後までやり切らせず、どこかで中止するシナリオがあったのではないか」と問題視する。
大阪では会場使用を巡り法廷での争いに
大阪展は「表現の不自由展かんさい」と銘打って、7月16日~18日、大阪府立労働センター「エル・おおさか」(大阪市中央区)で開催予定だ。
大阪展の実行委員会は今年3月6日、施設の利用承認を受け、6月15日からSNSなどで広報を始めたところ、「エル・おおさか」には抗議の街宣活動のほか、抗議が趣旨の電話やメールが寄せられた。「エル・おおさか」の指定管理者である共同事業体「エル・プロジェクト」は、施設利用者に危険が及び業務に多大な支障が生じるとして、6月25日、利用承認を取り消した。これに対し、大阪展の実行委員会は6月30日、大阪地裁に「取り消し処分」の執行停止を申し立てた。
大阪地裁は7月9日、「エル・おおさか」の利用承認取り消しについて、効力の停止を求める申し立てを認める決定をした。「表現の不自由展」に「エル・おおさか」が使用を拒否する理由はないという決定である。施設への抗議活動については「警察の適切な警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情があるとは言えない」と判断している。「エル・おおさか」の指定管理者は7月12日、この決定を不服として大阪高裁に即時抗告した。
吉村・大阪府知事は「エル・おおさか」が利用承認を取り消した時点で「取り消しに賛成」と表明。大阪地裁が効力停止を決定した時は、「(エル・おおさかには)保育施設もある。子供たちをリスクにさらすのはおかしい」などと決定を受け入れず、即時抗告すべきとの見解を示した。
まるで市民の安全第一をポリシーとしているように聞こえるが、吉村・大阪府知事は松井一郎・大阪市長とともに昨年11月、新型コロナウイルス禍にもかかわらず、大阪都構想(大阪市廃止・分割)の住民投票を決行した。投票所が有権者でごった返すのは明白だったのに、この時は感染拡大を防ぐという市民の命、安全優先の判断はしなかった。事案によって市民の安全を優先したり二の次にしたりし、都合よく使い分けているのだ。
「権力者は憲法順守を最優先せよ」
河村・名古屋市長や吉村・大阪府知事の対応について、平松邦夫・元大阪市長は「様々な意見が表に出せてこそ社会の多様性が担保されるのに、意見を出させない方向に傾くのは行政ではない。警察に調査、捜査を依頼し、不当な攻撃に抵抗する、戦う姿勢を見せなくてはならないはずだ」と断ずる。「知事や市長は権力者であるがゆえに、憲法順守を強く意識しなくてはならない立場にある。憲法が保障する『表現の自由』を侵して、展示会を暴力的に止めさせようとする勢力があるならば、徹底的に追及してあぶり出すのが権力者だ」
吉村・大阪府知事は大阪市長だった2017年、サンフランシスコ市が中国系米国人団体から従軍慰安婦像の寄贈を受けたことに対し、「信頼関係が破壊された」と60年に及ぶ姉妹都市の関係を解消している。平松・元大阪市長は「権力者が『私の歴史認識が正しい。他は認められない』という立場を取るのは恐ろしいこと。今回の表現の不自由展を巡る問題では、権力者が憲法で保障された国民の権利を一番大事にしているかどうかが問われる」と指摘している。