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ジョン・レノン命日にファン偲ぶ ──「銃撃の一報に崩れ落ちた」あれから40年

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
NYセントラル・パークにあるストロベリーフィールズ。(c) Kasumi Abe

摂氏2度の寒空のもと、この日ニューヨークにあるジョン・レノン記念碑「ストロベリーフィールズ」は一段と賑やかだった。

ファンが集まり、思い思いにジョン・レノンやビートルズの往年の名曲を歌い、ギターを弾き、楽しそうに踊っている。

当時40歳だったジョンは1980年12月8日、ここから目と鼻の先にある自身のアパート、ダコタハウス前でファンに射殺された。今日は40回目の命日だ。

セントラル・パークの西端にあるストロベリーフィールズを、午後4時ごろ訪れてみると、すでに100人以上が集まっていた。

ジョン・レノンをリアルタイムで知らないであろう若者も多い。(c) Kasumi Abe
ジョン・レノンをリアルタイムで知らないであろう若者も多い。(c) Kasumi Abe

ファンからたくさんの花や写真が手向けられた。供え物の配置デザインは冒頭の男性が担当した。(c) Kasumi Abe
ファンからたくさんの花や写真が手向けられた。供え物の配置デザインは冒頭の男性が担当した。(c) Kasumi Abe

毎年欠かさずジョンの命日にここに来ているという女性によると、例年はもっと混むが今年は新型コロナウイルスのパンデミックで人出は少ない方だという。

周りの演奏を聴きながらステップを踏んでいたニーノさん(60代)は、ビートルズやジョン・レノンの音楽と共に育った。もちろん今日ここにやって来たのは、ジョンの命日をファンと共に偲ぶため。

「冬の間は人出も落ち着くけど、夏場になると世界中からファンが集まり、毎日こんな感じさ」と言いながら、20代の頃を思い出したのか楽しそうに踊り続けた。

曲に合わせて踊っていたニーノさん。「ジョンが他界したのは自分が20代の頃だ」。(c) Kasumi Abe
曲に合わせて踊っていたニーノさん。「ジョンが他界したのは自分が20代の頃だ」。(c) Kasumi Abe

1980年、16歳だったアンドリュー・アインフォーンさん(56歳)。ジョンが死亡した日の記憶はあまりないが、殺害の2日後、故郷フィラデルフィアで行われた人生初のコンサートのことは今でも鮮明に覚えている。

「ビートルズ...ではなくブルース・スプリングスティーンのね。アンコールでビートルズの曲を演奏してくれたんだ。それを聴きながら、悲しくもあり嬉しさも混じりあう、そんな気持ちになったものさ」

成長と共に、ジョン・レノンの音楽にのめりこんでいったアンドリューさん。「私は無宗教ですが、ジョンもそうですよね。彼は自分の発言に対して恐いものなしでした。だからこそ彼の音楽は美しく素晴らしいメッセージ性があるんだ。彼はただ、より良い世界を求めていただけなんだよ」。

「ジョンが死亡した日の記憶はあまりない」と、アンドリューさん。(c) Kasumi Abe
「ジョンが死亡した日の記憶はあまりない」と、アンドリューさん。(c) Kasumi Abe

一輪の花を持って人々の輪の外で演奏に合わせ歌っていたのは、40周年アニバーサリーのこの日、初の命日イベントにやって来たエヴァリン・マラレスさん。「40年前のこの日、仕事から帰ってテレビをつけたらジョンが撃たれたって聞いて、その場で崩れ落ちました」。

その後ダコタハウスに向かい、すでにやって来ていた大勢のファンと一緒に泣いたという。「ビートルズがアメリカに上陸したとき、私は12歳の少女でした。私にとって初めて夢中になったグループだったのよ。特にポール(マッカトニー)にね。彼らの音楽のおかげで毎日が楽しくなり、私の人生のすべてだった。ラスベガスまでコンサートを観に行ったのも、とてもいい思い出よ」。

40th anniversary of John Lennon's death.

筆者がこの命日を撮影した5分のクリップ(YouTube)

The Beatles on the Ed Sullivan Show

英国リヴァプール出身のビートルズは1964年2月7日、ニューヨークに初上陸。コンサートを行ってアメリカデビューを果たし、全米中の人気をかっさらった。(動画はテレビのバラエティ番組『The Ed Sullivan Show』の出演の時のもの)

ジョンは、後に結婚した小野洋子氏と共に、愛と平和を世界に訴えかける活動も精力的にしていた。あれから世界は少しでも良い方向に進んでいるだろうか。

若き日のジョン・レノン。彼が生きていたら今年80歳だ。
若き日のジョン・レノン。彼が生きていたら今年80歳だ。写真: Shutterstock/アフロ

ジョンの死は日本のファンにもショックを与えた。
ジョンの死は日本のファンにもショックを与えた。写真:Fujifotos/アフロ

ジョンは犯人のチャップマンに背中などを複数回撃たれ、午後11時に死亡が確認された。
ジョンは犯人のチャップマンに背中などを複数回撃たれ、午後11時に死亡が確認された。写真:ロイター/アフロ

ジョンを殺したマーク・デイヴィッド・チャップマン(Mark David Chapman、当時25歳)はジョンの大ファンで、殺害日にレコードアルバム『Double Fantasy』にジョンにお願いし、直筆サインをもらっていた。今もニューヨーク州バッファロー市のウェンデ刑務所に収監されている。今年65歳。終身刑の身だが、仮釈放聴聞会が2022年に予定されている。

ニューズウィーク『Who Shot John Lennon and Why? Mark David Chapman's Motive For Killing Beatles Icon』に、2010年に撮影されたチャップマン受刑囚(当時55歳)の写真が掲載されている。

ストロベリーフィールズから目と鼻の先にあるダコタハウス。(c) Kasumi Abe
ストロベリーフィールズから目と鼻の先にあるダコタハウス。(c) Kasumi Abe

FOXニュース『John Lennon’s final days were blissful as he thrived on music, book says: ‘You can feel this positive emotion'』には、ダコタハウスの入り口で撮影された、ジョンと洋子、息子ショーンの写真や、亡くなる1ヵ月前に撮られた最後のアーティスト写真などが掲載されている。

ダコタハウスの入り口。ジョンはここで殺された。(c) Kasumi Abe
ダコタハウスの入り口。ジョンはここで殺された。(c) Kasumi Abe

(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe

ジョンがこの世を去って40年経ったが、賑やかなストロベリーフィールズを訪れると今でも(リアルタイムで知らなくとも)人々の記憶の中にジョンと彼の音楽が生き続けていることを実感する。

これまでも、これからも。

(Text, photo and video by Kasumi Abe)  無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、著名ミュージシャンのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をニューヨークに移す。出版社のシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材し、日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。

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