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アルゼンチン人コーチが語る「36年ぶりのV」

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:ムツ・カワモリ/アフロ)

 実兄のピチは、あのディエゴ・マラドーナと共にワールドユース東京大会(1979年)で世界一となった右ウイング。息子は、アトレチコ・マルテ(エルサルバドル1部リーグ)所属のエスクデロ競飛王。

 自身は、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロ。

 2019年末から、川越市のフットサル場で自らスクールを始め、今日、埼玉県のジュニアユース、トリコロールFCのコーチとして指揮を執る彼が、フランスとの激闘をPK戦で制し、36年ぶりに3度目のワールドカップ優勝を果たした祖国について語った。

撮影:筆者
撮影:筆者

 カタール・ワールドカップのファイナルは、本当に凄い戦いでした。フランスはキリアン・エムバぺが素晴らしい選手で、我がアルゼンチンは苦戦を強いられました。あんな大舞台でハットトリックですからね。見事ですし、これからが楽しみです。

写真:ロイター/アフロ

 我がアルゼンチンが決勝で負けた1990年イタリア大会、2014年ブラジル大会は、共にファイナルの相手がドイツで、AWAYユニフォームを着たんですね。1978年、1986年にワールドカップを獲った時は、ホームのユニフォームでした。だから、今回はいける! と思ったし、実際立ち上がりから我々のリズムで試合を運ぶことが出来ました。

写真:ロイター/アフロ

 23分にリオネル・メッシのPK、36分にFW11番のアンヘル・ディ・マリアのゴールで2-0とリードしてハーフタイムに入った訳ですが、この2人だけが8年前のブラジル・ワールドカップ決勝での敗北を経験していました。雪辱を晴らすことを誓っていた彼らのゴールには魂がこもっていましたね。

 今大会、ディ・マリアは右サイドで起用されたこともありましたが、左利きの左ウィングとして生きる選手です。フランスの右サイドバック、背番号5のジュール・クンデは、本来MFですね。だから、ディ・マリアは仕掛けやすかったのでしょう。

写真:ロイター/アフロ

 でも、まだ後半がありましたから、気を付けなればいけない、と僕は感じていました。

 フランスは前半終了間際にFW9のオリビエ・ジルーに代えて、FW26マルクス・テュラムを、この試合ではミスの多かったFW11、ウスマン・デンベレを下げて、12番のランダル・コロ・ムアニを投入しました。両選手とも黒人で、身体能力が滅茶苦茶高い。それが徐々に効いて、我々は苦しめられました。

 私たちアルゼンチン人は、フランス代表に対して「白人が多い」というイメージを持っていました。が、ロシア大会から黒人選手がほとんどになりました。アフリカ系の肉体でフランスの戦術を学んだら、それは強いですよ。

写真:ロイター/アフロ

 アルゼンチンの2点目を挙げたディ・マリアは、64分にベンチに下がりましたが、彼はピッチに残すべきでした。ディ・マリアが下がってから、アルゼンチンは左サイドからの攻撃がなくなってしまった。代わって入った背番号8のマルコス・アクーニャは、ディフェンダーですから。

 リズムも悪くなりましたね。

写真:ロイター/アフロ

 それで、エムバぺに80分、81分と決められ、2-2に追いつかれてしまったんです。もう、心臓が止まるかと思いましたよ。

 アルゼンチンの先発のメンバーは皆、走れるところまで走ったんですが、疲れていました。ちょっと交代が遅かったですね。

写真:ロイター/アフロ

 延長後半でまたメッシが決めてくれて、「勝てる!」と感じたのに、またPKを与えてしまって3-3。フランスも流石にファイナリストでした。

 とはいえ、アルゼンチンがいくら攻められても、やはりメッシがいるんです。お陰様で、メッシの存在がPKでも生かされましたよ。

 延長戦でランダル・コロ・ムアニとの1対1をファインセーブしたGKのエミリアーノ・マルティネスは決勝進出が決まってから、「PKになったら、皆、決めてくださいよ。僕は2本止めるから」ってずっと言っていたんです。自信を持っていましたね。

写真:ロイター/アフロ

 メッシはなかなかアルゼンチン代表で勝てず、去年ようやくコパ・アメリカで優勝し、5回目のチャレンジでワールドカップに優勝しました。辛い時期もあったでしょうが、この日の為ですよ。「おめでとう!」「ありがとう」って言いたいですね。

写真:ロイター/アフロ

 ひとつ心残りがあるとすれば、メッシに10番を付けさせたマラドーナに、この光景を見せてあげたかった。彼が亡くなって2年が経ちます。マラドーナともこの喜びを味わいたかったので、その点は残念ですね。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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