『源氏物語』と紫式部ゆかりの地を巡る~御所東編~
まずは地下鉄丸太町駅の北改札口から京都御苑へ。南側は九条家庭園が広がっており、いつでも自由に見学ができます。九条家は、九条兼実から始まった五摂家の一つで、鎌倉時代に入ると東福寺を創建する九条道家が出て全盛期を迎えることとなりました。
京都御苑を横切って寺町御門から寺町通へ出ると、鴨沂高等学校が出てきますが、この正門はかつての九条家の門が移築されたもので、日本初の女子高等学校から始まる同校の歴史を物語っています。校舎とグランドの間を東西に仕切る荒神口通に入ると、すぐにグランド側(北側)の一角には法成寺跡の石碑が出てきます。
法成寺は藤原道長が建立した菩提寺で、当時の大きさは、西は寺町通、東は鴨川、北は広小路通、南は荒神口通と考えられます。一度焼失しましたが、頼通によって再建され、その後も、焼失や再建を繰り返し、室町時代には吉田兼好が『徒然草』にて無量成就院(阿弥陀堂)のみが残っていると記しています。また現在の平等院は、法成寺を参考にして造られたとも伝わっています。
その後、左手には梨木神社の鳥居がマンションの前に建っているのが見えてきますが、これを目印に手前の清和院御門をくぐると、右手には藤原道長が住んだ土御門第跡が出てきます。平安中期に摂政となった藤原道長の邸宅跡で、現在の京都御苑の仙洞・大宮御所の北側にあり、もともとは左大臣であった源雅信の邸宅でした。道長は雅信の娘であった源倫子を正妻としたため、この屋敷が道長所有となりました。
藤原実資の『小右記』や藤原道長の『御堂関白記』によると、寛仁2(1018)年10月16日、道長の三女威子が後一条天皇の中宮になった日、この土御門第での宴席で道長の有名な望月の歌が詠まれたことも知られています。
「萩の宮」として知られる梨木神社は、幕末に尊王攘夷派として活躍した三条実萬と実美親子が祭神となっており、境内には京都三名水の一つである染井が現在も滾々と湧き続けています。
そしてその梨木神社の東側にあるのが今年注目を集めてきた廬山寺です。京都御苑の東に位置し、紫式部の邸宅跡に建っています。もともと比叡山の最盛期を作った天台座主として知られる良源が創建し、北山から船岡山付近を経て天正年間(1573~92)に現在地に移ってきました。
建物は天明8(1788)年の「天明の大火」で焼失しましたが、朝廷女院閑院宮家の援助を受けて再建されました。本堂前の「源氏庭」では6月~9月にかけて桔梗の花が可憐に咲き、2月3日に行なわれる節分会は「鬼の法楽」の名で知られています。
境内東側に広がる墓地には慶光(きょうこう)天皇陵があり、大仏師・定朝も眠っています。さらに墓地の東端には、数少ない御土居(おどい)の史跡も残っています。
最後に訪ねる廬山寺の北側に続く清浄華院は、浄土宗の京都における四本山のひとつであり、円仁によって創建された歴史をもつ寺院です。大方丈の前には、2年前(2022年)から大きな礎石と石仏が置かれています。これは藤原道長が建立した法成寺の跡地から発掘されたもので、当時の寺院のものではないかと推定されています。
法成寺推定地と、清浄華院は少し北にずれていますが、発掘当時の関係者と清浄華院につながりがあった関係で、寺院が引き取り、展示することとなったといいます。紫式部と藤原道長ゆかりのこの地に新しく設置されたかつての痕跡、最後にぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。
以上、紹介したように、紫式部ゆかりの地として「王道」ともいえるこのコース、大河ドラマ「光る君」を思い出しつつ、ぜひ楽しんでください。