いじめ、もう一つの問題:広すぎる定義に戸惑う学校、保護者、子供
■いじめの定義
いじめ防止対策推進法(2013)によれば、いじめは次のように定義されています。
第2条 いじめの定義
いじめとは、子ども(児童生徒)が、ある子どもを心理的、物理的に攻撃することで、いじめられている子の心や体が傷ついたり、被害を受けて苦しんだりすることです。インターネットいじめも、いじめです。
(「普通の子なら、このていどやられても平気だよ」は、言い訳になりません。その子が傷つけば、いじめです)。
<いじめ防止対策推進法条文を読む:子どもでもわかるようにいじめ防止法を解説(碓井)より>
つまり、「相手の子が傷つけばいじめ」です。
いじめを何としても防がなければならない思いの中で、いじめの定義は広がっていきました。いじめ防止、いじめ被害者保護の観点に立てば、このように考えることは正しいでしょう。しかし、この広すぎる定義が、問題にもなっています。
■いじめを認める「二つの基準」?
加害者側に悪意があるかどうかは、関係がありません。悪意がなくても、いじめになります。被害者側が弱いからとか、被害者側も悪いからも、言い訳になりません。相手が傷つけばいじめです。
学校におけるいじめは防がなければなりません。
ただし、いじめ防止法には罰則規定はありません(刑事事件になるような違法行為は別の法律による制裁を受けるけることになりますが)。人権問題としてのいじめは、加害者側が100パーセント悪いと考えて、人間関係を回復させ解決を図ることが良いと思います。
しかし、加害者とされる側に制裁を加えたり、管理者の責任を問うとなると、話は簡単ではありません。
■いじめのもう一つの問題
いじめの第一の問題、最優先事項は被害者保護です。できるだけいじめの定義を広くして、いじめられて苦しんでいる子を救わなければなりません。いじめを見落としてはなりません。
客観的には小さなことですら、心がとても深く傷つくのが、いじめです。
しかし、もう一つの問題として、加害者、いじめっ子とされた側の問題があります。
いじめを人権問題とすれば悪いのは加害者ですが、教育問題と考えれば、いじめっ子もまた支援を必要としている子供です。ひどいいじめをしている子供も、教育し反省させ、行動を改めさせなければなりません。
さらに、ひどいいじめと思えないような場合は複雑です。
あなたがいじめられっ子の親なら、たとえ小さな出来事でも、我が子は泣いている、学校へ行きたくないと言っていると、学校に強く対応を求めることでしょう。
では、いじめっ子とされた側の親だったらどうでしょうか。ほんの小さな、常識的にはいじめとは言えない言動です。相手が傷ついていることは事実ですが、あなたの子供はいじめっ子として先生や相手の親から、どの程度説教や責任追及をされても当然なのでしょうか。
強く責められたりしたら、うちの子は悪くないと反論したくならないでしょうか。
もちろん、それでも相手は傷ついているのですから、「ごめんさい」は必要でしょう。しかし、どこまで必要なのでしょうか。
いじめられて泣いている子がいます。立場が弱くて被害を主張できない親もいます。そして、不当にいじめっ子にされてしまい、苦しんでいる親子もいます。いじめっ子とされてしまえば、声をあげることは難しくなってしまいます。
その間に入り、苦慮している教師たちもいます。
■いじめとハラスメント、子供と大人
大人世界のパワハラなどは、「相手が傷つけばハラスメント」ではありません。厚労省は職場のパワーハラスメントについて、次のように言っています。
「上司から部下に対するものに限られず、職務上の地位や人間関係といった「職場内での優位性」を背景にする行為が該当すること」
ただし、
「業務上必要な指示や注意・指導が行われている場合には該当せず、『業務の適正な範囲』を超える行為が該当すること」。
これが大人の世界です。職場以外でも、評論家や批評家、世間の人々がきつい批判をして相手が傷ついたとしても、正当な批評であれば、社会的に認められます。
しかし、子供の世界は違います。「○○君の絵、変なの」という素直な感想、時には正当な批評であれ、言われた子が傷ついたとすれば、いじめです。してはいけないことです。
ただし、この一回だけのことであれば、先生からの注意と本人の反省や「ごめんね」で問題解決でしょう。
問題は、こじれた時です。たとえば、小学校時代のジャイアンのような子が、中学校に入りみんなから遊んでもらえなくなり、傷ついたとします。本人が傷ついたと言えばいじめ被害です。しかし、ジャイアン君は乱暴で、わがままで、他の子が遊びたくないと思うのも無理はありません。さてこの場合、いじめっ子は誰なのでしょうか。
■傷つきやすさ
善良で繊細で良い子で傷つきやすい子がいます。みんなで守ってあげなければなりません。
自己中心的で強引で、周囲と上手くいかない子もいます。このような子も、集団から排除されないような配慮が必要です。被害者にも加害者にもしたくありません。
とても傷つきやすく、傷ついたことで周囲を責める人(子供や親)もいます。この人たちも支援したいと思います。ただ、自分たちが傷ついたことは事実でも、そのアピールで周囲が深く傷ついていることに気づいていない人もいます。
教育現場では、困っているすべての子供と保護者が支援の対象です。困っている人がいたら、みんなで協力し、助けてあげようと教育します。ただ、傷ついた、いじめられたと口に出す人だけが守られるのでは、困るのではないでしょうか。
■いじめ問題解決のために
被害者保護のためには、いじめの定義は広いほど良いでしょう。しかし、現在の定義はあまりに広すぎて、かえって使いにくいという現場の声もあります。
この定義にそのまま従ってしまえば、あたたかでユーモラスな笑いも、アンパンマンがバイキンマンに説教するような乱暴な子への抗議の言葉も、ほんのちょっとした正しい注意も、相手が傷ついたと言えば、すべて「いじめ」になりかねません。
多少のいじめなら良いなどと言っているのではありません。正当ないじめもあると言っているのでもありません。傷ついている子の保護が第一です。
心の傷の大きさは、客観的なものではなく、本人が感じている大きさです。
ただ、すべてを法律で解決することはできないのでしょう。法律や定義は大切ですが、それだけの問題ではありません。大切なのは、信頼関係なのだと思います。
子供を守れない親もいます。子供を守ろうとして逆効果のことをしてしまう親もいます。子供を愛するあまり、愛が空回りする親もいます。
だれだって、我が子が一番かわいいでしょう。我が子の幸せを願うことでしょう。そのためには、いじめっ子にも、いじめられっ子にもしたくはありません。いじめ問題で苦しむ子を、一人でも減らしていきましょう。
学校と保護者の相互信頼関係の中で、一人ひとりの子供を成長させ、優しく強く幸せな子にしていきたと思います。いじめ問題に関連するすべての子供に、より良い教育と支援が必要です。そしてその現場を支える法律や制度であり、社会の声にしていきたいと思うのです。
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〇参考:いじめ防止対策推進法(平成25年)
第二条 定義
「この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」
第三条 基本理念 第三項
いじめの防止等のための対策は、いじめを受けた児童等の生命及び心身を保護することが特に重要であることを認識しつつ、国、地方公共団体、学校、地域住民、家庭その他の関係者の連携の下、いじめの問題を克服することを目指して行われなければならない。
第九条 保護者の責務等 第三項
保護者は、国、地方公共団体、学校の設置者及びその設置する学校が講ずるいじめの防止等のための措置に協力するよう努めるものとする。