ライオンズブルーの左のサイドスローに魅せられて 日本と韓国、今昔の主を訪ねる旅<前編>
サムスンライオンズの左腕投手イム・ヒョンジュン(30)は2015年秋、コーチの提案で投球フォームを変えた。オーバースローから腕の位置を下げたサイドスロー投手への転向だ。以来、3シーズン、主に対左打者へのワンポイントで起用され、転向4年目の今季、ようやくその役割を果たしつつある。
小、中学生当時、西武ライオンズが生活の中心にあった筆者にとって、左のサイドスロー投手への思い入れは強い。「黄金時代」と言われた当時の西武には、永射保、小田真也、市村則紀の左の横手投げが同時期に在籍。スター揃いのチームの中で独特の存在感を放っていたからだ。
「変則」と言われる左のサイドスロー。彼らはそのフォームをなぜ取り入れ、磨いていくことになったのか。日本と韓国、30余年前と現在。左のサイドスローの主、2人を訪ねた。
崖っぷちでの2度の選択
「フォームを変える前はスランプにはまっていました。コントロールが不安定で、元々球は速くないですが、スピードを上げようとしても上がらない。このままでは選手生活を続けるのは難しいと思ってコーチの提案を受け入れました」
イム・ヒョンジュンは4年前を振り返る。
彼に腕を下げることを勧めたヤン・イルファン現KIAコーチは当時、その理由をこう話していた。
「(イム)ヒョンジュンの野球人生を少しでも長くするには、変化が必要だと考えたんです」
27歳を迎えるその年、イム・ヒョンジュンは左打者対策のワンポイント投手へと生まれ変わることを決めた。イム・ヒョンジュンがフォームを参考にしたのは当時ソフトバンクに所属し、WBCで日本代表入りするなど活躍していた森福允彦(現巨人)だ。イム・ヒョンジュンは森福の映像を繰り返し見て、フォームを固めていった。
しかしフォーム変更がすぐに結果には結びつかなかった。サイドスロー1年目の16年の登板は2試合のみ。1イニングを投げ4点を喫した。翌17年は11試合で防御率5.06だった。
落合英二コーチがサムスンの投手コーチに6年ぶりに復帰した昨季は40試合に登板し、防御率3.90。立場を確立しつつあったがチーム内での信頼は得られていなかったと落合コーチは話す。
「韓国はピッチャーの良し悪しがボールのスピードで判断されちゃいます。球が速いと安心するようで、遅いと信頼をもらえません」
昨季のイム・ヒョンジュンは左打者の被打率が1割5分4厘だったが、右打者に対しては3割3厘。左を抑えるのが役割ではあるものの、球が遅い分、打者の左右に関わらず常に抑えているという印象を与えないと、監督からは信頼を得られない立場にいる。
「2年くらい前にはクビになってもおかしくなかった、崖っぷちにいた子です」
そう話す落合コーチは左のサイドスローとして伸び悩んでいたイム・ヒョンジュンに、昨秋、新たな選択を与えた。右打者や状況によって腕の位置を上げて投げる、「千手観音投法」への取り組みだ。
つかみつつある自信
穏やかな物腰に少ない言葉数。色白の端正な顔立ちに、丁寧に整えられた黒髪の姿からはプロ野球選手っぽさは感じられない。以前から長身の会社員といった雰囲気がイム・ヒョンジュンからは漂っていた。ただ今年はプロの投手として表情に少しだけ自信がうかがえる。
イム・ヒョンジュンはプロ9年目の今年、主にワンポイントリリーフとして11試合に登板。7回1/3を投げ防御率1.23という成績を残している。投球の半分以上を占める110キロ台のカーブを主体に、左右のコーナーを丁寧に投げ分け、右打者に対しては胸元を突く投球も見せている。打者29人に対し、与えた四球は1つと不安視されたコントロールも安定してきた。
「昨年のオフから今年にかけて、練習、実戦を通してたくさんの球を投げてきました。昨季は対右打者の成績が良くなかったけど研究を重ねて、落合コーチの提案で変えた腕の角度も慣れてきて、一段階成長出来たと思います」
イム・ヒョンジュンはゆったりとした口調でそう話した。
落合コーチは「右打者に対してトゥサンのキム・ジェホに長打を食らってるんで(3月29日、6回同点の場面でのソロアーチ)、そういうのが減れば、左打者だけではなく、“右右左左”と続くようなところでも使えるんですが」と今後への期待を口にした。
スペシャリストとしての野望
今年は11月にプレミア12、その結果次第で来年には東京オリンピックが控えている。代表チームのピッチングスタッフに求められるのは3~4人の先発、絶対的なクローザー、そして中継ぎのスペシャリストだ。その1人に左のサイドスローがいても不思議はない。
イム・ヒョンジュンに「代表入りしたいか」と聞いてみた。これまでの実績では荒唐無稽な質問とも思ったが、彼は少し間を置いた後、これまで聞いたことがないような強い口調でこう言った。
「代表入りしたいです」
その風貌からは想像しなかった力強い言葉に、失いかけたプロとしてのプライドがよみがえってきていると感じた。
「もしそうなったら光栄なことだと思うし、チームで信頼される立場になった後にチャレンジしたいです」
筆者が子供の頃に見た、大舞台で左打者をきりきり舞いさせるライオンズブルーの左のサイドスロー投手。その姿にイム・ヒョンジュンが近づく日が来るのではないかと、彼の眼を見て思った。
<後編では30年前のライオンズブルーの左のサイドスロー・小田真也元投手を静岡県沼津市に訪ね、当時について、そしてイム・ヒョンジュン投手の投球について聞きました>