【京都市】中京区 千本通と丸太町通の交差点にある「平安宮朝堂院」跡と「平安神宮」の関係?!
京都をぶらぶら歩いていると「歴史」にぶつかります。
今日も千本通と丸太町通をお客様と一緒に歩いていたところ、歴史にぶつかりました。
千本丸太町の交差点の北西角にある歩道に「平安宮朝堂院跡」の説明板がありました。
「 千本通 」は、「 平安京」時代のメインストリートで、「千本丸太町」あたりは、平安京の内裏跡の史跡が数多くあります。
また、この界隈は平安京大内裏の施設のひとつ「朝堂院」があった場所でもあります。
794年の平安京遷都に際し、南北の大通りとして朱雀大路(現在の千本通)を中心とし、この付近に「朝堂院」があり、正殿である「大極殿」も置かれたそう。
朱雀大路から「朱雀門」を入り、もう一つの門「応天門」を入ると「朝堂院」があったとあります。
また実は、明治28年に平安遷都1100年記念として建てられた現在の「平安神宮」の「外拝殿」は「朝堂院」を5/8サイズで模したものだそうですよ。
平安神宮の外拝殿は幅33.3m。実際には平城宮大極殿は、発掘調査の結果幅45mあったそうです!
そういえば、以前に紹介されて行った五条「ひと・まち交流館」のB1Fにある『京のまちかど』で「平安宮」の展示をみたのを思い出しました。
過去記事御参照ください→五条「ひと・まち交流館」のB1Fにある『京のまちかど』
「朝堂院」は天皇の即位の大礼や国家的儀式が行われた所。
平安京の「大内裏」にある「大極殿」の南には政務官が朝政を行っていた「朝堂」という舎殿が立ち並ぶ「朝堂院」が、「大極殿院」の西には賓客をもてなすための饗宴の施設「豊楽院」がありその周辺に「宮殿」や「官庁」が並んでいました。
応天門の変(866)で創建後すぐに炎上、その後なんどか再建されるが安元3(1177)年の大火で焼失して以降は再建はされませんでした。
千本下立売を中心に東西1.1キロ、南北1.5キロにもおよぶ広大な地域に平安京の「大内裏」があり、平安京は千年以上もの長い間、都として天皇を擁して来た、と思うとなんとも歴史ロマンを感じますね♪
「平安宮朝堂院大極殿跡」
京都市中京区丸太町通千本 交差点 南東角