神戸市に再考を促す~「電凸」で「言論・表現の自由」をやせ細らせないために
またまた残念なニュースが飛び込んできた。
企画展「表現の不自由・その後」の中止が論議を呼んでいる「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督を務める津田大介氏を招いて神戸市内で開かれる予定のシンポジウムについて、同市やその外郭団体など主催者は中止を決めた。
神戸新聞によれば、津田氏の登壇について、抗議や問い合わせの電話が8日までに約100件寄せられ、「現在の状況では本来の趣旨に沿って開催できないため」などとしている。
またもや、「電凸」に「言論・表現の自由」が屈し、表現の場が失われた形である。
3氏の対話で語られるはずだったこと
このシンポは、9~11月に同市兵庫区、長田区で開かれる現代美術の祭典「アート・プロジェクトKOBE2019 TRANS-」の関連行事で、市とイベントの実行委員会の共催。津田氏のほかに、TRANSのディレクターを務めるインディペンデント・キュレーターの林寿美氏、来年リニューアルオープン予定の京都市美術館の新館長に就任した建築家の青木淳氏が登壇予定だった。
誤解に基づく抗議も多かった
市のホームページによれば、3人の対話で「いま思うことは何なのか、目の前にある壁はどんなものなのか。そして3人の眼差しは、どこへ向かっているのか」などが語られるはずだった。
市や実行委員会事務局に対する抗議電話には、津田氏が神戸の美術祭の監督も務めるような、誤解に基づいたものも少なくなかった、という。抗議電話に加え、自民党市議が津田氏の参加について「断固反対」を公言し、市の外郭団体に登壇者の見直しを要請したりもしていた。
報道されている限りでは、あいちトリエンナーレの時のようなタチの悪い脅迫は来ていないのだろう。愛知県警が迅速に脅迫の主を突き止め、逮捕したことで、次なる犯罪を防いだのだとしたら、それは結構なことだ。
発言の場だけでなく、知る権利も損なわれた
結構でないのは、催しを中止し、言論・表現の場を喪失させてしまった市や実行委員会の対応だ。
津田氏ら3人の発言の機会を失わせただけでない。「対話」の中で、津田氏から、記者会見などでは明らかになっていない、今回の顛末を聞き出す、という絶好の機会を喪失させたのは、なんとももったいないことである。
人は、失敗から学ぶ。あいちトリエンナーレの失敗から、神戸の人たちが考えたり教訓を得たりすることも多かったのではないか。司会者や他の登壇者からの”突っ込み”だけでなく、事前に津田氏に対する質問をネットなどで受けつけ、参加者が聞きたいことに答えてもらえば、より意義深い催しになったはずだ。もちろん、林氏や青木氏の考えを聞きたい人たちもいるだろう。
神戸市などの判断は、津田氏らから発言の場を奪っただけでなく、その話を聞きたい人の「知る権利」も損なってしまったことになる。
状況の変化には柔軟な対応が必要
市は、中止の理由を「現在の状況では本来の趣旨に沿って開催できないため」としている。確かに、企画当初とは状況は異なっているだろうが、同時代の様々な状況を映し出すのも現代アートであり芸術祭ではないか。状況の変化には、柔軟に対応すべきだったろう。
あいちトリエンナーレのような脅迫も来るのではないか、会場で騒ぐ人もいて混乱するのではないか、といった心配を主催者がするのは理解できる。しかし、安全やさまざまな妨害に関しては、警察や危機管理の専門家と相談して対策を考え、開催方法に何らかの変更を加えるとしても、シンポそのものは行ってほしかった。
そのために、多少手間や費用はかかるかもしれない。だが、それは言論・表現の自由を守るためのコストだ。
ここはがんばらないと
こんな風に、抗議電話によって催しが潰れることが続けば、気に入らない言論・表現活動は潰してしまおうとする人たちは勢いづき、次のターゲットを探すだろう。そのうえ、一部の政治家が、これに悪のりし、威勢のいい言説を吐いたり、行政などに圧力をかけたりして、彼らを増長させる。
このままでは、現代美術はもちろんのこと、演劇や映画、オペラ、講演会など、様々な言論・表現活動にかかわる催しを企画している自治体や団体が、自分たちが次なるターゲットになることを恐れ、あれこれと忖度を働かせ、物議をかもしそうな人や表現はあらかじめ排除しておこう、という空気が広がっていくのではないか。そうして、日本の言論・表現の自由がやせ細っていくことを懸念する。
そうならないために、ここは頑張らなくてはいけない。
神戸市には、再考を促したい。