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米大統領選挙徹底分析(11):コメイFBI長官の電子メール事件再捜査書簡の裏事情、問われる政治判断

中岡望ジャーナリスト
コメイFBI長官の議会への再捜査報告の報道を見るクリントン候補(写真:ロイター/アフロ)

内容

1.電子メール事件再捜査に関連する2つの書簡

2.苦しい立場に追い込まれたコメイ長官とFBI

3.電子メール事件再捜査の選挙への影響をどう見るか

1. 電子メール事件再捜査に関連する2つの書簡

ジェームズ・コメイFBI長官は、10月28日に議会の8つの委員会の委員長(いずれも共和党議員)宛に送った書簡の中で、別の事件(unrelated case)の捜査過程でヒラリー・クリントン国務長官とヒューマ・アベディン副首席補佐官(いずれも当時)の間で交わされたメールが新たに発見されたことから、クリントン長官の私的なメール・サーバー使用による国家機密情報の漏洩疑惑事件を再捜査する旨の通告を行った。日米のメディアは一斉にこの問題を取り上げ、大統領選挙への影響を報道している。前のブログで事件の詳細は分析した。だが、この事件は大統領選挙問題以上に重要な影響をアメリカの政治に与える可能性がある。再捜査問題をセンセーショナルに取り上げるのも悪くはないが、なぜコメイFBI長官はよりによってこの時期に選挙結果に影響を与えるかもしれない情報を公開したのか明らかにする必要がある。しかも、新たに発見された電子メールの疑惑の確度は極めて低く、長官は捜査スタッフの説明を受けただけで、自らは確かめておらず、具体的な証拠を確認したわけでもない。さらにFBI捜査官はその電子メールを読んでさえいないのである。それだけにコメイ長官の真意が問われる事態になっている。

この件に関して2つの書簡を紹介する。1つは、28日の夜、コメイ長官がFBIの職員に宛てた書簡である。もう1つは、ハリー・リード上院院内総務(民主党)が30日にコメイ長官に宛てた書簡である。

【コメイ長官のFBI職員に宛てた書簡】

職員の皆様へ

今朝(28日)、私はクリントン国務長官の電子メール事件捜査に関連して議会に書簡を送りました。昨日、私は、捜査チームから本件と無関係な事件の捜査過程で新たに発見された電子メールを入手する権限を取得する件についてブリーフィング(背景説明)を受けました。これらの電子メールは、私たちの捜査(クリントンの電子メール事件)に関連すると思われるため、私は電子メールを入手し、捜査するために適切な対策を取ることに同意しました。

もちろん通常では私たちは議会に継続中の捜査に関する情報を提供したりしません。しかし、私が、この数か月、本件の捜査は終了したと議会で繰り返し証言したこともあり、議会に対して(新たに取得した)情報を提供する義務があると感じています。また、事件に関する記録を補完しなければ、アメリカ国民に誤解を与えることになるとも考えました。しかし、同時に、新たに発見された電子メールの束(collection of emails)の重要性について何も分かっておらず、私は誤解を招くような印象を与えたくないと思っています。短い書簡であることと、選挙期間中であるという二つの事柄のバランスと取ろうと試み、誤解される深刻なリスクがありますが、私は皆さんに直接この事柄に関して聞いてほしいと思いました。

【ハリー・リード上院民主党院内総務のコメイ長官への書簡(要旨)】

最近のあなた(コメイ長官)の行動は、非常に重要な情報(sensitive information)の取り扱いにおいてダブル・スタンダード(二枚舌)であることを明確に示しています。あなたの行動は、ある党(共和党)を他の党(民主党)より支援する明確な意図を持っているように思われます。党派的な行動を取ることによって、あなたは法律(ハッチ法)を破っているかもしれません。

あなたは情報を公表するに際して、タイミングも含め、極めて選択的な手段を取っており、ある党の候補者、政治グループの命運に影響を与える意図がうかがえます。私は、あなたや安全保障問題の責任者たちとの話を通して、あなたがドナルド・トランプや彼の上席顧問とロシア政府の間の密接な結びつきがあり、様々な調整が行われていることに関する膨大な情報(explosive information)を保有していることは明白になっています。トランプは、あらゆる機会を利用して、アメリカに明らかに敵対する海外の利害関係者を礼賛しています。私は数か月前に、そうした情報を国民に公開するように要請しました。しかし、あなたは、この極めて重要な情報を国民に公表すべきだという要請を拒み続けています。

あなたは、あなたが得た(クリントンに関する電子メールの)情報は既に検証済みのもので、クリントン長官の無実を証明している情報とまったく同じものであることを知りながら、大統領選挙直前にこのような措置(電子メール事件再捜査)を取りました。

私の事務所はあなたの取った行動は「ハッチ法」に反するとの結論に達しています。あなたは党派的行動を取ることで同法に違反した可能性があるとお伝えしておきます。

あなたがFBI長官に任命されたとき、共和党の議事妨害で承認が遅れたときですら、私はあなたが承認を得られるように戦いました。なぜなら、あなたが規律のある公務員になると信じていたからです。現在、斬鬼の思いで、私は間違っていたと思っています。

2つの書簡は、それぞれの立場から書かれたものである。FBIの捜査再開の決定は単に大統領選挙に影響を及ぼすだけに留まらない様相を見せ始めている。アメリカ政府はウィキリークスによる情報リークはロシア政府の工作によるものであると公式に表明している。クリントン候補を不利にする情報が相次いでリークされているのは、ロシア政府が大統領選挙でトランプ候補を陰から支援しているとの見方がある。トランプ候補の参謀の中にはプーチン大統領が関連するロシア企業で働いていた者もいる。トランプ候補のプーチン大統領礼賛は異様と思える。リード上院民主党院内総務は、トランプ候補とロシア政府、プーチン大統領の間で交わされたメールなどの情報は既にFBIが所有しており、その公表をコメイ長官は拒み続けていると指摘している。そうした問題に加え、リード議員はコメイ長官が「ハッチ法」に反している。事柄は単にFBIの再捜査問題に留まらず、発展する可能性がある。

2.苦しい立場に追い込まれたFBI-FBIのディレンマ

今回の出来事でFBIは窮地に追い込まれるかもしれない。クリントン国務長官のメールが新たに発見されたとき、FBIはその処理に関して決断を迫られた。コメイ長官は議会証言で、新しい情報が発見されたら、議会に報告すると証言していると、議会に通告した理由を説明している。FBI捜査官は、アンソニー・ウェイナー元下院議員のラップトップにクリントン長官の電子メールが残されていることを発見しとき、そのメールの存在はコメイ長官が議会で証言した“新しい情報”だと判断したという。30日、司法省よりFBIにパソコンと電子メールの捜査を認める令状が交付された。これはコメイ長官の議会宛て書簡が送られてからである。すなわち、コメイ長官はまだ捜査令状が交付されていない段階で、議会に再捜査する旨の報告をしているのである。FBI高官の話では、今回の情報を隠しても、いずれリークされることになると認識していたという。大統領選に先立って再捜査情報を提供すればクリントン候補に不利になり、FBIは批判されるだろう。事実、批判されている。逆に秘密裏に捜査を行い、犯罪を立証するような証拠が発見され、それが大統領選挙後に公表されれば、またFBIは情報操作をして選挙に影響を与えたと批判される可能性がある。いずれの決定をしてもFBIは批判を免れない状況に置かれたのである。最終的にFBI幹部は、議会に再捜査を行う旨を伝達することは最も信頼でき、透明性のある方法であると判断したと説明する。金曜日に書簡を議会に送った後、コメイ長官は電話で一部の議会議員に調査に関する説明を行っている。

ここまではFBIの“建て前”の議論である。コメイ長官が極めて政治的な行動を取ったことは間違いない。コメイ長官は、選挙の前に批判されるのか、選挙の後に批判されるのかとうい選択に対して先に批判される方、すなわちクリントン候補に不利に働く選択をしたことになる。コメイ長官はクリントン候補が嫌いだった。刑事訴追する証拠がないことが明白になったにもかかわらずコメイ長官はクリントン批判を続け、「捜査サマリー」を公表するなど共和党のクリントン批判の材料を提供し続けた経緯がある。さらに長官は7月5日にクリントン候補の刑事訴追をしないと発言したことで、共和党や強硬派のFBI捜査官から厳しい批判を浴びていた。

さらに、ロレッタ・リンチ司法長官がコメイ長官に議会へ書簡を送らないように勧告したにも拘わらず、それを無視して書簡を送付している。上司の勧告を無視するのも異常な対応で、「なぜ」という大きな疑問符が付く。選挙後に発表したとして批判されても、それはリンチ司法長官の勧告に従った弁明すれば筋は通る。クリントン候補は記者会見でコメイ長官にただちにすべての情報を公開することを求めた。おそらく、同じ要求がトランプ候補や共和党からも出てくるだろう。コメイ長官は、こうした要求にどう応えるのだろうか。

さらに問題となるのが、コメイ長官が法律に違反したという指摘である。これはリード上院院内総務も書簡の中で指摘している。その法律とは「1939年ハッチ法(Hatch Act of 1939)」である。同法の正式な名称は「政府の職員が自らの行政権限と影響力を行使して、選挙に介入するか、選挙に影響を及ぼす可能性のある行動を取ることを禁止法」である。同法の特徴は、実際に選挙結果に影響を与えたかどうかではなく、影響を与える“意図”があったかどうかで違反性が判断されることだ。もともと政治任命の官僚(副大統領、長官、次官など)は同法の適用除外とされていた。ただ政治任命でも違反行為があれば、特別検察官局(Office of Special Counsel)が調査を行い、調査結果を大統領に報告することになっている。コメイ長官は政治任命である。29日に元ホワイトハウスの倫理担当主席弁護士のリチャード・ペインターはコメイ長官を特別検察官局と政府倫理局(Office of Government Ethics)に告発している。

倫理問題に関していえば、2012年3月9日にエリック・ホルダー司法長官は司法省のすべての職員に対して「選挙の年の配慮(Election Year Sensitives)」と題する書簡を送っている。その中にホルダー長官は「司法省の職員はアメリカの法律を執行する権限と法を中立かつ公平な方法で執行する責任がある」、「私たちは、公平、中立、非党派的な立場を守ることで司法省の評価を守らなければならない」、「簡単に言えば、いかなる捜査あるいは犯罪訴追に関する連邦捜査官あるいは連邦検事の決定に際して、政治が関与することがあってはならない。法の執行者と検察官は選挙に影響を及ぼすか、特定の候補者は政党を有利あるいは不利にするような目的で捜査着手や訴追のタイミングを決めてはならない」と書いている。2012年は中間選挙が行われた年である。コメイFBI長官はリンチ司法長官の勧告を無視しただけでなく、ホルダー前司法長官の司法省の全官僚に対して送った書簡の趣旨に反するものである。

問題は、コメイ長官は新たに発見された電子メールの中にクリントン国務長官からのメールが含まれているかどうかを確認することなく、議会に対して再捜査する旨を連絡したことである。それはクリントン候補に対する“偏見”が存在したと判断される材料になるかもしれない。またハッチ法に基づく違法性の問題とは別に倫理上の問題は残る。倫理違反を犯したと判断されれば、コメイ長官の人事問題に発展するだろう。FBI長官の任期は10年であるが(コメイ長官の場合、2023年まで)、オバマ大統領や次期大統領はコメイ長官を解任することは可能である。

3.電子メール事件再捜査の影響をどう評価するか

コメイ長官の議会への書簡は、新たに電子メールが発見されたこと、それが電子メール事件と関りがあると“思われる”(英語ではappearが使われている)と書かれているが、具体的な事実は何も記載されていない。極めて曖昧な表現になっている。最終的に、捜査の結果、何も違法性がないという結論に達する可能性は十分にあるし、その可能性が強い。だが、それが明らかになるには時間がかかる。その間、クリントン候補は常に疑惑のただなかに置かれることになる。捜査結果は、一週間後に迫っている選挙には関係ない。とすると、再捜査するというFBIの方針が独り歩きし、クリントン候補のイメージを悪化させ、トランプ候補に有利に働くのは間違いない。加えて反クリントンの傾向が強いメディアは連日、この問題を報道し続けるだろう。日本のメディアも、面白おかしく報道し続けるだろう。

しかし、前のブログに書いたように、筆者は選挙結果に最終的に影響を及ぼすのは「投票率の動向」であると考えている。クリントン候補に嫌気して、本来ならクリントン候補に投票すると思われる有権者が棄権する事態になれば、クリントン候補は苦戦するだろう。特に選挙結果に大きな影響を及ぼす激戦州の結果に影響を与えかねない。ただ、これも筆者の判断だが、トランプ候補が劣勢を挽回して、勝利する可能性は低い。再捜査の情報が流れた後も、主要な予測機関は依然としてクリントン候補の勝利の確率に変化はないと報告している。だが、勝利しても、様々なスキャンダルに傷ついた“クリントン大統領”は議会運営で苦慮するのは避けられないだろう。特に議会で下院は共和党が多数派を占め続ける可能性が強い。英語の表現で”Dead on Arrival”がある。到着した時に既に死んでいた、という意味である。極論だが、新政権発足と同時に“レームダック化”するかもしれない。強力な政策メッセージがないだけに、クリントン新大統領の苦境が目に見えるようである。

最後に、再捜査に関する筆者の疑問を書いておく。FBIは別件の捜査過程でクリントン国務長官の電子メールを発見したが、それは国務長官がスタッフのアベディン副首席補佐官に送った電子メールである。それが夫のウェイナー元下院議員のラップトップに残されていたということだ。夫婦であっても電子メールを共有するというのは異常である。しかも、公的な業務に関する電子メールがなぜ夫のラップトップにあるのか、筆者は極めて常識的に、違和感を覚える。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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