福知山線脱線事故(尼崎)から13年:ヒューマンエラーと安全文化
■JR福知山線脱線事故(尼崎脱線事故)から13年
2005年(平成17年)4月25日。尼崎駅の手前でJR福知山線が脱線した。死者107名、負傷者562名。車両はカーブを曲がりきれず脱線し、マンションに激突した。マンションにめり込むように激突した車両は原型をとどめないほど大破し、徹夜で行われた救出作業は3日間に及んだ。
身動きが取れない状態で、周囲からのうめき声を聞きながら、遺体に囲まれながら、長時間救助を待ち続けた人もいる。割れたガラスが口いっぱいに入り、吐き出すこともできず救出を待った人もいる。
亡くなった多くの方々。重傷を負い、13年たった今も、痛みに耐え、治療とリハビリを続けている人。事故以来、電車やバスに乗ることに大きな苦痛を感じるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を、今なお抱え続けている人。学校や仕事が中断し、人生が変わってしまった人。そして、共に苦しむ家族、周囲の人々。
事故の原因は、たった40秒のブレーキの遅れだった。
■事故調査報告書
事故の後、事故調査委員会による調査が行われた。提出された報告書は300ページに及び、その厚さは日航ジャンボ機墜落事故以来の厚さだと言う。
私は、報告書の発表時に、マスメディアを通して読む機会を与えられた。報告書の前半は、事故の原因として機械故障などハード面の可能性を探っていた。素人にはほとんど分からない内容だが、鉄道関連ニュースを専門とする記者から説明を受けた。
報告書では、次々とハード面の可能性が否定されていく。ハード面に問題がなかったと確認された後で、最後に行き着くのが、運転士のヒューマンエラー、運転操作ミスだ。
■ヒューマンエラー:そのとき運転士に何が起こったのか
運転士は、前の駅で停車位置を70メートル越えるオーバーランを起こし、電車は1分30秒遅れていた。。彼は前にも運転ミスを犯し、「日勤教育」と呼ばれる研修(罰と言っても良い内容)を受けている。彼は、ミスがばれて罰を受けることを恐れる。そこで車内電話で、車掌に「まけてくれへんか」と頼む。報告をごまかしてくれという頼みだ。
運転士と車掌が話している最中に、客の一人が車掌室のドアを叩き、遅れたのに何の謝罪放送もないことを指摘する。車掌はあわてて車内放送をする。そして、そのあとすぐに、総合指令所に遅れの報告を行う。
おそらく、運転士はこの車掌と指令所の会話を聞いていたと思われる。はたしてごまかしてくれるのかどうか。必死に聞いていたのではないか。そのあいだに、列車はブレーキポイントを過ぎていく。スピードが上がったままカーブに突入する。運転士が気づいたときには、すでに遅く、列車は脱線しマンションに激しく激突した。
報告書では、事故原因をこのように結論づけていた。
私は、心が震える思いがした。こんなにも恐ろしい大事故の原因が、たったこれだけのことだったのかと。ほんの小さな人間のミスが、大事故を引き起こす。関わった人間達の誰かがほんの少し違った行動をとっていたら、事故は起きなかったかもしれない。
だが、ヒューマンエラーはその人を責めるだけでは解決しない。
■事故後の出来事
事故発生後、JR西日本の過密ダイヤや、運転士に対する懲罰的な「日勤教育」などが批判された。JR西日本は金儲け主義だと非難する人もいた。
しかし、JR西日本がもっと利益を上げ、その利益を安全のために使い、カーブ手前で速度超過していたら自動的にブレーキがかかる装置をつけていたら、事故は防げていたはずだ。
日勤教育に関する批判は、もっともだと思う。懲罰の効果は限定的であり、時に副作用をもたらすこともある。
事故後、JR西日本には多くの苦情電話がかかってきた。列車は飛行機や船とは異なり、乗客名簿がない。誰が乗っていたのか、はっきりしない。そのための確認や、被害者、被害者家族からの相談のための電話にも、被害者とは直接関係のない人々から多くの苦情電話やJR西日本を責め立てる電話がかかってきた。
たしかに、お怒りはごもっともだ。抗議も必要だろう。だが、事故直後に殺到する苦情電話、職員をののしる言葉は、何か被害者のためになったのだろうか。今後の事故防止の役にたったのだろうか。
■安全第一
客商売では、「お客様第一」とよく言われる。しかし、乗客を運ぶ仕事は違うだろう。仮にお客さまにご不便をおかけしたとしても、「安全第一」だ。そのような「安全文化」を作っていかなければならない。
組織の改善も必要だ。職員の教育も必要だ。お金も必要だ。そして、私達乗客の協力もまた必要だ。
尊い犠牲を無にしないためにも、この13年目の日に、事故の記憶と共に「安全」の大切さを考えたい。
<福知山線脱線事故調査委員会報告書を読んで(2):空白の40秒を探る:「まけてくれへんか」・・・日勤教育と「エラーを犯したその後で」>