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大阪市の高校無償譲渡が控訴審で新たな論点浮上。松井市長の独断は地方教育行政法違反か

幸田泉ジャーナリスト、作家
旧大阪市立、現在は大阪府立の水都国際中学、高校=大阪市住之江区、筆者撮影

 大阪市が市立の高校22校を大阪府に一括して無償譲渡した問題は住民訴訟に発展しているが、大阪高裁の控訴審で「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地方教育行政法)違反という新たな論点が浮上した。大阪市立の高校群を大阪府に移管して府立高校とし、市公有財産台帳価格で約1500億円にのぼる土地、建物などを府に無償譲渡するにあたり、大阪市は地方教育行政法上の手続きを踏んでいない。原告側はこの点が違法だとする元大阪市教育委員の矢野裕俊・武庫川女子大教授の意見書を、11月初め裁判所に提出した。大阪高裁の判断が注目される。

大阪都構想が出発点だった高校移管

 明治からの伝統を持つ大阪市立の高校を大阪府に移管する計画は、大阪市を廃止して特別区に分割する「大阪都構想」の一環として進められてきた。「大阪市がなくなるのだから市立の高校は府立高校にするしかない」というのが高校移管の出発点だ。大阪都構想は2015年と2020年に行われた大阪市民の住民投票で2度とも否決され廃案になったが、松井一郎・大阪市長と吉村洋文・大阪府知事の方針で、高校移管は強引に実行された。

 高校移管計画は最初から土地、建物、備品などは大阪市が大阪府に無償譲渡することになっていた。売却や賃貸は検討すらされていない。大阪府は府立高校の統廃合を進めており、大阪市立の高校も府立になれば統廃合の波に飲み込まれるのは明らかで、廃校にして売却すればその代金は大阪府の収入になる。

 両首長の狙いは、高校群という巨額市有財産を大阪市から大阪府に移し替えることであり、大阪都構想と同様、大阪府による大阪市有財産の乗っ取りである――そう判断した大阪市民5人が2021年10月、「無償譲渡の差し止め」を求めて大阪地裁に住民訴訟を提訴。筆者も原告の1人だ。2022年3月、原告敗訴の判決が言い渡され、その翌月、高校移管、不動産等の無償譲渡が予定通り行われた。住民訴訟は松井市長らへの損害賠償請求に切り替わって控訴審に突入した。

 1審は提訴から半年後に移管が迫っていたためスピード審理になり、高校不動産の無償譲渡の違法性に争点を絞ったため、教育的観点からの議論なく進められた高校移管の異常性、大阪市が高校教育から撤退するのは大都市のあり方として妥当なのかという問題は法廷に登場しなかった。原告側はこの点を控訴審で主張するため矢野教授に協力を依頼。矢野教授が過去約10年の高校移管を巡る行政の意思決定を洗い出したところ、地方教育行政法上の問題が浮かび上がった。

高校教育撤退を総合教育会議で協議せず

 地方教育行政法は地方自治体の教育行政の基本を定めた法律だ。2014年に改正が行われ、首長による「大綱」の策定、首長が招集する総合教育会議の設置、教育長と教育委員長を一本化した新教育長の設置、などが決まった(2015年4月施行)。大綱とは教育、学術、文化振興について目標や根本方針を定めたもの。総合教育会議は首長と教育委員会で構成され、大綱の策定、変更のほか教育環境の整備のための施策などについて協議する。つまり、大綱は首長が策定するものではあるが、内容を変更する場合は総合教育会議で協議しなくてはならず、首長の独断で変更はできない。

 大阪市が市立の高校22校を手放し、高校教育から撤退するという重大事案が大綱や総合教育会議でどう取り扱われたのか矢野教授が調べたところ、総合教育会議では一度も議題になっていなかった。そして、大綱では大阪市が高校教育から撤退するどころか、逆に今後も充実させていくかのように書かれていたのだ。

教育振興基本計画に高校移管の記載なし

 大阪市は2011年に「大阪市教育振興基本計画」を策定し、地方教育行政法の改正で大綱の策定が義務付けられてからは教育振興基本計画を大綱としてきた。

 2次改訂が行われた2017年3月の大阪市教育振興基本計画は、市立の高校について「各高校が存在価値を一層高め、将来にわたって強みを発揮していくことができるよう、大阪市高等学校教育審議会等の場で検討を進めていきます」と記載されている。高校に関するこの記載は2020年3月版、2021年3月版も同様であり、大阪市立の高校が大阪府に移管される計画などないような書きぶりだ。

 しかし、実際には2019年4月に大阪府知事から大阪市長に転身した松井市長は同年5月の施政方針演説で「市立の高校は大阪府に移管します」と述べ、それ以降、府市でプロジェクトチームが立ち上がり、府市の教育委員会会議、大阪市戦略会議などを経て高校移管に向けた作業が進められていた。最終的に2020年12月、大阪市議会が2021年度をもって「大阪市立の高校の廃止」を議決したにもかかわらず、2021年3月の教育振興基本計画でもまだ高校は存続するかのような記載になっている。

市長に追従した大阪市教委にも責任

「裁量権を逸脱した松井市長と、市長に追随して議論を怠った市教委によって、大阪市は長年にわたり培ってきた実業教育という知的資産を失った」と話す矢野裕俊・武庫川女子大教授=筆者撮影
「裁量権を逸脱した松井市長と、市長に追随して議論を怠った市教委によって、大阪市は長年にわたり培ってきた実業教育という知的資産を失った」と話す矢野裕俊・武庫川女子大教授=筆者撮影

 矢野教授は「松井市長は教育行政上、極めて大きな問題を大綱(大阪市教育振興基本計画)に明記せず、総合教育会議での協議もしなかった。一方で、教育行政の権限を持たない市戦略会議で高校移管を決定している。これは地方教育行政法を無視し、市長の裁量権を逸脱するやり方だ」と指摘。さらに市教育委員会の責任にも言及する。

「松井市長が施政方針演説で高校移管を宣言したのは、市教委の所管事項に踏み込んだ著しい裁量権の逸脱であるのに、市教委はこの方針を受け入れ、高校移管の必然性や妥当性について全く議論していない。高校生の学びにどんな利点があるのか、どんな問題点があるのか、誰も説明していないし、議論にもなっていない。高校移管は市長の専決事項のように扱われ、市教委はそれを追認している」

 高校移管の出発点となった大阪都構想が住民投票で2度も否決されたのに、市教委が軌道修正することはなかった。矢野教授は「住民投票で示された住民の意思を受け止めることなく、高校移管を押し通そうとする松井市長に追従し、所管事項の議論を怠った市教委の姿勢は、教育行政の重大な責任放棄」と述べる。

 明治から大阪市は産業の発展を担う人材を育てる「実業教育」に力を入れ、戦後は工業高校、商業高校として市立の高校を整備。近年は、体育科、武道科などスポーツに特化したものや、調理師免許が取得できる食物文化科、会社経営の視点を取り入れたビジネス教育など特色ある取り組みを進めてきた。矢野教授は「実業教育や新しいタイプの専門教育の手法は長年にわたって培われた大阪市の貴重な知的資産であるのに、市長の独断と市教委の不作為によって投げ出されてしまった。高校移管は撤回されるべきだ」と結論付けた。

 高校無償譲渡の住民訴訟は12月20日午後3時から、控訴審の第2回口頭弁論が行われる。原告側は松井市長が独断専行的に進めた高校移管が、地方教育行政の鉄則を踏み外していたと主張していく方針だ。

ジャーナリスト、作家

大阪府出身。立命館大学理工学部卒。元全国紙記者。2014年からフリーランス。2015年、新聞販売現場の暗部を暴いたノンフィクションノベル「小説 新聞社販売局」(講談社)を上梓。現在は大阪市在住で、大阪の公共政策に関する問題を発信中。大阪市立の高校22校を大阪府に無償譲渡するのに差し止めを求めた住民訴訟の原告で、2022年5月、経緯をまとめた「大阪市の教育と財産を守れ!」(ISN出版)を出版。

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