名古屋MF稲垣のミドルは「Jリーグが世界に近づいた証」?ロシアW杯の教訓と「スペイン名将」の指摘
スペイン人指導者の指摘
スペイン人指導者とJリーグをスカウティングした時、しばしば指摘する箇所がある。
「コーナーキックの守りで、なぜ守備側はペナルティアークに人を置かないのか?これは失点も同然だ!」
その指摘は全く理にかなっている。キッカーが蹴ったボールをエリア内でどちらのチームの選手がコンタクトするのであれ、そのままシュートが決まるよりも、どこかにこぼれることが多い。完全にはクリアしきれず、正面にこぼれるのだ。
スペイン、リーガエスパニョーラではミドルレンジからのシュートを得意とした選手が必ずいる。彼らはスナイパーのような命中度で、こぼれ球を撃ち抜ける。つまり、直接エリア内で合わせるのと同じような得点の可能性があるのだ。
なぜ、Jリーグではペナルティアークに人を置かないのか?
そのディテールに、Jリーグの現実が見えてくる。
Jリーグのスタンダード
「必要ない」
それがJリーグの選手や指導者の明快な答えだ。
「他に割くべき仕事がある」
もっと端的に言えば、そうなるか。
ペナルティアークに人を置くよりも、エリア内での人手が足りない。マンマークの場合でも、ニアやファーポストにフリーマンも必要で、猫の手も借りたいといったところか。ゾーンで守る場合も、ストロングヘッダーには特別にマークに付く必要があるだろう。やはり、人手は足りない。
とどのつまり、ヘディングで撃ち抜かれることの方が飛び抜けて怖いのだ。
<こぼれをミドルで叩き込まれる可能性は低い>
そのジャッジが、これまでのスタンダードだ。
つまり、Jリーグにはミドルを叩き込めるだけのシューターが少なかった。こぼれから二次攻撃につなげられても、シュートがバーを越えてしまったり、強度を欠いていたり、隅を狙えなかったら、脅威にならない。撃たれるだけなら、警戒する必要もないのだ。
しかし、ミドルが脅威となりつつある。
グランパスMF稲垣が与える変化
名古屋グランパスのMF稲垣祥は、ミドルシュートを得意としている。腰が強く、ボールを叩く技術に優れ、枠に飛ばせる。後ろから入ってシュートする”当て勘”に優れているのだろう。その点が高く評価され、日本代表にもデビューし、いきなり得点を挙げた。
強弓の使い手のように、遠隔でゴールを撃ち抜ける。
今シーズン、稲垣は鹿島アントラーズ、ガンバ大阪との試合でコーナーキックのこぼれに対し、ペナルティアークでポジションを取って豪快に蹴り込んでいる。鹿島も、ガンバも、ペナルティアークに人を置いていなかった。稲垣はフリーでミドルを打てた。
大げさに言えば、「稲垣の登場はJリーグが世界に近づいた証」なのかもしれない。ミドルレンジのシューターがいることで、戦局は優位に動かせる。ボールを動かすだけでは崩れない。そこでラインを下げた相手に対し、遠くから打撃を与えられる。
何より、セットプレーで有力な武器の一つになる。ヘディングだけでなく、相手に的を絞らせない。それによって、守備の負担を広げられる。
稲垣が、”入れ食い状態”でミドルを叩き込み続けることで、セットプレーの攻め方のバリエーションが増える一方、必然的に守り方も成熟するだろう。守り方の工夫を凝らさなければならない。ミドルを打ち込まれ続けるなら、もはや戦術的ミスだからだ。
このサイクルは、サッカーの革新と言えるだろう。
イルレタの言葉
セットプレーに関して、日本サッカーはまだまだ未熟のままと言える。
例えばロシアワールドカップ、ラウンド16のベルギー戦、終了間際に得たセットプレーは象徴的だろう。コーナーキックのキッカーだった本田圭佑は、ショートコーナーの選択肢を捨てるべきではなかった。たとえ側にいた香川真司を使わなくても、もし選択肢を残していたら、近くにいたケビン・デブルイネがエリア内に下がって、カウンターも打てるポジションを取ることはなかっただろう。素直にボールを蹴り、簡単にGKにキャッチされ、息の根を止められたのだ。
相手に選択肢を絞らせず、幻惑し、打撃を与えられるか――。そのしたたかさが問われる。
何気ないプレー判断に、世界との差はある。
15年ほど昔になるが、名将ハビエル・イルレタにビデオを見せた時、厳しい指摘をしていた。ゴールにかかわる決定的なプレーではなかった。コーナーキックでゴールポストに立つ人が、ボールがまだ十分にクリアされていない段階で動いた時のことだ。
「この選手は何をしているんだ?これではそこに立った意味がない。GKもチームも、そこに立った前提で守っている。その規律を守れないなら、守備は成り立たない」
実に論理的だった。トッププロの世界では明記されない掟があって、それぞれに役割がある。
そして、こうした基本的な戦術ミスは今も消えていない。
壁は動いてはならない
「壁は壁だ」
そのフレーズも、掟の一つと言えるだろう。
例えばフリーキックで壁に入った選手が、蹴ったボールに対し、体をひねってジャンプする。それは強い叱責を受けるべきだろう。壁は壁で、ジャンプするなら高さを変えるだけで一斉であるべきで、決して壁が割れてはならない。個人の気まぐれで動くなど言語道断だ。
「体をひねって、ボールにぶつけようとした」
そんな言い訳は成り立たない。GKにとっては目隠しで殴られる気分だろう。
たとえ失点しなくても、見逃されるべきではない。責任の所在を明確にし、厳重に注意を受けるべきだろう。例えば「なぜシュートを外したか」などは技術的問題で改善は簡単ではないが、原則を守ることによって、強さは積み上げられるはずなのだ。
もっとも、こうしたプレーは実際に失点を浴びないと学べない。結果オーライになってしまうからだろう。痛い思いをしなければ、守るべき掟にならないのだ。
掟を守ることによって、サッカーはディテールを積み上げ、イノベーションにつながる。
ミドルシュートとセットプレーの相関関係は、その一例だ。
セットプレーでこぼれを拾ったシューターが、ペナルティアークからネットを揺らす。そのたび、Jリーグのサッカーを戦術的に高めることになるだろう。今は進化のプロセスだ。