秋の解散総選挙説を強める公明党の第2次公認 次期代表候補の遠山氏は神奈川6区へ
小選挙区の公認9名が決定した
政権の一翼を担う公明党の動向は、解散総選挙時期のバロメーターとしてもっとも重視すべきひとつといえる。その公明党は7月2日、次期衆議院選にむけて選挙区8人、比例区4人の第2次公認を発表した。
北海道10区の稲津久氏、大阪3区の佐藤茂樹氏、同5区の国重徹氏、同6区の伊佐進一氏の公認は従来通り。同16区の北側一雄元幹事長は67歳で党内の“定年”に引っかかるが、“特例”として次回も擁立することになった。兵庫2区の赤羽一嘉国土交通大臣や同8区の中野洋昌氏も変わりない。
次期代表候補の遠山氏
注目されたのは神奈川6区の遠山清彦財務副大臣だ。 遠山氏は英国ブラッドフォード大学大学院で取得した平和学博士号を掲げ、2001年の参議院選挙で比例区で初当選。「青年部が『自分たちの代表を出そう』と声を上げ、遠山氏が抜擢された」と、当時の公明党関係者は教えてくれたことがある。かつて青年部で「公明党のプリンス」と言われた太田昭宏前代表の再来として、当時から「将来の代表候補」として見なされていた。
しかしその道のりは容易ではなかった。2007年の参議院選で比例区で再選されたものの、次点の草川昭三氏を繰り上げ当選させるために議員辞職。2009年の衆議院選で九州ブロックで単独出馬したが、次点に泣く。その遠山氏に議席を与えるため、2010年4月に神崎武法元代表が議員辞職した。
世代交代への布石か
そして今回、神奈川6区では上田勇氏は比例にまわり、遠山氏は初めて選挙区を持つことになった。上田氏は当選7回のベテランだが、2000年、2009年、2017年の衆議院選では同区で落選(うち2000年は比例復活)。2017年の衆議院選で連合神奈川や共産党の支援も付いた立憲民主党の青柳陽一郎氏に勝利するためには、思い切って若返る必要があるのだろう。
と同時に、「これは遠山氏が代表になるための試練だ」との声も。実際に太田前代表も、2003年の衆議院選で東京ブロック比例単独から東京12区に鞍替えして当選した後、2006年に代表に就任している。
ところが2009年の衆議院選で太田氏は落選。代わりに代表に就任したのが現代表の山口那津男氏だ。
“ピンチヒッター”であったはずの山口体制が10年以上も続いたのは、東大法学部卒の弁護士という経歴とさわやかな外貌。だが代表就任当初、山口氏が全国的な知名度がなくて苦労したという話もある。
というのも山口代表は小選挙区比例代表並立制となった1996年の衆議院選から2度続けて東京17区で落選。相手は選挙に強いことで知られる平沢勝栄衆議院議員だった。
だが1995年の参議院選で106万票を獲得した魚住裕一郎氏(当時新進党)を比例区にまわして、2001年の参議院選で東京選挙区で当選。いまではすっかり「公明党の顔」になったが、今月68回目の誕生日を迎える山口代表にも、世代交代の時期は迫る。
すでに太田元代表は昨年5月、次期衆議院選で東京12区から出馬しないことを表明。後任に岡本三成衆議院議員が決まっている。
選挙準備は着々と
神奈川6区の候補に決まった遠山氏は、夫人の実家が旭区にあり、本人も短期間ながら住居していたこともあったらしい。また実弟も同区内に住んでおり、地縁がないわけではないようだ。
「北海道10区の稲津氏は立憲民主党の神谷裕氏に500票差という僅差に迫られた。東京12区と神奈川6区は新しい候補擁立のため、名前が浸透していない」
確かに公明党内で早期解散説に危惧する声もある。その一方で次のような声も。
「来年は(公明党の本命の)東京都議選が控えている。解散総選挙をするなら、今年の秋しかない」
とすれば、将来の代表が出馬する神奈川6区は絶対に落とせない選挙区になるはずだが、あと数か月で準備は整うのか。
「神奈川6区で遠山氏を擁立する件はすでに連休前に内定していた。ただコロナ禍のため、表だった活動はできなかった」
公明党が9つの小選挙区の公認候補を発表したのは2017年は9月21日で、2014年は11月19日。いずれも衆議院選のおよそ1か月前だ。着々と衆議院選の準備を進める公明党。いつ解散があってもおかしくない。