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7月3日。「中田英寿の引退から10年」で、フランスの空に想う

杉山茂樹スポーツライター

ユーロ2016の取材でフランス各地を訪問中だ。会場のひとつであるリールにも再三、足を運んでいるが、そこでこの町の名誉市民で、日本代表監督、ヴァイッド・ハリルホジッチの姿を確認することもできた。

リールとハリルホジッチと日本人――。この関係で想起するのが、2001−02シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)だ。

その予備予選3回戦「パルマ対リール」のホーム&アウェー戦、それぞれの現場に僕はいた。パルマの一員として、中田英寿が突破をかけて出場したからだが、相手方であるリールの監督がそれから10数年後、日本代表監督の座に納まることになるとは、そのとき、つゆも思わなかった。

パルマはリールに対して、絶対優位と言われていた。前シーズン(2000−01)のセリエA4位チームながら、メンバーは豪華。世界的に名の知られた選手ぞろいだった。当時のセリエAは、欧州ランキング首位の座をスペインに譲っていたとはいえ、欧州にあっては”花形”で、パルマを含むその上位7クラブは、「ビッグ・セブン」と呼ばれていた。そのいずれのチームが出場しても、CL本大会で16強以内を狙う力を備えているように見えた。

予備予選3回戦は突破して当然。しかも相手は、フランスリーグ(2000−01)3位のチーム。2部から昇格し、いきなり3位になった昇り調子のチームとはいえ、メンバーの顔ぶれを比較すれば、波乱が起きそうには見えなかった。

中田英はこのシーズンの初め、ローマからパルマに移籍してきた。移籍金は30億円超と高額で、そこにパルマの彼に対する期待のほどが現れていた。

もっとも、前シーズンの終盤まで、中田英の評価は低かった。その1年半前、ペルージャからローマに移籍したときに発生した金額は20億円超。それがそのとき、10億円でも買い手がつかないほどに下落していた。

フランチェスコ・トッティにトップ下のポジション争いで敗れ、ベンチを温める機会が増えていたからだ。だが、その状況はシーズン終盤のユベントス戦で一変した。

ローマはそのとき、セリエAで首位に立っていた。だが、ユベントスが猛追中で、その差は急速に詰まっていた。ローマホームのこの直接対決も、後半なかば過ぎまで0−2でリードを奪われていた。18年ぶり3度目の優勝を狙うローマには、極めて危険な流れにあった。黄色信号は、今にも赤信号に変わりそうな雲行きだった。

そこでローマの救世主になったのが、中田英。後半の途中、交代出場でピッチに登場すると、アレッシオ・タッキナルディからボールを奪い、鮮やかなロングシュートを左隅に決めた。さらに、中田英は終了間際にもう1本、インステップで矢のような強シュートを放つ。GKがセーブしたこぼれ球を、ヴィンチェンツォ・モンテッラが押し込み同点。中田英は、自らの力で試合を引き分けに持ち込み、ユーベの猛追を止めることに成功した。

18年ぶり3度目の快挙に大きく貢献した中田英。その株は、これで一気に上昇。10億円でも買い手がつかない状況からまさに一転、30億円超で翌シーズン、パルマに移籍することになった。

昨季、レスター・シティの一員としてプレミアリーグ優勝に貢献した岡崎慎司が話題を集めたが、15年前のローマ優勝時における中田英は、その比ではなかった。「NAKATA」の知名度は、国内レベルを超えた欧州全土的な広がりをみせた。そうした意味で、現在の「HONDA」をも上回っていた。

このとき、CLの舞台に立ったことのある日本人はひとりもいなかった。2001−02シーズン、パルマに移籍した中田英をCLの予備予選の段階から追いかけた理由は、日本人初のチャンピオンズリーガー誕生の瞬間を、この目で見たかったからだ(※前身のチャンピオンズカップには奥寺康彦が出場している)。

このシーズンから小野伸二、稲本潤一も欧州に渡っていた。前者所属のフェイエノールト、後者所属のアーセナルともに、本選にストレートインする権利を持っていたが、中田英のようにスタメンを確保していたわけではなかった。

日本人初のチャンピオンズリーガーは誰か――は、そのときもっとも訴求力のあるテーマだった。本命・中田英は、しかしリール相手に大苦戦を強いられた。パルマホームの初戦を、なんと0−2で折り返してしまう。そして、リールでの第2戦も1−0。通算スコア1−2で、パルマはリールの軍門に下った。

中田英は1戦、2戦ともほとんど活躍できなかった。相手のリール監督ハリルホジッチが、彼に専用でマーカーをつけたことと大きな関係がある。

パルマは選手の名前では勝ったが、サッカーゲームの戦い方で負けた。そのサッカーは守備的で、リールのサッカーは攻撃的。パルマに限らず、これは当時のセリエA全体の傾向で、欧州のその他の国々が攻撃的サッカーに染まるなかで、異質な存在だった。攻撃的サッカーと守備的サッカーが対戦すれば、攻撃的サッカー有利。パルマ対リールは、時の欧州サッカーを象徴する一戦でもあった。

パルマを倒したリールの監督――。ハリルホジッチをひと言で言い表すなら、そうなる。

一方、日本人初のチャンピオンズリーガーの快挙を達成したのは、アーセナルの稲本だった。監督のアーセン・ベンゲルが意外なタイミングで交代出場させたので、その瞬間に立ち会った人は思いのほか少なかった。

第2号になった小野は、フェイエノールトでスタメンも確保。そのシーズン、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)の決勝に進出した。ドルトムントとの決勝戦を取材に訪れた日本人記者の数は40名以上。全体の4分の1を占めた。日韓共催W杯が開催されたのはその直後。日本サッカーは、このころのほうが現在より圧倒的に盛り上がっていた。

中田英は結局、チャンピオンズリーガーにはなれなかった。パルマに移籍する際に発生した30億円強の移籍金が、ネックになったことは間違いない。それ以上の昇りの階段が中田英に用意されることはなかった。

中田が引退したのは29歳で、それから10年が経過するが、リール戦の敗戦は返す返すも痛く感じる。日本人初のチャンピオンズリーガーになっていれば、あるいは中田英は、現在も現役でいた可能性がある。中村俊輔がそうであるように、息の長い選手として。僕はそう見ている。ハリルホジッチは罪作りなことをしたものだ、と。

だが、それこそが勝負の世界。プロの世界だ。その現実は厳しいとはよく言われるが、身体は動くのにプレーするに相応しい場所が見当たらなくなった中田英のこの一件は、象徴的な事例と言っていい。

昨季、日本人チャンピオンズリーガーの数は「ゼロ」だった。これも10年ぶりの出来事だ。来季(2016−17)は岡崎に加え、香川真司もその舞台に復帰することになるだろうが、かつての勢いは感じられない。数的にもまるで伸びていない。もっと語られるべき話だと思うが、語ろうとする人は思いのほか少ない。

中田英でもうひとつ思い出すのは、五輪だ。シドニー五輪の準々決勝、対アメリカ戦。日本サッカー史に残る好ゲームのひとつとの認識が、僕にはある。スコアは延長を経て2−2。決着はPK戦に委ねられた。

中田英が4人目のキッカーとして登場したとき、その背中を見て、僕は硬いなと感じた。悪い予感は的中。彼は唯一の失敗者として、名を刻むことになった。

時は2000年9月23日。欧州のシーズンはとうに開幕していた。セリエAも例外ではない。前シーズンの途中、ペルージャからローマに移籍してきた中田英にとって、ここは勝負のときだった。スタメン獲得に向け、シーズン前のキャンプの段階から監督のファビオ・カペッロにアピールする必要があった。「シドニー五輪出場より、ローマでのスタメンを目指せ!」。僕はそう主張した。「そのほうが長い目で見たとき、日本サッカー界の財産になる」と。

中田英のPK失敗で、日本はメダル獲得の可能性を逃した。中田英は所属のローマで、トッティとのトップ下争いにも遅れを取ることになった。歯車が狂い始めた瞬間だったのかもしれない。

ユーロ2016の取材でリールを訪れるたびに、頭を去来する話だ。さすがに今、オーバーエイジ枠で「本田、香川、岡崎をリオ五輪へ」という声が湧くことはないが、その意識の変化の幅を大きいと捉えるか、小さいと捉えるか。

断然後者だと、僕は思う。この10年、日本は大して変わっていない。むしろ停滞中。チャンピオンズリーガーの数に、それは現れていると思うのだ。

(初出 集英社 Web Sportiva 7月3日掲載)

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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