【三田市】三田藩を治めていた九鬼氏の歴史が学べるパネル展開催中
みなさんは戦国時代、最強と言われ恐れられた九鬼水軍をご存知でしょうか?
三田藩を治めていた九鬼氏は、なんとこの九鬼水軍の末裔なのです。
三田ふるさと学習館では、九鬼氏の歴史が学べるパネル展「室町〜戦国時代の三田」が開催されています。歴史が好きでどんなパネル展なのか気になり見に行ってきました。
パネル展は三田ふるさと学習館の入り口を入り、左手の廊下の奥にある学習室で開催されています。
水軍として織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康に仕え参戦し、どんな船を造ったのか? しかし、なぜ水軍だった九鬼氏が海のない三田藩へと移ることとなったのか? さらに三田藩に移った後の歴史がパネルで紹介されています。
また、とても精巧に作られた船や陣屋の模型もありました。
日本丸(鬼宿丸)模型(三田市民制作)
九鬼水軍を率いていた志摩鳥羽藩主で、九鬼氏第11代当主・九鬼嘉隆が建造した大型安宅船は当初「鬼宿(きしゅく)丸」と命名されました。しかしその後、もっとも優れた船として秀吉の指示で「日本丸」へ改名されました。文禄の役で日本水軍が多くの船舶を失うなか、損傷を受けながら生き残り日本に帰還しました。
模型ですが本物はとても大きな船だったんだろうなということがわかります。戦国時代にこんな立派な船を造る技術があったのだと思うと九鬼嘉隆の造船技術の凄さが伝わります。
江戸時代の三田藩陣屋
初代摂津三田藩藩主で九鬼氏第13代当主・九鬼久隆は3万6000石と無城の家格だったため陣屋が建てられました。
陣屋の間取り
陣屋模型と間取りは隣同士に並べられているので、どこに何があったのか確認しながら見ることができます。この陣屋跡地には現在、三田市立三田小学校が建っています。小学校の校門の前には「三田城跡」の碑が建てられ、校長室の下には今も台所跡がそのまま残され保存されています。私はこの台所跡を小学生の時に当時の校長先生に見せていただいたことがあります。
そういったこともあり、どの部屋が小学校のどの辺りに当たるのかを想像しながら模型と間取りを見ていました。
現在、水軍時代に鳥羽城主として治めていた三重県鳥羽市と三田市は、ともに九鬼氏の治めていた地という縁で友好都市として親交を深めています。
「室町~戦国時代の三田」パネル展は、7月28日まで開催中です。三田藩を治めていた九鬼氏の歴史に興味のある方は是非、訪れてみてください。開催期間は夏休み期間中も含まれていますので、夏休みの自由研究のテーマにしてみるのも良いかもしれませんね。
三田ふるさと学習館
住所:兵庫県三田市屋敷町7-33
電話番号:079-563-5587
開館時間:午前10時~午後5時
休館日:月曜日(月曜日が休日にあたる場合は翌平日)年末年始(12月28日~翌年1月4日)
ホームページ:三田ふるさと学習館