相模原事件、責任能力が争点、1月8日初公判:責任能力とは、心神喪失とは、
■相模原19人殺害事件 1月8日初公判 責任能力が争点に
■責任能力とは/心神喪失とは
刑法の大原則が、「責任のないものは罰しない」です。「責任があとうとなかろうと、自分の行為の責任をとれ!」とは、現代社会の法律では考えないのです。もちろん、それでは納得できないと感じる被害者がいるのも当然ですが。
責任能力がない場合の一つが、精神障害による責任能力の低下です。
刑法第39条には、次のようにあります。
- 心神喪失者の行為は、罰しない。
- 心神耗弱(こうじゃく)者の行為は、その刑を減軽する。
心神喪失とは、精神の障害によって善悪の判断ができない、あるいは判断できても自分の行動をコントロールできない状態のことです。
心神耗弱とは、心神喪失ほどではないけれども、善悪判断や行動制御の力が弱っている状態です。
たとえば、妄想によって自分が天皇陛下の子供だと思い込み皇居内の立ち入り禁止の場所にに入り込もうとしたり、錯乱状態で全裸で街中を歩いたりしても、心神喪失であるなるば、刑事罰を受けないことになります。
刑法39条に関する世間からの批判で、「凶悪犯罪など起こす人は、みんな精神がおかしいのだから、みんな無罪になってしまうだろ」という意見があります。確かに心が乱れている状態だったり、何らかの診断名がついたりすることは少なくないわけですが、だからといってみんな心神喪失により無罪になるわけではありません。
心神喪失と、「変わり者」や「怒りに我を忘れ」などとは異なります。
■相模原事件の公判
上記の記事によると、「自己愛性パーソナリティー障害」、「大麻精神病」などの診断名があがっています。パーソナリティ障害は、個性の枠を超えた大きな性格の偏りですが、パーソナリティ障害で心神喪失が認められることは今までなかったと思います。
精神病(統合失調症)により責任能力が問われたケースは多くありますが、「大麻精神病」での心神喪失のケースは聞いたことはありません。
この2つの診断名から責任能力を問題とするのは、難しいかと思います。
■相模原事件と心の病
被告は事件前に措置入院(強制入院)をしています。その際には、「大麻精神病」「非社会性パーソナリティー障害」「妄想性障害」「薬物性精神病性障害」などの診断を受けたと報道されています。
彼は、障害者に対する極端な差別的思想だけでなく、その自分の考えをきちんと説明すれば、友人や政治家らも理解してくれるはずだという極めて非常識な(一部の診断名にもあるように妄想的な)確信を持っていたと報道されています。
この事件を考えるときに、精神科的な問題を無視して考えることはできないでしょう。一方、全てを精神障害によって説明しようとするのも、事実を歪めるように思えます。
■法定戦術と責任能力
有罪ならば死刑しか考えられない、事実関係も争えないし、情状酌量など考えられない。そんな裁判において、死刑を免れるためには責任能力を問題にするしかないとしたら、法廷戦術として責任能力を問題とするのは許されることでしょうか。
障害者に対する不当で違法な扱いは許されません。障害を持つスポーツマンも、サラリーマンも、違法行為をした人の場合も同様です。精神障害者の権利も守られなければなりません。責任能力の無い者を罰しないのが、刑法の定めです。正しい精神鑑定や、正しい判決がもちろん必要です。
しかしその一方で、単なる法廷戦術、単なる時間稼ぎとして精神鑑定や責任能力の有無を使うのは、それは精神鑑定の濫用ではないかと思います。それは、決して精神障害者の権利を守ることにはならないと思います。
相模原事件は、社会的インパクトの大きな事件でした。事件の解明、被告人への正しい判決とともに、裁判を通して社会全体が学ぶべきことも多々あることを忘れたくはありません。