この夏見ておきたい!木造駅舎の建て替えが進む秋田県の絶滅危惧駅舎
老朽化などにより全国各地で姿を消す木造駅舎。特に建て替えが進んでいる地域の一つがJR東日本の東北エリアで、ここ30年ほどで多くの木造駅舎が消えた。秋田県を中心に青森県と山形県の一部を管轄するJR東日本秋田支社はJR東日本の中でも特に駅舎の建て替えに熱心な支社で、近年(平成26年以降)では羽越本線の女鹿駅・上浜駅・羽後本荘駅、奥羽本線の三関駅・湯沢駅・柳田駅・大久保駅・羽後飯塚駅・大館駅・川部駅・津軽新城駅、男鹿線の脇本駅・羽立駅・男鹿駅、五能線の向能代駅・北金ケ沢駅・鶴泊駅で駅舎の建て替えを行っている。また、建て替えまでは行かないものの、奥羽本線・男鹿線の追分駅、羽越本線の新屋駅、五能線の陸奥森田駅で駅舎の大規模な改装が行われた。だいたい一年に一駅か二駅の建て替えを行っているといったところで、残る駅舎も余命は長くないだろう。この記事ではそんな秋田支社管内を中心に、秋田県内のJR各線に残る木造駅舎を紹介していこう。ただし、近年に改装済みで今後も残る可能性が高い駅舎は除いた。
羽越本線
羽越本線は新潟県の新津を起点に、山形県庄内地方の鶴岡、酒田を経て秋田駅までを結ぶ日本海沿いの幹線で、秋田県内では折渡、羽後亀田、新屋、羽後牛島の4駅に木造駅舎が残っている。
折渡駅は秘境駅として鉄道ファンに人気のある駅で、昭和32(1957)年9月28日に信号場として開業した。分割民営化時に正式な駅となったが、開業時に建てられた木造モルタル駅舎を使い続けている。駅舎は保線作業員の詰所も兼ねており、内部にはロッカーや流し台が置かれている。
羽後亀田駅は岩城家亀田藩2万石の城下町・亀田への玄関口だが、町から離れた田園地帯の中にポツンとある駅だ。大正9(1920)年7月20日開業時に建てられた駅舎は寒冷地らしく風除室を設けた造りで、新屋駅もほぼ同型だ。松本清張の名作『砂の器』に登場する駅で、同作の映画版・ドラマ版にも登場する。丹波哲郎・森田健作出演の映画が公開されてから今年で50年だが、駅舎は今も当時の面影を留めている。ただし、無人化や発着ホームの1番線への集約、駅前ハイヤーの撤退などで近年一気に寂しくなってしまった。
秋田駅の隣、羽後牛島駅にも昭和19(1944)年6月に建てられた木造駅舎が残っている。ただし、駅舎としての機能はホーム上に新しく造られた駅舎の方に移転しており、旅客が立ち入れるスペースに関してはもはやもぬけの殻だ。ただし、事務室の方はJRの系列会社が事務所として活用されている。活用されているので今すぐに解体されるということはないだろうだが、築年数を考えれば解体して駅舎ではない純然たる事務所として建て替えという可能性も考えられなくはない。
奥羽本線
奥羽本線は福島を起点に山形県内陸部と横手盆地を縦断し、秋田、能代、大館、弘前を経て青森までを結ぶ幹線で、秋田県内では上湯沢、下湯沢、飯詰、峰吉川、追分、鶴形、早口に木造駅舎が残る。
上湯沢駅は昭和31(1956)年11月28日開業。時代的には木造駅舎から鉄筋コンクリート造駅舎への移行期で、木造駅舎としては比較的新しいものにあたる。とはいえ築70年近いため、いつ建て替えられても不思議ではないだろう。建物財産標には「昭37年2月」の文字があるが、おそらく誤記と思われる。
下湯沢駅は上湯沢駅と同日に開業したいわば「双子」の駅で、駅舎のデザインもよく似ている。建物財産標には「昭31年11月」の文字があり、同一デザインの上湯沢駅も同時に建てられたものと思われる。両駅を見比べて双子駅舎の共通点と相違点を探してみるのも楽しいだろう。
飯詰駅には昭和17(1942)年4月に建てられた木造駅舎が残されている。戦時中の駅舎らしく装飾を排したシンプルなデザインだ。車寄せの柱に掲げられた縦書きの駅名標が珍しい。利用者が多い駅だけあって今も窓口が維持されているが、築82年ということを考えれば今のうちに見ておいた方がいいだろう。
峰吉川駅は昭和5(1930)年6月21日に信号場から正駅に昇格。駅舎はその時建てられたもので、こじんまりとした印象を受ける。左手前に張り出した部分は宿直室だったと思われる。利用者は多くないものの今も簡易委託の窓口がある。こうした窓口は委託職員の高齢化や駅利用者減少などを理由に廃止されることが多く、そうして無人化された後に駅舎が簡素化というのがよくあるパターンだ。
鶴形駅は昭和27(1952)年1月25日に仮乗降場から昇格した駅だ。建物財産標には昭和32(1957)年9月の日付があるが、駅舎のデザインから見て昇格時のものだろう。全国的に見ても珍しい高床式の駅舎で、現在は階段位置が変更されている。
二ツ井駅は合併で能代市となった旧:山本郡二ツ井町の玄関口で、特急も停まる主要駅だ。駅舎は建物財産標によれば昭和13(1938)年8月に建てられたもので、昭和35(1960)年に一部改築の記録がある。特急停車駅らしく立派な駅舎で、待合室も広い。跨線橋も年代物で、ホーム上には煉瓦造りのランプ小屋が残っている。
早口駅は大館市と合併した旧:北秋田郡田代町の玄関口で、かつては特急も停車していた。昭和29(1954)年6月に建てられた駅舎は天井の高い立派なもので、三角屋根が目を惹く個性的なデザインだ。壁の一部が煉瓦積みなのも興味深い。この駅にも煉瓦造りのランプ小屋が残されている。
北上線
北上線は岩手県南部の北上から奥羽山脈を越えて横手とを結ぶローカル線だ。駅舎の建て替えが進んでいる路線で、木造駅舎は黒沢駅にしか残っていない。
黒沢駅は岩手県との県境に近い駅で、大正10(1921)年11月27日開業時に建てられた木造駅舎が現役だ。北上線では最後の木造駅舎で、もしこの駅が建て替えられれば線内から木造駅舎は消滅となる。ちなみに同名の駅が同じ秋田県内の由利高原鉄道鳥海山ろく線(由利本荘市)にもあって、少しややこしい。
花輪線
花輪線は盛岡に近い岩手県の好摩を起点に八幡平、鹿角を経て大館に至る路線だ。秋田県内を走る区間も大館駅付近を除いて盛岡支社の管轄である。木造駅舎は県内では湯瀬温泉、鹿角花輪、十和田南、大滝温泉、東大館に残っている。
湯瀬温泉駅は岩手との県境を控えた山間の温泉地・湯瀬温泉の玄関口で、秋田県最東端の駅だ。駅舎は昭和6(1931)年10月17日開業時のもので、令和3(2021)年12月1日に無人化されたことを考えると、そろそろ簡易駅舎に建て替えられてもおかしくない。
鹿角花輪駅は鹿角市の代表駅で、花輪線の駅名の由来にもなっている大きな駅だ。昭和14(1939)年4月に建てられた木造駅舎は主要駅らしい風格を備えており、みどりの窓口も設置されているが、KIOSKや駅そば店の撤退で近年寂しくなった。駅前は車が多いので、きれいに撮りたいなら早朝の方がいいだろう。
十和田南駅は全国的に見ても珍しい平地のスイッチバック駅で、列車は当駅で進行方向を変える。そんな駅の性格や十和田湖への玄関口であることゆえに、周辺駅が無人化される中でも駅員が配置されていたが、今年の4月1日からついに無人化されてしまった。昭和10(1935)年7月6日改築の駅舎は主要駅らしい立派なものだが、その大きさゆえにガランとして寂しい印象を受ける。かつては駅舎の前にバス停の屋根が増築されていたが、撤去されて駅舎の全体像が分かりやすくなった。併設されている便所は石積みで、これも風格が感じられる。無人駅には過剰な駅設備なのでいずれ簡素化されることだろうが、このまま消えてしまうにはあまりに惜しい名駅舎だ。
大滝温泉駅はその名の通り大滝温泉の玄関口だが、ホテルの廃業により今では営業している宿も1~2軒だという。大正4(1915)年1月19日開業時に建てられた駅舎は、平成17(2005)年11月に事務室部分の一部が減築されている。花輪線の前身・秋田鉄道時代から残る貴重な駅舎だ。
大館の一駅手前・東大館駅はその名前に反して大館駅よりも大館市の中心部に近い。昭和3(1928)年に建てられたとされる駅舎は端正なスタイルで、筆書きの駅名標が風格を醸し出している。大滝温泉同様に秋田鉄道時代の貴重な駅舎だが、老朽化により大館市主導での建て替えが検討されている。
以上、秋田県内の絶滅危惧駅舎を紹介してきたが、今見ておいた方がいい駅舎は他の県にもあるので、また折を見て紹介したい。この夏は暑さに気を付けながら、秋田の木造駅舎を巡ってみるのはいかがだろうか。
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