チャーロ兄弟の誤算 〜ブルックリン開催の双子王者揃い踏み興行は意外な内容、結果に
12月22日 ブルックリン バークレイズセンター
WBC世界ミドル級暫定タイトル戦
ジャモール・チャーロ(アメリカ/28歳/28戦全勝(21KO))
12回判定(119-108. 116-112, 116-112)
マット・コロボフ(ロシア/35歳/27勝(13KO)2敗)
WBC世界スーパーウェルター級タイトル戦
トニー・ハリソン(アメリカ/28歳/28勝(21KO)2敗)
12回判定(116-112, 115-113, 115-113)
ジャーメル・チャーロ(アメリカ/28歳/31勝(15KO)1敗)
それぞれのタイトル戦
「アル・ヘイモン傘下のスター選手がこういった負け方をするなんて・・・・・・」
セミファイナル終了後、FOXのあるスタッフが驚きを隠さずに筆者にそう述べた。正直な思いの吐露だったのだろう。アル・ヘイモンと地上波FOXの新シリーズの第1回は、双子王者であるチャーロ兄弟の”ショウケース”の趣を呈していた。両者の魅力をお茶の間にアピールし、目玉にしていこうという意図は容易に見て取れた。
ところがーーー。蓋を開けてみれば、ジャーメルとジャモールはともに大苦戦を味わう。弟のジャーメルは疑問の残る判定で王座陥落。ハリソンのスピード、スキル、カウンター戦法に苦しんだジャーメルだったが、最終的には無難に小〜中差の判定を握ったように見えただけに、判定結果は意外なものだった。
一方のジャモールは代役挑戦者コロボフの挑戦を何とかかわしたが、一部から“地元判定”の声が出たほどの大接戦。FOXのプレミアイベントは、視聴者にアクションを供給するという意味では成功だったかもしれない。しかしこの夜の結果によって、今後に向けたストーリー作りは混沌とした感は否めなかった。
2人の評価
近年のボクシング界において、チャーロ兄弟は最大級の“エニグマ(謎)”とされてきた。最近は2人揃って豪快KOを量産。その身体能力は出色で、エリート級に勝つ前から「それぞれの階級で最高級の選手なのではないか」と目されてきた。
しかし、ここで2人はそれぞれ苦戦を味わい、うなぎ登りだった評価にひとまず歯止めがかかることは間違いない。
チャーロ・ブラザーズの名誉のためにいうと、両者の対戦相手は少々不当なまでに過小評価されていた選手ではあった。コロボフは元アマの超エリートで、プロでの唯一の世界タイトル戦でもアンディ・リー(アイルランド)にKO負けする直前までは絶対優位に試合を進めていた。寸前に変更された代役選手だったという点でも、王者に同情の余地はある。
また、ハリソンもタフネス以外はハイレベルの好ボクサーであり、昨年2月のジャレット・ハード(アメリカ)戦でもストップされるまでは互角に近い健闘を続けていた。
ただ・・・・・・挑戦者たちの実力を評価した上でも、2人の王者がともに相手のカウンターに苦しみ、空回りする姿の印象が良くなかったことは否定できない。そして、1戦ごとに評価や商品価値が大きく変わるのがボクシングの特徴でもある。
今回の試合の後、ジャモールをサウル・アルバレス(メキシコ)やゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)と同等の実力者と見るものは少なくなるだろう。2年以上も守ってきた王座を失ったジャーメルにとって、言うまでもなく痛恨の敗北。視聴者の多い地上波放送での拙戦という意味でも、チャーロ兄弟にはなおさら厳しい週末となった。
2019年のプランは
今回のハリソン戦に勝っていれば、ジャーメルは来夏頃にハードとの3団体統一戦に臨むことが内定していた。挑戦者の形での実現の線は残ってはいるが、無冠のまま挙行すれば興行のスケールダウン、報酬の激減は必至。だとすれば、ハリソンとの再戦オプションを持つ‘ジャーメルはダイレクトリマッチに向かう可能性が高い。
一般的に今回は“チャーロに不運な判定”と考えられているだけに、早期の再戦ではジャーメル有利との予想が出そう。ただ、戴冠と同時に自信を得たハリソンは侮れまい。スターダムに残るという意味では、ダイレクトリマッチはジャーメルにとって早くも後のない大一番になるはずだ。
トップ戦線に残ったジャモールの方は、ここで苦戦を経験したことが実はマッチメーク面では幸いに働いても不思議はない。ピークにいる強豪同士の直接対決は実現しづらいのがボクシング界の通例。ただ、快進撃を続けてきた選手が弱みを見せると、不意にビッグファイトが決まったりするのはあることだ。
そういった意味では、ミドル級でも不気味な存在だったジャモールにとって、2019年は実はステップアップのチャンスか。少々皮肉な話だが、久々の苦戦のおかげで、現在TVフリーエージェントで今後が不確かなゴロフキン、ジェイコブス、セルゲイ・デレヴャンチェンコ(ウクライナ)といったトップ選手たちとの対戦に少し近づいたという見方もできるのかもしれない。