非会員家庭の子は登校班に入れません、コサージュをあげません――PTAの対応は何が間違っているのか
近年、全国でPTA退会者が増えるなか、一部ではあるが「退会者の子どもには、PTAで提供しているサービスを与えません」などと告げるケースが生じている。退会を伝えると「それなら卒業式にPTAで配っているコサージュをお子さんにあげません」(*)とか、「運動会のとき、PTAで買ったテントにお子さんを入れてあげません」などと言われるのだ。
昨日も筆者はある媒体で、PTA退会者の子どもが登校班(子どもが集団で学校に登校する仕組み)から排除されるトラブルについて取り上げた。ヤフーへの転載記事には4,000件を超えるコメントがつき、このなかには「PTAに入らないなら子どもが登校班に入れないのは当たり前だ」とする内容のものも少なからずあった。
だが、それは「当たり前」ではない。非会員の子どもにサービスを与えないのは、PTAとして間違った対応だということは、ここYahoo!個人でも繰り返し指摘してきた通りだ。
いま一度確認しておきたいのだが、PTAは本来「やりたい人がやる」、つまり任意で加入・活動する団体だ。これまでは本人の意思を無視した加入・活動強制が多く、保護者、特に母親たちからおそれられてきたが、実際のところ、PTAが加入・活動を強制できる法的根拠はゼロだ。
またPTAは「会員サービス」を行う団体でもない。学校のなかで、会員サービスをする団体が活動していたらおかしい。学校長は、PTAがもし会員サービスをするのであれば、教室でPTAのお手紙を配ってあげたり、PTAのために専用の部屋を提供してあげたりする謂れはない。むしろ学校外での活動を促さなくてはならないはずだ。
もし「おやじの会」が、学校行事のときに会員家庭の子どもにだけシュークリームを配ったり、おやじの会が管理する学校の駐輪場を会員家庭にだけ使わせたりすれば、保護者はみんなたちまち怒りだして、学校から追い出すだろう。PTAだって位置づけはおやじの会と変わらない。
おやじの会もPTAも、会員家庭向けのサービスではなく、「子どもたちみんなのためのサービス」を提供する団体だから、学校で活動できている。その前提の共有が、まず必要だ。
ただ、これまで日本のPTAは、「そこにいる人は、全員必ず入るもの」という前提で運営されてきたため、みんな「やりたくなくてもやるもの」として我慢してやってきた。PTAをそういうものと考えたら、「やらない人はずるい」という気持ちになるのは、ある意味当然だ。
しかし、その前提が間違っていたと気付いたら、どうだろうか? PTAも本当は「全員必ず入るのが当たり前」のものではなく、「おやじの会」と同じように「入る人・入らない人がいて当たり前」のものだ。こちらを前提に考えたら、PTAに入らない家庭の子どもにもサービスを与えることは、むしろ当然と気付く。
*なぜ「ずるい」と感じるのか
今、PTAは「そこにいる人は、全員必ず入るもの」という形から、「やりたい人がやるもの」という本来の形(法的に正しい形、と言い換えても良い)に変わろうとしている過渡期だ。あちこちで軋みが生じるのは、やむを得ないとは思う。
「やらない人、ずるい」と感じてもやもやする人たちの気持ちは、筆者もわかる。わかってはいるが、でも本当は「ずるい」わけではない。そのことに気付かれたい。
シチュエーションはやや異なるが、例として一つ経験談を挙げたい。筆者の子どもが小学生だった頃、休みの日はときどき、顔見知りの保護者同士が交代で(アバウトに)、子どもたちを遊びに連れ出していたのだが、たまに、見たこともない子ども(お友だち)が紛れ込んでいることがあった。
正直言えば、内心ちょっともやもやする。「おいおい、私はきみもきみの親も、見たことないんだが……」と思うのだが、しかしだからといって、その子どもを置いていくことなどできるはずがない。子どもからしたら、そんな大人の事情は関係ないことだからだ。
それにそもそも、なぜもやもやするのか? もし私が本当に自分の意志でやっていたら、その子の親を「ずるい」などとは思わないはずだ。「ずるい」と思う気持ちが生まれるのは、自分の意志ではなく、義務感や、やらされ感でやっているからだ。
「ずるい」と感じるなら、私はそもそも、よその子どもを連れて出かけたりするべきではない。そう気付いたら、多少のもやもやはありつつも、「まあいいや」と思えた。その子も一緒に出かけて、帰ってくる頃にはすっかり仲良くなり、「またおいで」などと言ってしまう(それでまたちょっともやもやするのだが)。
ボランティアは、「誰もがやるべきもの」ではない。あくまで自分がやりたいからやろうと思う人、やらない人を「ずるい」と思わない人がやるものだ。もしそこで「やらない人の子どもは置いていこう」とか、「親に抗議しよう」などと思う人は、そのボランティアから手を引いたほうがいい。
PTAも、本来はそういうものだろう。志ある人が、子どもたちみんなのために活動する。少なくとも、最初に米国で生まれたPTAはそういうものだった。始めたのは2人の主婦だったと言われており、当然「やらない人、ずるい」と責め立てるようなものではなかったはずだ。
もし非会員家庭の子どもに提供できない、ずるい、と感じるような仕事があるなら、PTAはそこから手を引くのが一番だろう。
*保護者の暴走、学校長の責任
学校長も、非会員家庭の子どもにサービスを提供しないPTAは止めなければいけない。もし言っても聞かないのであれば、教室で先生がPTAのお手紙を配ってあげたり、校舎の中にPTA会議室を与えてあげたり、といった便宜をはかるのもやめにしなくてはいけない。
最近筆者が聞いた最も驚いた話は、あるPTAの役員会(保護者のみ)で、「PTA非会員の子どもには、PTA予算で買った災害時の備蓄品をあげない」という案が出た、というものだ。あくまで案であり、実際に起きたわけでは(まだ)ないのだが、この発想はあまりに下劣だ。
もしその場に校長がいたら、即止めなければいけない話だし、そもそもPTA予算で災害時の備蓄品を買わせるのが間違っている。公費をつけるか、もしどうしても難しいのであれば、教材費など私費(保護者負担金)で集めればよい。PTA予算で出させると、過渡期のいま、こんな酷い話が出てきてしまうのだ。
保護者も、管理職の先生も、PTA関係者みんなでよく考えておきたいことだ。
- *卒業式のときは、コサージュのほか、記念品やまんじゅう(祝い菓子)を非会員家庭の子どもにあげないとするトラブルも起きている(筆者はこれらをまとめて「まんじゅうプロブレム」と総称している)