寺前浩之が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#09】
2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。
♬ 寺前浩之の下ごしらえ
母親が箏と三味線を教えていたことから幼いころに楽器を触ることができる環境にあったものの、興味は続かなかった。その母親が勧めてくれたヴァイオリンは、小学校1年から3年まで通い続けることができたが、それも足が遠のいて自然消滅。
能動的に音楽と向き合ったのは中学に上がったころのこと。自分から「ギターがほしい」と言い出したのは、10歳上の従兄弟の影響。彼がフォークギターの弾き語りをしているのを見て憧れたからだった。
ほどなくエレキギターに興味が移り、ギターが入っている音楽ならなんでも聴きまくる状態になると、生来の性格からなのかマニアックな方面へハマっていく。大学に入るとジャズ研(一般に“ジャズ研究会”と総称される、学校のクラブ活動/サークル活動)で演奏するようになり、聴きまくっていたアルバムのミュージシャンたちと“同じ土俵”に立てることに目覚めていく。
すると今度は、東京へ出て音楽で勝負をしてみたい想いを抑えられなくなり、京都の大学を中退。ライヴハウスのジャムセッションへ顔を出したり、バンドを組んで出演するうちに、もっとテクニックを磨きたいという欲求が高まって、クラシックギターに手を出したのが25歳ぐらいのころのことだった。
クラシックギターを追求するうちに、本場と言われるスペインへの留学という想いがまたまた募ってしまい、伝手を頼って名手ホセ・ルイス・ゴンサレスのもとへと渡ったのが1992年、31歳のとき。
ところが、留学先でたまたま買ったCDのなかの1枚の演奏がバーデン・パウエルのもので、それが彼の心をガッチリと捉えてしまう。「ブラジル音楽を代表するギタリストなので名前は知っていたけれど、ちゃんと聴いたのは初めてだったんですが衝撃を受けたんですよ、こんなギターもあるんだ……、って」。
それからはクラシックギターのレッスンもそこそこにブラジル人ギタリストの演奏をコピーしまくる毎日。3年半の最後の1年はこうして過ぎていくことになった。
1996年の帰国後はラテン系音楽の店で演奏をするようになるが、そのなかでショーロ(即興を重視し、ジャズより歴史が古いといわれるブラジルのポピュラー音楽)を知り、そこで使われるバンドリンという楽器への興味が高まって、弾きだしたのが15〜16年前のこと。
♬ バッハとギターの関係は近くなったり遠くなったり
『テナーギターで聴くバッハ無伴奏チェロ組曲』というアルバムを2012年に制作したんですが、これはバンドリンの持ち替え楽器として一般的なテナーギターで演奏したものです。このころはもう、普通のギターを手元に置かなくなっていて、バンドリンとテナーギターを弾くようになっていたんですね。
バッハは、クラシックギターに興味をもつようになったころから好きで、有名なソロ曲がクラシックギター用に編曲されていたので、いろいろ弾いていました。でも、ブラジル音楽に興味をもつようになってからはバッハとの距離は離れていた。
それが、テナーギターを弾くようになって、また近くなったんです。というのも、テナーギターは調弦がチェロのちょうどオクターヴ上で、ヴィオラと同じ。バンドリンがヴァイオリンと同じということもあって、バッハを練習曲にするにはちょうどいいんです。まったくの偶然でしたけどね。
そうは言っても、〈マタイ受難曲〉のような大作はタイトルぐらいしか知りませんでした。実は、中学高校がカトリック系の学校で、学内に教会もあったんですけれど、個人的にまったく興味がなかったので、〈マタイ受難曲〉についても食指が動かなかったんですね。
♬ shezooのアコースティックな音楽世界に魅了
shezooさんと最初にお目にかかったのは、トリニテのライヴだったと思います。メンバーだった小森慶子さんと知り合いで、壷井彰久さんのヴァイオリンも好きだったから観に行ったんですけれど、そのときに小森さんに紹介していただきました。7年ぐらい前のことだったかな。
そのときのライヴがすごい衝撃的で、クラシックでありながらプログレの要素もあって、楽器はすべてアコースティックであれだけのサウンドを表現している、と。それがまた、決して難解ではなく、シンプルに聴く人の胸にグッと迫ってくるような……。とにかくスゴい音楽を作っている人がいるんだなぁとおもって、それからはshezooさんのほかのプロジェクトを観に行くようになったりしていたんです。
そうこうするうちに、shezooさんが私のライヴを観に来てくれたことがあって、そのときに〈マタイ受難曲〉をやるんだというお話をされていて、横濱エアジンに呼ばれてご一緒したのが最初でしたね(2017年7月20日、“バッハ祭り2017〈夏〉”、shezoo / ピアノ、寺前浩之 / バンドリン、加藤里志 / サックス、西田けんたろう / ヴァイオリン)。だから、この〈マタイ受難曲2021〉のプロジェクトの、まさに立ち上げに参加しちゃったわけです。
もちろん、その時点では、そこで演奏していた人の誰もがshezooさんの描こうとしていた〈マタイ受難曲〉はどこに行くのかなんて、ぜんぜんわかっていなかったし、考える余裕もなかったというか、とにかくあの壮大な宗教曲を演奏するのに手一杯でした。
でも、そのときも感じていましたけれど、shezooさんの頭のなかにはちゃんと完成形が鳴っていて、それをどう采配しようかということをいろいろ考えて割り振っていく、そんなタイプの音楽家なんだろう、って。ただ、そういう“きちっと計画を積み上げていく”みたいなイメージは、知れば知るほど崩れていくことになるんですけど……。
♬ 本番でようやく知った副題の意味
僕はいま、青森の八戸に住んでいるので、実はゲネプロ(本番同様に舞台上で行なう最終リハーサル)直前の横濱エアジンでの練習にも参加できなかったんですよ。だから本当に、ゲネプロまで〈マタイ受難曲2021〉がどうなるのか、知るよしもなかった。
コロナ禍で開催日や内容が二転三転しましたけれど、コロナ禍だったからこそああいう画期的な内容になったんだと思うし。副題に“人は嘘をつく”とありますけれど、このキーワードをきっかけに、shezooさんが世相を結びつけてオリジナルのストーリーを創りあげたことは、やっぱりスゴいことだったと思いますね。
本番で印象に残っているのは、ステージからの客席の景色。客電(観客席側の照明)が落ちてもうっすらと見えるんですけれど、そのお客さんたちが全員マスクをしている。しかも、前後左右が重ならないようなソーシャルディスタンスな席の配置で、それを眺めながらだと〈マタイ受難曲2021〉の内容がことさらにリアルというか終末感が増したというか……。いまでも目を閉じると浮かび上がってきますね。
普段、政治的なことを音楽と結びつけないようにしようとは思っているんですが、結局は世の中ってつながっているわけですよね。だから、公演が終わったときに、自分は音符を追っているだけでいいんだろうかなんて、ちょっと大げさな言い方になっちゃいますが、そういうことを考えるきっかけになったステージでもあったんじゃないかと思います。
Profile:てらまえ ひろゆき バンドリン奏者、ヴィオロン・テノール(テナーギター)奏者
大阪府出身。12歳からギターを始め、京都外国語大学在学中にジャズと音楽理論を学ぶ。1992年スペインに渡り、今は亡き巨匠ホセ・ルイス・ゴンサレスの元で学ぶ。1996年に帰国後はブラジル音楽を中心に演奏活動を展開。ミュージカル「ラ・マンチャの男」出演(2000年)。アルバム『VAGABOND』(2004年)。2005年以降はバンドリン奏者として活動。アルバム『ブラジル音楽帳』(2008年、w/ 平倉信行 / ギター)。テナーギターのソロCD『BACH On Tenor Guitar』(2012年)。