40年ぶりとなる都市対抗初出場優勝へ――社会人の新星・北海道ガスがキャンプイン
昨年、大きな注目の中で創部され、デビュー戦で記念すべき初勝利を挙げた北海道ガスが、3月26日に大分県佐伯市で春季キャンプをスタートさせた。
「11月に室内練習場が完成したので、冬場はずっと室内で鍛えた。だから、選手たちは約5か月ぶりに、スパイクを履いて土のグラウンドに出たことになる。張り切り過ぎたのか、初日にいきなり足を肉離れしちゃった選手もいたけどね」
そう言って笑う小島啓民監督は、32歳だった1996年に三菱重工長崎で選手兼任のまま監督に就き、1999年の都市対抗で準優勝。その間に杉内俊哉(現・巨人コーチ)らをプロに送り出すと、2000年夏から1年間は日本オリンピック委員会の在外研修コーチに選ばれ、アメリカの大学やサンディエゴ・パドレスのA級でコーチを務める。帰国後は日本野球連盟の競技力向上委員として日本代表の強化にあたり、2010年から5年間は日本代表を率いたアマチュア球界きっての指導者だ。
一昨年、創部を検討する北海道ガスが“勝てる監督”を求めると、日本野球連盟の推薦を受けて就任。本来は1年間みっちりと鍛え、今年から公式戦に出場する予定だったが、「選手の成長が予想以上だった」と、昨年9月の日本選手権北海道最終予選に前倒し。16名の選手で臨んだ初戦で、室蘭シャークスから3-2で勝利を挙げて関係者を驚かせた。
今年は7名のルーキーを採用した。大学日本代表に選出された俊足好打の遊撃手・米満 凪をはじめ、豊かな将来性を備えた逸材ばかり。だが、彼らに向けて、小島監督はこう言った。
「高校や大学のチームメイトには、プロ入りの夢を叶えたり、社会人でも名門や強豪チームに入社したヤツがいるだろう。これまでは、そんな選手には逆立ちしても勝てなかったはずだ。でも、社会人で力をつければ、数年後には立場を逆転させることができる。そうなりたいなら、3年間は死に物狂いで野球に取り組んでみよう」
大切なのは“その気になって取り組むこと”
そして、冬場は一切ボールに触れさせず、徹底して走り込みやウエイト・トレーニングに取り組ませる。すると、選手たちはベンチプレスなどの数値がみるみるうちに上昇するのを目の当たりにし、時折、気分転換を兼ねてバットを握ると、それまでとは質の違う打球を飛ばしたという。創部1期生で、昨年の初陣で172球の完投勝利を挙げた清水洋二郎は「体重は10kg増え、ストレートの球速も10キロくらいはアップしました」と笑顔で語る。
高校時代とは違い、大学出の社会人では体格や技術が格段に進化するというケースはそうない。だからこそ、小島監督は伸びしろのある選手に着目し、体格やパフォーマンスを目に見えて進化させることで無名の好素材を一流の舞台に押し上げていく。その手腕が、早くも効果を示しているのだ。
キャンプ2日目の27日には、日本文理大とのオープン戦を行なった。今季初の対外試合だ。國學院大から入社した新人の高橋謙太を四番に据えると、2回裏の第1打席でライトへ豪快な先制ソロ本塁打を放ち、続く3回裏二死一、二塁では左中間を深々と破る2点二塁打。どちらも、力感がなくフォロースルーの大きいスイングゆえ、泳がされた飛球だと感じた外野手が「えっ」と慌てて背走する当たりだった。
そうした選手たちの成長ぶりに目を細めながら、小島監督は今季への抱負をこう語る。
「選手たちは今年の都市対抗北海道予選で、JR北海道硬式野球クラブや室蘭シャークスに『1点差くらいなら何とか勝てるかもしれない』と言った。だから、『バカを言うな。監督は7点差くらいで圧勝するつもりだ』と返したんです。もちろん、その2チームを倒すことがどんなに難しいかはわかっている。でも、一人ひとりの選手が成長する時も、チーム力を上げていく過程でも、大切なのは“その気になって取り組むこと”でしょう。だから、都市対抗も初出場で優勝する青写真を描くんです」
都市対抗に初出場し、優勝まで成し遂げれば、1979年の三菱重工広島以来40年ぶりの快挙となる。夢のある目標だ。名監督の下でメキメキと力をつけるチームは、4月4日から香川県丸亀市と高松市で開催される四国大会で、初めて道外のチームと公式戦を戦う。