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さあ、日本選手権。社会人野球・監督たちの野球哲学/5 東芝・工藤賢二

楊順行スポーツライター
開催地・京セラドーム。東芝は6日の第2試合でJR四国(香川)と対戦(ペイレスイメージズ/アフロ)

○…ご自身の野球人生の転機として、1999年のシドニー五輪予選を挙げられますね。

「グループBの台湾戦で、いきなり先発・二塁に起用されたんです。五輪出場のかかった大事な試合。そもそも日本代表に入ったのは、同期の選手が故障した代役でしたから、まさか先発はないだろう、と思っていたんです。日の丸の重みを背負うだけに、試合では致命的なミスをしてもおかしくないほどガチガチでしたね」

○…ですがその予選は結局、プロアマ混成チームで5試合に出場し、シドニー五輪出場に貢献しました。

「五輪本番は出られませんでしたが、あれは貴重な経験でした。痛感したのは、準備の大切さです。日常から準備の大切さはいわれてきましたが、私がガチガチになったのは、自分の先発なんてハナから想定せず、準備をないがしろにしたからです。アップひとつとってもおざなりでした。自分が先発するんだ、という心づもりでつねに先、先に備えていないと、予習なしに試験に臨むようなもので、いざ出番がきたときに力を発揮できるはずもありません。

 ですから監督をやっているいま、投手以外のスタメンを告げるのは、ほとんど試合当日になってからです。裏返せば、全員がそれだけの準備をしておけ、ということですね」

もっとずる賢くなれ

○…東芝入社は、その五輪予選の前年。

「社会人に入ってびっくりしたのは、こんなにもレベルが高いのか、ということでした。バッティングはまだしも、とくに守備力に不安があって。とにかく、基本の基本からみっちり練習しましたね。先輩たちはレベルが高いし、なんとか守備で迷惑をかけたくない一心。練習が休みで出かける予定があっても、一度はボールにさわらないと不安でした。そんなだから、1年目はなかなか出番がなかったですね。

 そうやって迎えた2年目、どうしたらポジションを取れるか、戦略を立てました。まず自信のある打撃では、決めた球を1球で仕留めること。そして守備では、たとえヘタクソでも不格好でも、飛んできたボールは絶対にアウトにする。長所を伸ばし、短所を補うことで、なんとか定位置をつかんだんです。そこへいくと、いまの選手たちは真面目すぎますね。どうしたら監督が使ってくれるか、どうやってアピールするか、言葉は悪いですがもっとずる賢くなってもいいと思います」

○…思い出深い99年だったとか。

「ポジションをつかんで都市対抗は優勝しましたし、オリンピック予選にも出ました。それと都市対抗後、東芝府中の野球部が統合されたんですよ。24人いた府中野球部から、9人がわれわれの東芝本体に転籍してきた。寮の部屋数も足りなくなるし、ライバルが移籍してくるし……。それにしてもその年は、春先の東京スポニチ大会で、府中と決勝を戦っていたんです。なにか因縁めいていましたね」

※くどう・けんじ/1975.6.7生まれ/栃木県出身/葛生高→駒沢大→東芝

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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