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戦国時代、築城の名人と称えられた武将が築いた城郭3選

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
加藤清正。(提供:イメージマート)

 今もお城人気は衰えを知らないが、入城料のアップが気にかかるところである。戦国時代には、築城の名人と称えられた武将がいたので、彼らが築いた城を3つ取り上げることにしよう。

◎坂本城(滋賀県大津市)

 坂本城は、明智光秀が築いた城である。フロイス『日本史』には、光秀について「築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主」と記されている。中でも坂本城は、フロイスが織田信長の居城の安土城に次ぐ名城であると称えたほどだった。

 坂本城は名城の誉れが高かったが、琵琶湖に沈んだ部分も多く、なかなか発掘調査が進まなかった。しかし、近年になって、琵琶湖の水位が低下したことに伴い、発掘調査に進展が見られた。今後、さらに調査が進み、その全貌が明らかになると考えられる。

坂本城跡。
坂本城跡。写真:イメージマート

◎熊本城(熊本市)

 加藤清正は築城の名人といわれ、名護屋城、江戸城、名古屋城などの築城に関係した。中でも最高傑作と称えられるのが、熊本城である。熊本城は天正19年(1591)から築城が開始され、慶長5年(1600)頃には天守が完成したといわれている。

 熊本城は西南戦争において、その高い防御力を証明した。平成28年(2016)の熊本地震では、大きな被害を受けたが、現在、総力を挙げての復旧作業が進行中である。完全に復旧するのは、2052年度になるとの見通しが発表された。

熊本城。
熊本城。写真:イメージマート

◎篠山城(兵庫県丹波篠山市)

 藤堂高虎も築城の名人と称えられ、築城に関わった城は実に多い。篠山城もその一つで、高虎が縄張りを担当した。築城は天下普請(諸大名の協力)で行われ、わずか6ヵ月という猛烈なスピードで完成に至った。まさしく、築城の名人といわれた高虎のなせる業だった。

 城には天守台があったものの、天守は築かれなかった。一説によると、幕府は篠山城の石垣などがあまりに堅固なので、警戒していたからだといわれている。城内には、二の丸御殿大書院が復元された。周囲には、堀もめぐらされており、容易に敵を寄せ付けなかった。

篠山城大書院。
篠山城大書院。写真:イメージマート

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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