旅先からパートナーへ。変わる台湾と日本の関係
映画界に見る台湾のロケ地化
まず紹介するのは、映画界における動きだ。
11月18日、毎年恒例の台湾映画アワード「金馬獎」で、今年の各賞受賞者が発表された。劇映画、ドキュメンタリー映画、アニメなど、映像にまつわる功労を讃えるアワードだが、授賞式はテレビ中継され、受賞した出演者、スタッフ、作品は即日、内外にニュースとして伝えられる。また、この会場には日本の映画関係者が参加し、数々の作品が日本へと届く貴重な場ともなっている。
1980〜90年代、前々回で紹介した侯孝賢監督の『悲情城市』、エドワード・ヤン(楊徳昌)監督の『クーリンチェ少年殺人事件』なども含め、台湾ニューシネマと呼ばれる作品が知られてきた。この時期の作品群は、たとえば「台湾巨匠傑作選」として各地で今も上映が続けられている。台湾映画としては、ニューシネマ後は映画業界そのものが低迷期とされてきた。だが、2008年に魏徳聖監督の『海角七号』がヒットしてから、情勢に変化が見られるようになる。同監督の2011年『賽徳克・巴莱』(邦題:セデック・バレ)、九把刀監督『那些年,我們一起追的女孩』(邦題:あの頃、君を追いかけた)、2015年『我的少女時代』(邦題:私の少女時代)と次々とヒット映画が生まれた。また劇映画だけでなく、ドキュメンタリー映画でも2013年に『看見台灣』(邦題:天空からの招待状)が興行収入を大きく伸ばし、映画界全体が大いに盛り上がりを見せた。
一方、台湾でも、日本の映画作品は次々と放映され、日本作品はもはや台湾の1ジャンルといってもいいほどだ。2016年に日本でもヒットした新海誠監督の『君の名は。』は、台湾で字幕付きで上映され、公開初日から連日、劇場に行列ができた。今年に入ってから、新海監督の作品展示会が開かれ、劇場に引き続いて展示会場にも行列が見られた。
ところが映画業界の交流は、もはや作品に止まらないようだ。
10月の終わり、おしゃれブランドで賑わう台北永康街の公園で、映画の撮影が行われていた。今関あきよし監督の新作『恋恋豆花(レンレンドォフア)』のワンシーンである。主人公と旅先の台湾で出会った日本人バックパッカーがベンチで語り合う、という場面。周囲は、興味深げに撮影を見ていく人も含め、一般の人たちが行き交う中で撮影は進んでいった。
今関監督が初めて台湾に来たのは、25年ほど前にさかのぼる。「当時の印象はあんまりない」ほど長いブランクを挟んだ後、2016年の10月、ツアーに参加してふたたび台北を訪れた。「人はあったかいし、おいしいし」とすっかり気に入って、翌年2月、今度は個人旅行でやってきた。そして6月、台湾ロケによる映画製作を決めた。
撮影にお邪魔したこの日は時折、小雨も混じるあいにくの天気。空模様とは反対に、撮影は順調に進んでいく。全部で10人ほどのスタッフキャストが予定通り、次の現場である公園に到着した。カメラマン氏とアシスタントが構図を決めるために公園の周囲を見て歩く。スタッフの1人が監督に「ちょっとトイレに行ってきたいんですけど」と声をかけた。すると、今関監督が間髪入れずにこう言った。
「あそこの角に、××っていうカフェがあるよ。そこなら大丈夫」
ここは日本ではない。海外でこんなふうに正確にトイレの場所を案内できるのは、丁寧に現場を見て歩き、しっかりと導線を考えている証しだ。
本作は、日本での撮影は東京で1日半とごくわずかだが、台湾でのロケは10日間におよぶ。撮影場所は台北だけでなく、台中も含まれる。スタッフの一人、太田則子さんは言う。
「台中のフィルムコミッションの方に、車でいろいろ案内してもらいました。すごく素敵なところばかりだから、ぜひ紹介したいという話になりました。今回の作品は、本当に、いろんな方とのご縁が広がって撮影できていますね」
総合芸術といわれる映画業界で、台湾がロケ地の一つとして認識されるようになったのは、ごく最近のことだ。2017年に日本と台湾で公開された『ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど。』は日本人監督の作品だが、キャストに台湾人も多く、台湾でも撮影が行われていた。今回の現地コーディネートを務める杉山亮一さんによれば「今年に入ってからも、何本か台湾で撮影された作品が公開されています。台湾が撮影地になるという認識は広がっています」という。
作品の交流から、現場の交流へ。この動きは今後も増えていくと思われる。
誰が求めた日本進出なのか
台湾に対する日本サイドの変化は、ビジネス界でも見られる。
『恋恋豆花』の撮影が台湾で始まった10月17日のまさに前日、台北市内で記者会見が開かれた。主催したのは、台湾書店大手の誠品書店である。前日まで発表の詳細は明かされず、記者会見で正式にお披露目されたのは、三井不動産と有隣堂との提携による日本進出というビッグニュースだった。
誠品書店は、今の代表を務める呉旻潔董事長の父親、呉清友氏が1989年に創業した。人文アートを主軸にしたデザイン性の高い店内コーディネートに加え、99年からスタートした24時間オープンという手法とあわせ、それまでの本屋に対する概念を大きく変え、他を圧倒する存在となった。
2013年には台北市内の東側に出店。一帯は、日本が台湾を統治していた1937年に台湾総督府の専売品であるタバコ工場だった場所だ。戦後、台湾が中華民国政府に接収されて以降、建物はずっと放置されていた。
台北の街は、清代、日本統治時代含め、長い間、物流の関係から市の西側が政治経済商業の中心部だった。1960年代から市政府は都市再生計画を練り、市の東側へと都市機能を移行しはじめる。今では台北のシンボルともいえる台北101ビルの付近は、その時期に開発の始まったエリアで、94年には台北市政府が移転してきた。誠品書店は、この長い歴史を持ったエリア内に2つの大型店舗を構えている。本だけでなく、選りすぐりの雑貨、文具が置かれ、映画館、講堂、キッチンなどのマルチな機能を有し、誠品の店舗を本から広がる文化を生み出す供給源へと変化させた。
だが、会見で呉董事長は、日本出店に際し、「今の日本にはなんだってある。そこへ誠品書店が出ていく意味はあるのか」との疑念があったことを吐露した。
進出を持ちかけたのは三井不動産だった。最初に三井から誠品へオファーがあったのは4年前。三井は2016年、台北郊外にアウトレットパークをオープンさせているが、それよりも前から誠品への説得は始まっていたことになる。呉董事長は、三井側が提示した「日本橋再生計画」に心を動かされた、と語った。
このエピソードを聞いて、何度もお願いして出てきてもらうなんて、まるで三顧の礼のようだと衝撃を受けた。これまで中国大陸進出の足がかりと見られてきた台湾を、ビジネスパートナーとして迎える、その変化は大きいのではないだろうか。
先述した通り、歴史ある街の再生にかけて誠品書店は、すでに実績がある。日本橋が誠品によって、どんなふうになるのか、今後の展開に期待したい。
台湾に対する意識の変化
一見、このふたつの動きは、それぞれに起きていることと思われるかもしれない。だが筆者にはどちらにもつながるものを感じている。それは日本サイドの、台湾に対する意識の変化だ。
映画でいえば、日本の映画関係者が台湾をロケ地の一つとして認識し始めたことである。それぞれの作品のやりとりから、台湾が日本作品の一部になる--台湾は、そんな場所へと変化してきている。さらに、台湾企業が日本に進出する。これ自体は目新しいことではなく、これまでにも多くの企業がビジネスチャンスを求めて日本に向かった。ただ、今回の誠品の出店がそうした企業と大きく違うのは、日本側が進出を持ちかけた、この点にある。
今年に入ってから台湾で耳にするのは、2011年から日本人の台湾への態度が変わってきている、という話だ。実際、2011年に発生した東日本大震災後、台湾から寄せられた200億とも250億ともいわれる多額の募金は、多くの日本人の注目を集めた。それは旅行者数という具体的な数字にも表れている。
2010年 1,080,153
2011年 1,294,758 +19.9%
2012年 1,432,315 +10.6%
2013年 1,421,550 -0.8%
2014年 1,634,790 +15.0%
2015年 1,627,229 -0.5%
2016年 1,895,702 +16.5%
2017年 1,898,854 +0.2%
13年と15年にわずかながら減ってはいるものの、基本的に上昇傾向といっていい。こうした旅の積み重ねが、今回紹介した映画撮影へと広がり、ビジネスの関係強化へと広がっている、と筆者は見る。
変わりつつある台湾人の求める旅のスタイル
ここまで日本の変化について述べてきたが、最後に台湾の変化も紹介しておこう。
台湾人にとって、日本は最も身近な旅行先といっていい。筆者の周囲でも知人やその友人など、多くが日本への旅行経験を持つ。東京や京都、北海道といった名だたる観光地はいたって普通で、行き先も旅の内容も多様化している。
そんな中、「Discover Japan」をコンセプトにした人気の雑誌『秋刀魚』編集部が今年4月に新刊を出した。その新刊『青花魚』で新しい旅のスタイルとして提案しているのは「微住」、つまりはショートステイである。本書で「微住」先として紹介されているのが福井県だ。
約2週間を福井で同じ宿に泊まり、見聞きし、食べて体験した、あれこれがたっぷり詰まっている。中国語と日本語の併記で、参加者たちの豊かな表情が収められた写真と、その体験の充実ぶりを表した文章からは、たとえば二泊三日の旅とは大きく違うことが伝わってくる。
11月中旬、誠品が9月にオープンした誠品生活南西店で、本書の関連イベントが開かれた。会場には、本書の撮影を担当したカメラマン、川島小鳥さんのカットのほか、福井の物産やコラボグッズなどが展示された。
筆者が会場に足を運んだのは平日の午後。それにもかかわらず、イベントコーナーには次々と人がやってきて、展示を眺めていく。しばらく会場で見ていたが、年代も性別もまちまちで、日本への興味を持つ人の幅の広さを物語る。
『秋刀魚』編集長の陳頤華(チェン・イーフア)さんは言う。「私たちがこの本に関連するイベントを開催したのはこれが初めてです。雑誌づくりとイベントではまったく違いますね。今回のイベントは誠品さんからいただいたお話ですが、日本から物産などを取り寄せ、またおにぎりを握るイベントもやりますが、これもまた日本を体験する一つの機会として提供できればと考えています」
台湾と日本--すでに互いは、通り過ぎるだけの関係にとどまらない。時にパートナーとなり、仕事仲間になり、もう一歩踏み込んだ間柄だ。表面に終わらせることなく、より強固な関係を築けるよう皆で心がけたいものだ。