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引退のアン・シネは“セクシークイーン”を演じていた?世間とのギャップ…病院に1000万円の寄付も

金明昱スポーツライター
先週の日本ツアーを最後に引退を決めたアン・シネ(写真:Lee Jae-Won/アフロ)

 これほど“見た目”とのギャップがある選手は出会ったことがなかった。韓国女子プロゴルファーのアン・シネのことだ。2017年の初来日から、これまで何度もインタビューの機会をいただいた。筆者にとっては記憶に残る選手の1人だ。

 先週の日本女子ツアー「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」の最終日、「この試合が最後」と引退を発表した。

「このあと決まった試合というのはありません。今週の試合が私にとって最後です。引退セレモニーを派手にしたいという気持ちもありませんでしたし、日本ツアーで楽しい時間を過ごして、韓国に帰ることを心に決めていました。今日はそのことをひっそりとこの場を借りて伝えたかったです」

 記者との最後の囲み取材ではそう言って笑っていたが、ファンへの思いを聞かれると、言葉に詰まり、涙が止まらなかった。

「日本に来てから多くのファンの方に支えられてすごく感謝しています。もうプレーを見せる機会がないのが寂しいです。この場で『ありがとうございました』と感謝の気持ちを伝えたいです」

 大きな理由としては、同大会終了後に行われる終盤戦出場をかけた「第2回リランキング」を突破できず、ツアー出場権を失ったことだが、33歳という年齢からしても今年が最後という覚悟は、今シーズンが始まった時からあったのかもしれない。「第2の人生についても考える年齢になった」と語るその表情はどこか寂しそうだった。

見た目の話題が先行した日本デビュー

「“セクシークイーン”が来日する!」――。2016年はイ・ボミが2年連続賞金女王を手にし、人気絶頂を迎えていたが、その翌年に韓国からアン・シネという選手が日本ツアーに挑戦すると話題になっていた。

 日本では彼女のゴルフの実績や実力が語られることは少なく、“セクシー”の愛称通り、タイトなウェアとミニスカート、派手なメイクと見た目の話題が先行した。

 そうした話題を本人が知ってか知らでか、日本デビューとなった17年5月の「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパス」では、ピンクや真っ赤なド派手なウェアで人目を引き付けていた。

 新聞やネット記事には「“膝上30センチ”の超ミニスカート」という言葉とともに、タイトなウェアの写真がこれでもかというほど掲載され、男性ファンは釘付けになった。試合中でもカメラを向けられれば、手を振って笑顔を振りまく姿も印象的だった。

 試合ではイ・ボミに負けじと連日、多くのギャラリーを引き連れ、ホールアウト後のファンサービスには大行列が続いていた。その様子をずっと見ていたのだが、時間にして約40分から1時間。すべての人に丁寧にあいさつしてサインをしていたのには驚いた。GW開催も相まって初日は1万3097人が会場を訪れたと記録されているが、まさに“アン・シネフィーバー”の始まりの瞬間だった。

「プロだから見せる意識」

 当時、「なぜそれほどタイトなウェアを着るのか?」と聞いたことがあった。するとこんな答えが返ってきた。

「プロだからちゃんと“見せる”ことも意識はしていますが、それよりも私がウェアにこだわるのは、自分が気に入っている物を着ることで、気分が晴れやかになり、気持ちよくプレーできるからなんです。私の気分も上がり、成績も良くなれば、ギャラリーも一緒に盛り上がれますよね? 私のプレーを見てギャラリーの方も一緒に楽しんでもらえるのなら、それはすごくありがたいことです」

 日本でマネジメントをしていた「NOWON」の松宮由季氏も「シネは本当にプロフェッショナルで、どこにいても安心できます。プレー中のマナーや立ち居振る舞いを見ていても本当に自分を見せるのがうまいんです」と認めるほどだ。

明るい色のウェアをよく好んで着ていた
明るい色のウェアをよく好んで着ていた写真:Lee Jae-Won/アフロ

 多くのメディアや記者との対応力にも感心させられた。言葉も巧みで饒舌。すぐにでも見出しになるようなワードを自ら話し、記者との掛け合いも抜群にうまかった。

 忘れないのは17年の「ミヤギテレビ杯」の大会前日。宮城県にちなみ「『ずんだ餅をコンセプト』にしたウェアを着る」と予告し、翌日にはグリーンに近いからし色のシャツで本当に登場したのだから笑ってしまった。

 その場が楽しいから記者も自然と話を聞きにいくのがルーティーンのようになっていたが、見た目とは裏腹に懐に入るうまさや人懐っこさがあった。その場でドッと笑いが起こることも多く、メディアといい距離感を保てる選手はそう多くはない。

日本でほぼ語られない“韓国ツアー3勝”の実績

 ただ、プロの世界は結果で認められてナンボだ。来日当初は珍しいもの見たさから「実力よりも見た目だけ」という声も周囲から聞こえてきていたし、実際に日本ツアーでの最高位が今年の「アクサレディス」の10位タイという部分においては、「ゴルフでもっと認められたい」というもどかしい思いもあったに違いない。

 とはいえアン・シネは日本に来る前、韓国ツアーで通算3勝し、そのうち1勝はメジャーの2015年「KLPGA選手権」で、実力が認められた選手だ。長らく試合で勝てていないことで過去の実績は、あまり知られていないように思う。

 筆者も当初は“見た目”先行の選手が、どれだけ日本ツアーで戦えるのだろうかという疑問はあった。だが、ゆっくりと取材する回数が増えるなかで、ゴルフへの取り組みは真剣で、家族への思いも強い選手なのが分かった。

 特に2019年に日本のプロテストに挑戦し、一発合格を果たしたことには驚かされた。さらに同年のQT(予選会)も突破して、ツアー出場権を得たのもそうだ。

 不運だったのは、2020年の新型コロナウイルスの影響でトーナメントが中止となり、来日できなかったこと。引退するものと思ったところで、「このまま終わるのは嫌だった」と23年のQT再挑戦から今季ツアー出場権を得ている。QT突破のために事前にコースに入って念入りにラウンドし、周到な準備をしていたほど。

 33歳という年齢でのチャレンジからして、世間が思うような“見た目だけ”の選手ではないのは間違いない。

日本ツアー出場時にはたびたび両親も駆けつけていた(筆者撮影)
日本ツアー出場時にはたびたび両親も駆けつけていた(筆者撮影)

両親がガンを患った知られざるエピソード

 もう一つ、ほとんど話さなかったのが家族の話題だ。父・ヒョジュン氏は16年にすい臓がんを発病したあと、転移などもあり現在も闘病中だ。実は母のイ・ヨンスク氏も2011年に乳がんを患っている。現在は完治したが、アン・シネは両親のことが常に気がかりで、心労を抱えてツアーを戦っていた。表ではそんな事情があることを一切感じさせないのは、“アン・シネらしさ”と言うべきだろうか。

 17年、アン・シネは父が手術したソウルの病院に1000万円を寄付した。これもほとんど知られていない話題だ。そもそも、これだけの多額の寄付は誰もができるものではない。

「すい臓がんはガンのなかでも一番危険だと聞きました。医師から聞いたのですが、6カ月以上、生きる人を見たことがないと言われるガンだそうです。それで父が手術した病院に少しでも治療や研究に役立ててほしいと思い1000万円を寄付しました。研究費用が足りないと聞いていたので、それこそ父のためでもありました。少しでも父の病気が治るのであればという気持ちでした」

 このエピソードを聞いてから、世間が持つイメージとは真逆の選手なのが分かった。ただ、そんな一面をあえて強調して同情を買うこともない。今になっては、“セクシークイーン”であることをあえて演じていたのではないかと思えてくるほどだ。

本当は父に見せたかった最後の試合

 今季、日本ツアー復帰を決めた理由についても「両親、ファンへの恩返し」と明確だった。引退を決めた最後の試合には「父は体の調子が良くないので飛行機に乗って日本には来られなかった」と明かしていたが、最後は自分のプレーを目の前で見せたかったという。

 第2の人生については「これから休みながらゆっくり考える」と話すにとどまったが、「まずは家族との時間を大切にしたい」と最後まで両親のことを思っていた。

 アン・シネは1人っ子だ。両親も1人娘をここまで大事に育ててきたのも想像できる。インスタグラムを見ると私生活は派手に見えるし、時にわがままな一面もあるようにも見える。ゴルフに取り組むスイッチが入るまで時間がかかったりすることもあったはずだ。

 それでも彼女は、ゴルフに対してしっかりと向き合ってきたという事実がある。「盛大な引退セレモニーは必要ないし、ひっそりと(引退を)伝えたかった」という言葉からも、“セクシークイーン”らしからぬ謙虚さがにじみ出ていた。

 ツアーの連戦から解放され、プロゴルファー生活では叶わなかった家族との時間を大切にしつつ、セカンドキャリアをどう歩むのかを楽しみに待ちたい。

取材中は時折、涙を見せていたが最後は笑顔でお別れ(筆者撮影)
取材中は時折、涙を見せていたが最後は笑顔でお別れ(筆者撮影)

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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