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「自分は寂しがり屋で気分屋」桃田賢斗が語っていた引退後に“やりたいこと”“やりたくないこと”

金明昱スポーツライター
来年2月のリーグ終了のあとに現役引退を決めた桃田賢斗(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 バドミントン男子シングルスで元世界ランキング1位の桃田賢斗が今季限りで引退するという報道を目にして、少し驚いた。5月には日本代表から引退することを発表していたが、来年2月のS/Jリーグ終了のあとに現役を退くという。

 11月2日の同リーグ開幕戦に出場した桃田が試合で勝利したあと、「選手としてS/Jリーグに出るのは最後。チームに貢献し、優勝したい」と語ったことを受けて、一斉に報じられたものだった。

 というのも、昨年12月に単独インタビューしたときにはこう語っていたからだ。

「やっぱり“自分が楽しいからやってる”が一番強い。そうじゃないとここまで続けられないですよ。正直に言えば、もっとうまくなりたいって思っているんです。自分ができないことを克服して強くなりたい。上を見たらキリがないのですが、だからこそ、やめどきが分からない」

 もっとうまくなりたいと強調していたこともあり、あと数年は“大好きな”バドミントンを続けるのだろうと思っていた。ただ、「選手としてもう厳しいと思うときは、いつかは来ますし、コーチをやりたいなって思ったら、いきなりやめるかもしれない」とも言っていた。

波乱万丈の人生と30歳という節目

 今年30歳を迎えて、この先の人生をどう生きていくべきかと考えることも多かったはずだ。2016年の違法賭博で同年のリオ五輪は出られなかったが、逆境をはねのけて18年世界選手権の男子シングルスで日本勢として初優勝。同年9月には世界ランキング1位にも立った。だが、心を入れ替えての完全復活、とはいかなかった。20年には遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれ、右目の眼窩(がんか)底骨折を負い、21年東京五輪は1次リーグで敗退した。今年のパリ五輪出場も叶わなかった。

 彼の人生を振り返る時、“波乱万丈”や“激動”といった言葉で表現されることが多いが、それでも日本のバドミントン界を牽引し、一時代を築いたトップアスリートであった。引き際のタイミングは“30歳”という節目と考えていたのかもしれない。

「ジュニア選手の育成、体育館も建てたい」

 昨年のインタビューで、「引退したらやりたいことがあるのか」について聞いたやり取りがあったのだが、その回答の中で意外な一面を見ることができた。

 開口一番「ジュニア選手の育成もしていきたいですし、バドミントン普及のために自分の体育館も本気で建てたい」と後進の指導に力を注ぎたいと話していた。実際、所属チームのNTT東日本では指導者のポストを用意されているというが、子どもたちにバドミントンの楽しさや世界で活躍する選手を育てたいという思いが強い選手であることもよく分かった。

 彼が子どもたちに“バドミントンを教えたい”と言うのは想定内。どの大会でも優勝を目指し、努力し続けてきたからこそ芽生えた熱い思いでもある。しかし、一方で“真面目な桃田”とは違う、素の姿が見えるやり取りもあった。

「お酒も飲むし、マジメでも固い人でもない」

「世間のイメージは“見たまま”だと思いますが、私生活のほうがちょっと元気かもしれません(笑)。お酒も飲みますし、後輩たちと焼肉に行ったりして、ワイワイと楽しく過ごすことも多い。その時間が一番リラックスできているのかなと思います。自分では寂しがり屋で気分屋だと思います(笑)。1人でいると気持ちが沈んじゃうというか、1人での時間が充実することがあまりないので、ご飯も誰かと食べたい。だから、結構誘っちゃうタイプです。チームでは基本的に年上なのでだいたいおごりますよ。めっちゃマジメでも、固い人でもないと思います」

 今まで聞いたことがない話に加え、桃田のイメージがまた変わった。この言葉からグッと親近感がわいたのは言うまでもない。

「引退後はひっそりと生活したい」

 これだけ実績のある選手であれば、テレビなどメディアへの出演依頼も来るはずだが、「したくないですね(笑)」と笑っていた。「現役が終わったら表に出るのはもういいかなって。ジュニアの選手たちを見ながら楽しく過ごしたいです。もちろん注目されるのは嫌いじゃないです。でも、現役が終わったら、たぶんそういうのも煩わしくなってくるかなと思う。ひっそりと生活したい」。

 最後まで桃田“らしさ”全開だった。まずは来年2月にラケットを置くまで、ベストを尽くす姿を見せてほしい。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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