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ベルモントSで日本馬マスターフェンサーに騎乗したフランス人騎手が悔しい表情を見せた本当の理由

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

ダービーの善戦を受け、ベルモントSでは無視出来ない存在に

 現地時間6月8日午後、日本時間同9日早朝、アメリカ・ニューヨークにあるベルモントパーク競馬場でベルモントS(G1、ダート2400メートル)が行われた。ベルモントSはアメリカのクラシック三冠レースの一つ。ケンタッキーダービー、プリークネスSに続く三冠目のレースである。

 ここに日本のマスターフェンサー(牡3歳、栗東・角田晃一厩舎)が挑戦した。

 同馬は元々一冠目のケンタッキーダービーに出走。7位入線後、繰り上がりで6着となっていた。この着順は過去に同レースに挑戦した日本馬の中では最高。とくにラスト3ハロンは出走馬中最速のタイムで追い上げるパフォーマンスを披露していた。そこを叩いて今回のベルモントSに出走。調教師の角田を筆頭に陣営は総じて「急きょの遠征だったケンタッキーダービーを使われて状態は良くなっている」と口を揃えた。加えて距離も400メートル延長される事から、末脚勝負のこの馬にはダービー以上のパフォーマンスが期待され、馬券発売された日本だけでなく、現地でも決して無視出来ない存在として扱われていた。

調教でマスターフェンサーに跨るルパルー
調教でマスターフェンサーに跨るルパルー

フランス人ながらアメリカで大成功したジョッキー

 手応えを感じていたのは手綱を取る騎手のJ・ルパルーも同様だ。

 父も元騎手の彼は2003年にアメリカへ渡りエクセサイズライダーで下積みをした後、05年に騎手デビュー。翌06年には403勝を挙げるのだが、これは何とこの年の北米最多勝。文句無しで最優秀見習い騎手賞を受賞した。09年にはブリーダーズカップ3勝などG1を9勝。最優秀騎手賞を獲得した。

 中でもケンタッキーダービーの行われるチャーチルダウンズ競馬場では同競馬場の1日最多勝記録となる7勝や9度の開催リーディングと秀逸な成績を残している。

 そんな彼に、ケンタッキーダービーに出走するマスターフェンサー陣営が白羽の矢を立てたわけだが、ここで一つ疑問が生じる。それだけ売れっ子の彼がよく空いていたな……という疑問である。すると、やはりスンナリと今回の騎乗を承諾してくれたわけではない事が、分かった。語るのはマスターフェンサーの吉澤克己オーナーだ。

 「ケンタッキーダービーの時期は日本でG1真っ盛りなので、日本の騎手をわざわざ呼ぶのは迷惑がかかると思い、現地の騎手を調達する事にしました。そこでチャーチルダウンズ競馬場に実績のある彼にお願いしたのですが、最初は『少し待ってください』という返事でした」

 ブルーグラスSで依頼を受けている馬がおり、それが好走してケンタッキーダービーへ進むようならそちらに乗らなくてはいけないというのが待たされた理由だった。

 こうしてマスターフェンサー陣営は彼の正式な返事を待たされたのだが、結果的にはブルーグラスSに出走したその馬は不発に終わったため、めでたくこの鞍上を確保出来たのだ。

トレーニングトラックでウォーミングアップするマスターフェンサーとルパルー
トレーニングトラックでウォーミングアップするマスターフェンサーとルパルー

ルパルーにとって実は悔しい結果だった理由

 無事に初コンビを組んだケンタッキーダービーは最後方から先述した通り6着まで末脚を伸ばした。これを受けて「不器用だけど互角に渡り合える能力はある」と語ったルパルー。ベルモントSの最終追い切りでも自ら騎乗して感触を確かめた。

 「手前(軸脚)を変えないなど、相変わらず不器用な面はあるけど、動きそのものはダービーの時より良かった。期待できそうです」

 こう語り、いざ本番を迎えた。しかし、レースは予想以上の遅い流れになってしまった。例によって最後方からの競馬となったマスターフェンサーとルパルーは、ペースが上がった時点で追走するのが精一杯。最後は前走同様、伸びるシーンを見せたものの、勝負どころで追走に苦しんだ分、前を捉えるには至らず。またも手前が変わらないまま、5着でのゴールとなった。

ベルモントS直後のルパルー
ベルモントS直後のルパルー

 「よく伸びてくれました。3~4コーナーでスムーズについていけなかったのが痛かったです」

 ルパルーはそう語りつつ悔しそうな表情を隠そうとしなかった。

 しかし、彼がそんな表情を見せたのは単に惜敗したから、ではない。このベルモントSを制したのはダークホースのサーウィンストン。この馬こそ、ルパルーがブルーグラスSで騎乗した馬だったのだ。

ゴール前、抜け出したのはロザリオ騎手騎乗のサーウィンストン。元はルパルーのお手馬だった
ゴール前、抜け出したのはロザリオ騎手騎乗のサーウィンストン。元はルパルーのお手馬だった

 ジョッキーだからこの手の乗り替わりによる悲劇は珍しい事ではない。だから彼は「向こうに乗っておけばよかった」などとは全く発す事は無かった。彼は最後まで日本馬のために一緒になって懸命に戦ってくれた。そんな彼のためにも、近い将来、日本馬とのコンビで大仕事をやってのける日が来れば幸いである。マスターフェンサーのアメリカクラシックレース挑戦はひとまず区切りが打たれたが、物語はまだ続く事と信じたい。

マスターフェンサーと一緒に戦ったルパルー騎手
マスターフェンサーと一緒に戦ったルパルー騎手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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