相模原事件被害者家族と植松聖被告の法廷対決!初めて障害者に謝罪した一部始終
相模原障害者殺傷事件の公判が続いている。私も連日、横浜通いで結構大変な日々を送っている。2月5日の公判では、被害者参加制度を利用して、犠牲となった甲Eさんの弟さんと、津久井やまゆり園の前家族会会長・尾野剛志さんが、植松聖被告に尋問。法廷で加害者と被害者が対決するという場面となった。
前回の記事に書いたように、その約1週間前の1月30日に私は植松被告に接見。初公判で彼が見せた謝罪と小指噛みちぎり騒動は、謝罪として社会に伝わっておらず、誰に何を謝まるのか改めて法廷で謝罪すべきだ、とアドバイスした。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200205-00161754/
相模原事件・植松聖被告に1月末に接見し改めて謝罪するよう提案した
その後の最初の法廷が今回だったのだが、恐らく植松被告はあらかじめ謝罪する気構えでいたのだろう。初めて正式な場で、殺傷した障害者の方々へ謝罪した。
尾野さんが、謝罪したのは初めてですね、と確認しようとしたのに対して植松被告が、いや3年前から謝っていますと答えて話が噛み合わない場面もあったが、植松被告がこれまで謝罪していたのは、あくまでも犠牲者や被害者の家族、または傷つけた職員、つまりそういう健常者を巻き込んだことに対してだった。殺傷した相手への謝罪は今回が初めてだ。
もちろんその謝罪の一方で、自分のやったことは間違っていないと犯行の正当性も強調したので、遺族や家族は「受け入れられないし、許すことはありえない」という受け止め方だ。ただ、そうはいっても今回の謝罪は意味を持っていると思う。
その法廷でのやりとりと、謝罪の背景などを書いておこう。
なおここに掲げた植松被告の後ろ姿のスケッチは、傍聴していた平野泰史さんがスケッチしたもの。平野さんも息子さんが事件当時、津久井やまゆり園に入所していた(『創』1月号 元入所者座談会参照)
顔を隠さずに法廷に立った犠牲者の弟
最初に植松被告を尋問したのは、犠牲となった甲Eさんの弟だ。実名を名乗らないことは知らされていたから多くの傍聴者が、弟さんの顔が見えないように衝立で仕切るのではと思っていたが、そうでなく彼は法廷で素顔をさらして尋問を行った。
恐らく考えたうえでの覚悟の顔出しだったと思う。私は傍聴席で見ていてそのことにまず敬意を表したいと思った。
一部の人の間では知られたことだが、この男性は、植松被告に10回前後接見しており、『創』編集部が主催した新宿ロフトプラスワンでのシンポジウムにも会場に来てくれて、終了後、話をした。彼が何度も接見した様子も植松被告に聞いていた。
植松被告はその男性が「接見している時、いつも我慢しているのだと思う」と言っていた。本当は姉を殺した相手だから憎んでいるはずだが、そういう気持ちを表わさずに接見していたというのだ。今回の法廷でも、終始、被告を「植松聖さん」と敬称で呼ぶなど冷静な姿勢だったが、その丁寧な言葉に比して追及の中身は厳しいものだった。
今回の法廷対決の前の最後の接見では、男性は植松被告と激しい口論になったという。それを詫びる言葉から尋問は始まった。
遺(遺族) 僕は事件の後、狂乱状態でした。植松聖さん、接見の時はひどいことを言ってごめんなさい。でも僕は、この裁判は切ない裁判だと思っています。そう思いませんか?
被(被告) そう思います。
遺 遺族が匿名をお願いしたことについてどう思いますか?
被 仕方ないと思います。
遺 (遺族や被害者家族が)白い壁で仕切られていることをどう思いますか?
被 仕方ないと思います。
遺 世の中はこの裁判に期待をしています。いろんな答えを求めています。
被 はい。
遺 例えばどういうことが求められていると思いますか?
被 (少し考えて)難しい質問で、すぐには答えられません。
遺 僕は押しつぶされるような思いでいっぱいです。
植松聖さん、あなたは事件の後、自首しましたよね。その日1日、何を考えていましたか?
被 疲れました。一心不乱だったので、とにかく疲れました。
亡くなられた方にはまことに申し訳なく思います。
遺 僕はその日、一日放心状態でした。涙が止まりませんでした。(当時を思い出してか涙を拭う)
裁判は残酷だなとも思いました。調書が読み上げられましたが、あなたが殺した姉の死にざまを教えて下さい。
被 (少し考えて)申し訳ありません。細かい死にざまなど見ておりません。
遺 調書によると刺された後、姉は起き上がったとありますが、その記憶はありますか?
被 ありません。
遺 姉は普段から起きてはいないのですが、その姉がいきなり起き上がったとありました。それはすごいことだと思うのですが。
被 記憶にありません。
遺 姉を3回刺したとありましたが…
被 3回以上刺していると思います。
「なぜ殺さなければいけないのですか?」
遺 どうして殺したのですか?
被 意思疎通のとれない人は社会にとって迷惑だと思ったのです。
遺 なぜ殺さなければならないのですか?
被 殺した方が社会の役に立つと思ったからです。
遺 植松聖さん、事件の1年ほど前から差別的な考えになったというのはなぜなんですか?
被 社会状況を見てそう気がついたからです。
また小中学校時代から重度の知的障害の子がいて、どんな状況か知っていました。
遺 植松聖さん、今はどういう気持ちですか? 僕はすごく緊張していますが、植松聖さんはいかがですか?
被 ご遺族の方と話すのは心苦しいです。
遺 植松聖さん、あなたのやったことはただの弱い者いじめじゃないですか?
被 申し訳ありませんが、そうは思いません。
遺 弱い人を寝ている時に殺すのは、あまりにひどいじゃないですか?
被 仕方ないと思っています。
遺 植松聖さん、今改めて何を考えていますか?
被 ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
遺 植松聖さん、あなたにとって大切な人は誰ですか?
被 大切な人? 大切な人は「いい人」です。
遺 植松聖さん、あなたの趣味や楽しいことは何ですか?
被 趣味は大麻です。
遺 ほかには?
被 (間をおいて)大麻です。
遺 幸せを感じるのはどういう時ですか?
被 大麻を吸って、中の良い友達と一緒にすごす時です。
遺 植松聖さん、甲Eを殺してどう思いました?
被 まことに申し訳なく思います。
遺 植松聖さん、あなたは自分の言動に責任を持つ人ですか?
被 はい。
遺 あなたが涙を流したのは最近ではいつのことですか?
被 (沈黙)
遺 植松聖さん、自分を大切にしていますか?
被 はい。
遺 自分を好きですか?
被 今の自分はそれなりに。
遺 植松聖さん、あなたは何人兄弟ですか?
被 一人っ子です。
「姉についてどう責任をとってくれますか?」
遺 植松聖さん、あなたはこの日本が好きですか?
被 まちがっているところもありますが、日本はいい国だと思います。
遺 植松聖さん、あなたはよく「死」を口にしますが、あなたにとって「死」とは何ですか?
被 死は仕方がないことです。
遺 植松聖さん、あなたは人間の死を軽く考えていませんか?
被 軽く考えているつもりはありません。
遺 植松聖さん、あなたはやまゆり園にどうして入ったのですか?
被 たまたまです。
遺 事件の1年前、どうしてやまゆり園を辞めなかったのですか? 障害者がいやなら辞めればよかったのではないですか?
被 気がついたからです。彼らがいない方がよいと気がつきました。
遺 辞めていれば事件を起こさなくてよかったのではないですか?
被 やまゆり園に不満があったわけではありません。施設の中では良い施設だったと思っています。やまゆり園に不満があったわけではなく、障害者に対する施設のあり方がおかしいと思いました。
遺 植松聖さん、事件はあなたのコンプレックスは引き起こしたのではないですか?
被 あんなことをしないでいい社会にしたいと思います。私が歌手だとか野球選手になれるなら別でしょうが、そうでない自分にはできることをするしかないと思いました。
遺 野球選手とは話が違うと思います。
植松聖さん、責任能力とはどういうことでしょうか。
被 意思の疎通がとれるということです。
遺 あなたは甲Eについてどんな責任をとってくれますか?
被 長年育てられてきたお母さんのことを思うと、いたたまれなく思います。
でも、それでも重度障害者を育てるのは間違っていると思います。
遺 何か切なくなってきたので、これで質問を終わります。
甲Eさんの弟の質問は以上だ。「あなたはどんな責任をとるのか」と詰め寄った時には、期待した答えは「死んでお詫びします」ということだったのか、また植松被告自身も「死んでお詫びします」と言いかねないと一瞬ハラハラしたが、そこまでには至らなかった。
続いて尾野さんによる尋問だ。
「意思疎通をとろうと努力したことはありますか?」
尾(尾野さん) 私のこと知ってますか?
被 はい。
尾 どんなことを知っていますか?
被 メディアに出られたのを拝見しています。
尾 それだけですか?
被 津久井やまゆり園家族会の前会長です。
尾 あなたは今、幸せですか?
被 幸せではありません。
尾 なぜですか?
被 めんどうだからです。不自由だからです。
尾 意思疎通がとれない人は不幸を生むのですか?
被 その通りです。
尾 なぜですか?
被 お金と時間を奪っていると思ったからです。
尾 あなたは友人の紹介でやまゆり園に勤務したのですね。
被 こういう仕事があるよ、と教えられました。
尾 やまゆり園に入って最初に、体育館ですがすがしい自己紹介をしてましたよね。
被 記憶にないですが、そうかもしれません。
尾 最初は「障害者は可愛い」と言っていたんでしょう?
被 そう思った方が、仕事がしやすいからかもしれません。
尾 本当は違うということ?
被 そう思い込んだということだと思います。
尾 でも障害者は必要ないと変わったのはなぜ?
被 彼らの世話をしている場合でない、社会には不幸な人がいっぱいいるし、日本もそれどころではないと思いました。決してやまゆり園だからというわけではありません。
尾 あなたが「心失者」という言葉を使い、安楽死させた方がいいと言ったのはなぜですか?
被 それが正しい考えだと思ったからです。
尾 何を根拠にそう考えたのですか?
被 お金と時間を奪っているからです。
尾 僕は、意思疎通できない人なんていないと思う。
被 そうは思いません。
尾 意思疎通をとろうと努力したことはありますか?
被 あります。
尾 どういう時ですか?
被 普段から意思疎通とれるようにしてるので。
ただ完全に理解できない方もいるなと思います。
尾 実際に意思疎通がとれない人とはどういう人ですか?
被 名前・年齢・住所などが言えない人、対話ができない人です。
「皆さまとは誰に対して詫びたのですか?」
尾 第一回公判で謝罪しましたが、誰にお詫びしたんですか?
被 皆さまです。
尾 皆さまとは誰のことですか?
被 亡くなられた方、ご家族です。迷惑をおかけした全ての方です。
尾 もう一度ここで謝ってもらえますか。
被 (大きな声で)まことに申し訳ございませんでした。
尾 今の気持ちは受け止めます。でもあなたの行ったことは受け入れることはできません。許すこともできません。
被 仕方ないと思います。
尾 あなたは子どもの頃、どんなことをしてましたか?どんなところへ行ってましたか?
被 海とか川です。
尾 ご両親とどんなところに行きましたか?
被 (少し考えて)申し訳ありませんが、特にそれを言う必要もないと思います。
尾 友人についてはどうですか?
被 止めてくれた方々を裏切ってしまったこと申し訳ないと思います。
尾 お詫びしたい?
被 そうです。
尾 お父さんお母さんにも同じ気持ちですか?
被 そうです。
尾 私たちも悩みながら育ててきて、小さな喜びを感じているんです。
被 長年育てられた母親のことを思うといたたまれなく思います。
尾 あなたの謝罪の言葉は、僕もそうしてほしかったし、なぜもっと早くその言葉を言ってもらえなかったのか。
被 事件の後、記者の方に会った時にお詫びの言葉は申しました。記事にもなっていると思います。
尾 もっと早く被害者家族に伝えていただいていれば、僕らの気持ちも変わったかもしれない。
この3年間の植松被告の変化
やりとりは以上だ。
1月30日に接見した時、植松被告に、明確な謝罪を法廷でもう一度行うことを強く説得したが、それがそんなに早く実行に移されるとは少々予想外だった。植松被告にも思うところはあるし、今までの対応からは一歩踏み出すことになるからだ。
植松被告が、記者に会った最初にお詫びを言ったというのは、2017年2月に起訴されて接見禁止が解除された時、連日接見に訪れた記者に語ったことを指している。『開けられたパンドラの箱』のP8以降に詳しく書いているが、例えば最初に接見した東京新聞では、彼の言葉はこう報じられている。
「私の考えと判断で殺傷し、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことくぉ深くお詫びします」
あくまでも遺族や家族を巻き込んでしまったことへのお詫びだ。その後、一貫して植松被告はそう主張してきた。殺傷した対象は「心失者」だが、健常者にも悲しみを与えたことについては謝罪した。事件でやまゆり園に侵入した時にも、職員を傷つけるつもりはないと言っていた。
そう考えると、殺傷した相手に謝罪したのは今回が初めてだ。ただ植松被告は、自分が変わったと捉えられることを潔しとしていないようだ。1月14日の接見で私と話した時も、「いつから変わったの?」と聞くと、「前から謝罪はしてました」と言った。
そのあたりは、植松被告自身も気持ちの整理をしている過程なのかもしれない。殺傷した相手に謝罪するということは、自分のやったことを反省することにつながるのだが、そこはどこかで線引きせねばと考えているようだ。
植松被告は裁判直前から、それまでと違ったことを語るようになったし、法廷で被害者や犠牲者の家族や遺族の話も聞いて、さらにいろいろ考えつつあるといえる。遺族両親に対して「長年育てられた母親のことを思うといたたまれなく思います」といった言葉も、以前なら出てこなかった表現だ。
この2年半、毎月接見し手紙のやりとりもしてきた私から見れば、この1カ月ほどの植松被告の変化はかなりのものだと思う。でも一方で、彼はもう死刑判決を覚悟し、自分のやったことは正しかったという思いは崩さないと決めているようだ。
植松被告はいろいろな尋問で頻繁に汗をたくさんかき、体調は大丈夫ですか?と声をかけられた。傍聴席からは証言している時の顔は見えないのだが、何度もそんなふうに声をかけられているから、体調不良に見えるような様子だったのだと思う。
恐らく証言しながら、緊張も葛藤もあったのだろうと思う。それを自分の中でどう整理していくのか。
公判はまだもう少し続いていく。
なおこのところ相模原事件について議論する機会も増えつつある。私が出演するものを紹介しておこう。
近いところでは2月28日(金)18時半から『あらためて「やまゆり園事件」を問う』というパネルディスカッション。この記事でも紹介した尾野剛志さんや毎日新聞記者らと議論する。主催は日本障害者協議会で、藤井克徳代表と「強制不妊問題」に取り組んでいる藤木和子弁護士がコーディネイターを務める。中身の濃い議論ができるはずなので、ぜひ多くの人においでいただきたい。詳しくは下記、日本障害者協議会のHPをご覧いただきたい。
http://www.jdnet.gr.jp/event/2019/200121.html
もうひとつは3月23日の新宿ロフトプラスワンでのトークイベントで、「こんな夜更けにバナナかよ」作者の渡辺一史さんや「津久井やまゆり園を考え続ける会」の堀利和さんらと議論する。主催はこの事件についてのドキュメンタリー映画を制作・上映している澤則雄さんらだ。詳細は下記を見ていただきたい。