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「1人で死ね」ではなく~川崎19人殺傷事件で当事者でない1人として言えることできること

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(写真:ロイター/アフロ)

 川崎市多摩区で私立小学校の児童・保護者らが刃物を持った男に襲われ、2人が死亡し、17人が重軽傷を負った事件。被害者は、犯人とは何の接点もないだろうし、もとよりこんな仕打ちを受ける謂われはない。特に命を奪われた2人の死を悼み、遺族に少しでも慰めがもたらされるよう祈りたい。

被疑者自殺の理不尽

 犯人とおぼしき男の自殺は、被害者を余計に辛い立場に追い込んだと思う。今は、悲しみに耐えることで精一杯の遺族が、今後、犯人から事件を起こした理由を聞きたいと考えても、犯人に恨みをぶつけたいと思っても、その対象はすでにいない。犯人が少年であれば、親の責任を問うていくこともできようが、今回は51歳の大人。動機を問い質すことも、責任を追及することもできない。遺族にとって、こんな理不尽で残酷なことはない。

 男は自殺に多くの無関係の人を巻き込んだものと見られ、ネットでもリアルの世界でも、「死にたいなら一人で死ねばいいのに」という憤りの言葉が飛び交っている。

「『1人で死ぬべき』は控えよう」に反発

 これに対し、社会福祉士で貧困などの問題に関わるNPO法人代表の藤田孝典さんが、Yahoo!ニュース(個人)で「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」と呼びかけた。すると、これに共鳴する人たちがいる一方、激しく反発する人たちのコメントがネット上あふれた。

「薄っぺらい」「不快」「ただのきれい事」「こういう加害者擁護が犯罪を助長する」「遺族に対する配慮が欠けている」「遺族を前にして言えるのか」……

 以下のようなtweetも目にした。

 藤田さんが犯人擁護をしていると早合点している人も少なくなかった。また、「自分や自分の家族が被害にあっても同じことが言えるのか」といった物言いも目についた。

当事者ではないからこそ言えること

 これについて、私が共感したのは、あるブログに掲載された、次のような穏やかな反論だった。

〈自分の家族が殺されてしまった人にそんな殊勝なことを言えとはとても言えない。言えるわけがない。決して無理に言わせたりなんかしてはならない。

 しかし、そのような視点を社会が持つことが同じような理不尽が繰り返されないために必要であるならば、それなら代わりに当事者ではない誰かが言うべきだ。

(中略)

 当事者だからこそ言えることがあるように、当事者ではないからこそ言えることできることを探したい。〉

出典:ズイショさんのブログより

 私もまた、当事者ではない1人として、この問題について言えることできることを探したいと思う。そこで、慌てて書いたためだろう、いささか言葉足らずな藤田稿を私なりに補う意味もあって、本稿を書いている。

人を道連れにする「拡大自殺」

 死刑願望を含む自殺巻き込み型の無差別殺人は、これまでも起きている。

 児童8人が死亡し、児童生徒15人がけがを負った大阪教育大付属池田小学校の事件(2001年)、2人が死亡し7人が重傷を負った土浦連続殺傷事件(2008年)、7人が死亡し10人が負傷した秋葉原通り魔事件(同)等々。秋葉原事件を模倣したとみられる1人死亡11人負傷のマツダ本社工場殺傷事件(2010年)などもその一つと言っていいのではないか。

 精神科医の片田珠美さんは、著書『拡大自殺~大量殺人・自爆テロ・無理心中』(角川選書)の中で、次のように説明している。

「このように絶望感から自殺願望と復讐願望を抱き、誰かを道連れに無理心中を図ることを精神医学では『拡大自殺』と呼ぶ」

出典:片田さん『拡大自殺』より

 その一つの典型として、横溝正史の『八つ墓村』のモデルになった「津山三十人殺し事件」を挙げている。

コロンバイン高校事件犯人の母の言葉

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 アメリカでは、13人が死亡し、犯人の生徒2人も自殺したコロンバイン高校事件などの「拡大自殺」型の銃乱射事件がいくつも起きた。犯人の1人の母親スー・クレボルトさんは、自分が子どもの何を見落としていたのかを考え続け、3年前(日本語訳は2年前)に手記『息子が殺人犯になった』(亜紀書房)を出した。

 彼女は、いじめを受けるなどして、息子に気がかりな言動が増えているのを案じていたが、自殺願望が膨らんでいたことには気づかなかった。そんな自分を悔やみながら、自死遺族との関わりの中で、多くの遺族が(専門家でさえ)同じであることを知った。事件を起こした後に自殺している人の遺族も同様だった。それで彼女は、自殺予防の活動に熱心に関わるようになる。

〈殺人後の自殺者の遺族たちは、私と同じように、自殺が事件の原因であると考えていたが、世間は全体を殺人として考えることに固執している。私たちは殺人後の自殺は自殺の一つの形であり、自殺を予防することで、殺人も防げるのだと広く知って欲しかった〉

出典:『息子が殺人犯になった』より

「必要とされていない」が引き金に

長谷川博一さん(こころぎふ臨床心理センターのホームページより)
長谷川博一さん(こころぎふ臨床心理センターのホームページより)

 多くの犯人たちと面会、文通などして、犯罪者の心理を研究してきた、「こころぎふ臨床心理センター」の長谷川博一センター長も、事件と自殺が一連のものであることを指摘する。

「自分に存在価値を見いだせないでいる人が、その原因を外(社会)に求めて、復讐として通り魔事件を起こし、自殺を図るなどして人生を終わらせようとする」

「秋葉原事件では、彼は自分は生きていてもしょうがないという考えに苛まれながら生きてきた。最終的に、(勤務先の)ロッカーに自分の服がないということで、『自分は必要とされていない』と思ったことがトリガーになった」

 今、自分に存在価値を見いだせずに悶々としている人たちが、ネットにあふれる「1人で勝手に死ね」のメッセージを見た時に、それがトリガーになって、自殺したり、その際人を巻き添えにしたりする人が出ることを長谷川さんは心配する。

「死にたいと思う人を止める役割の者からすると、そういう言葉は、死にたい人に『死ね』と言っているに等しい。言っている人たちは、他者を巻き込んだという部分だけを見ていて、事件全体を俯瞰的に見ていないのだと思う。自殺を考える人をどのように減らしていくかを考えるのが事件の本質。本質を見て欲しい。社会全体が考えていくべき問題と思います」

命の瀬戸際に追い込まれない環境作り

清水康之さん
清水康之さん

 自殺対策支援センター・ライフリンクの清水康之代表は、「誰が犠牲になっていてもおかしくない事件だった。決して他人事ではない。何よりもまず、亡くなられた方への哀悼の意を表したい」としたうえで、「ひとりで勝手に死んでくれ」メッセージについて、次のように語る。

「同じような事件や惨事を繰り返させないためには、社会全体として、そもそも『人間が命の瀬戸際に追い込まれることのない社会(環境)』を作る方向で対策を進めていかなければならない。『窮鼠猫をもかむ』ではないが、社会の中で命や暮らしが追い詰められたとき、そのリアクションとして、社会に対して恨みを抱き、暴力性が内にではなく外に向かって、『誰でもいいから』と殺人を企てる人を皆無にはできないだろう。そうした人たちに『ひとりで勝手に死んでくれ』と言ったところでなんの実効性もない。むしろ、生き死にのはざまに立たされている人を自殺へと追い込みかねない」

「社会としてやるべきことは、『殺人を犯して自ら命を絶つよりも、ここでこうやって生きていく方が良い』と思われる社会を作っていくことではないか。自殺対策は、『誰も自殺に追い込まれることのない社会』をめざすという方向性で対策を進めている。『誰も不条理な死を強いられることのない社会』作りを行っていくという理念で対策を進めていかないと、いつまで経っても同じような事件が起き続けるのではないか」

プロセスの分析が大事

 今回の事件は、男が死亡したことから、限界はあるものの、生育環境や人間関係、暮らしぶりなどの背景を調べることが大切だと清水さんは強調する。

「どういうプロセスでこうなったかを分析し、どこで社会が介入して止めることができたかを考える。それに基づいて具体的な取り組みを進めていくことが、私たち(社会)が、亡くなった人たちのことを想ってできる最大限の哀悼ではないか」

過剰な事件報道は被疑者の思うつぼかも…

 その一方で、過剰な報道にも清水さんは警鐘を鳴らす。

「いじめ自殺が大きく報じられ、加害者や学校に批判が向くのを見ると、いじめに苦しんでいる子が、『自分が死ねば一矢報いることができるのでは』と思ってしまうことがある。今、自殺を考えている人が、ただの自殺では見向きもされないが、こうやって人を殺してから死ねば、大きく取り上げられ、自分の存在を示せるという発想になってしまうのを懸念している」

 対策を検討するために、事件の背景となる彼の生い立ちや人間関係を分析することは必要だが、過剰な事件報道は、もしかしたら彼の思うつぼかもしれない。

 ニュージーランド・クライストチャーチのモスクが白人至上主義者と思われる男に銃撃され、約100人が死傷した事件の後、アーダーン首相は「この男の名前を呼ばない」と議会で宣言したことを思い出したい。

 その理由を同首相は次のように述べている。

「彼は、罪を犯すことでたくさんのことを得ようとしたが、その一つが自身の悪名をとどろかせることだった」「彼はテロリストで、犯罪者で、過激主義者だ。しかし彼は、私が話すときは、名前を持たない」

 そして、こう訴えた。

「人の命を奪った男の名前ではなく、命を失った人たちの名前を声に出してほしい」

 私も、男の名前ではなく、今回の事件で理不尽に命を奪われた2人の名前をここに記し、早すぎる死を悼みたい。

 小山智史(おやま・さとし)さん(39)=外務省職員

 栗林華子(くりばやし・はなこ)さん(11)=カリタス小学校6年生

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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