失敗しても構わない―復興の現場・南相馬に飛び込む<後編>
大阪から被災地の福島県南相馬市へ飛び出してきた、会計士の杉中氏。前編に続いて今回の後編では、農業ビジネス、そして彼の理想とする世界について想いを語ってもらいました。
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岩佐)一般社団法人あすびと福島(前記事参照)だけでなく、南相馬復興アグリの方でも、杉中さんは経営補佐として働かれているんですよね。先ほどトマト菜園のハウスへも行ってきましたが、とても大きくて立派なハウスでした。
杉中)実は、あの大規模トマト菜園は2015年の12月にスタートしたばかりなんです。南相馬復興アグリは、農業経営人材の育成を目的としてトマト菜園を運営する会社です。カゴメが技術支援、全量買い取りを行います。ありがたいことに、毎週のようにカゴメの社員が指導に来てくれています。
この3月が初出荷なので、僕も今月はほぼ毎日あちらに行っていますね。売上をどう作るか、どう生産性を上げるために人材を育てるか、ということを日々考えています。
岩佐)あれだけのハウスを建てるのに、資金はどうされているんですか?運転資金もいるでしょうし。
杉中)土地は市の工業団地を買いました。土地・建物への投資額は約11億円で、うち7.5億円は経済産業省の補助金、残りの3.5億円は銀行借り入れで賄っています。これ以外に日々の運転資金がかかりますが、それは半谷個人、カゴメ、ヨークベニマル、電通、三菱商事復興支援財団などからの出資が中心です。
一から菜園を運営するというのは本当に大変ですね。加えて、スタッフのトレーニングはこれからなので、人が育つのもこれからです。
岩佐)よくわかります、GRAもそうでしたので。3年目くらいまではキャッシュはずっとマイナスで、今年やっと均衡してきました。これからどんどんキャッシュが減っていく可能性がある中で、いかに生産性を上げるか、人を育てていくか。何か目標は設定しているんですか?
杉中)栽培面積は1.5ha(15,000m2)あって、年間収穫量は660t(1t=1,000kg)を目標にしています。トマトが一番取れるのは3月終わりから6月終わりにかけてなので、そこが一番勝負ですね。人がまだまだ慣れてない段階で勝負の時期を迎えるのはとてもチャレンジングです。
岩佐)今はカゴメが買い取りをしていますが、自社で値段を決められないジレンマはありますか?いずれは独自のブランドを作ることを考えているんでしょうか?
杉中)ジレンマというより、立ち上げ期の新規事業にとって、全量買取りほどありがたいことはありません。地元のスーパーのヨークベニマルでは、すでに「あすびとトマト」というオリジナルブランドで販売されています。「明日の福島の農業を担う人々がつくったトマト」という思いを込めています。
岩佐)半谷さんはものすごくカリスマ的な方ですし、この会社も福島の希望としてとても注目を集めていると思いますが、ここで働くことに対してのプレッシャーは感じますか?
杉中)日々のことに没頭していると、感じる暇がないですね。僕は目の前のことを一生懸命やるのみかなと。
岩佐)半谷さんのすごさはどんなところでしょうか。
杉中)僕自身の言葉ではないのですが、「半谷は、経営をアート的な感覚でやっている」と言った人がいます。思い付きのようにも見えるアイデア・判断が、いつの間にかしっかりビジネスの形になっている。そこが彼のすごいところです。
僕も岩佐さんに聞いてみたいことがあるのですが、岩佐さんは経営をする上で、「PDPDPDCA」とよく言われますよね。それについて詳しくお聞きしたいです。
岩佐)例えばイチゴ作りは1周するのに20か月もかかります。親株を育ててそこから子苗を採ってそれを育ててハウスに定植する。つまり少なくてもビジネスを一周させるのに一年以上かかるわけです。そこが工業製品との一番の違いで、リードタイムが長い。従って失敗したとしても、あるいは成功したとしても、それを次に生かすまでに時間がかかるわけです。だから時間を節約するために打ち手の数を多くすることがとても重要なんです。
杉中)走りながら考えるということですね。
岩佐)杉中さんは大阪から東北へ来て、活躍できている感覚はありますか?
杉中)まだそこまで至ってないですね。日々、壁にぶちあたっています。
岩佐)生きがいや充実感はどうですか?
杉中)これまで自分がいた世界とは全然違うのですが、来てよかったです。監査法人ではできない経験をさせてもらっているので。こちらの方が子供からシニアの方まで、話をする相手の幅が広いのが、とても面白いですね。これまでは会計の世界の専門用語で話すことがほとんどでしたが、ここで色々な方と話すことは、凝り固まったバイアスをほぐすような感覚です。立ち上げ期にあるトマト菜園を安定化させるところまで持っていければ、一段上のやりがいを感じるのかもしれませんね。
岩佐)自分の業界の専門用語が通じない方と話すのは、最初はストレスだと思いますが、様々な方と話すことがどうして面白いのでしょうか。
杉中)極端な言い方ですが、僕は、専門家がいない世の中を考えることがあります。人工知能で弁護士の仕事の一部ができるくらいの時代になってきているので、専門家の役割は変わりつつあります。一方で、もし専門用語を使わない普通の言葉で誰もが理解できるような世界になると、複雑な問題に対して多くの人が自分で考え、行動して問題解決できる幅が拡がる。
僕は出向前はアカウンティングファームで働いていたわけですが、会計プロフェッショナル以外の立場でも社会と関われないかとずっと考えていました。だから今の立場にとても感謝しています。出向という形でチャンスを与えてくれた会社にも、受け入れてくれた半谷にも。
岩佐)考えてみれば宮城と福島は隣同士で、これから連携できることもたくさんありますね。地域創生で大事なことは各地域で囲い込むことではなく、連携と共創が大事だと思っています。これからも共有できるものを共有して、一緒に農業や東北、日本を盛り上げていきたいですね。
杉中 貴(スギナカ タカシ)1984年滋賀県生まれ。関西の大学を卒業の後、縁の下の力持ちとして社会に貢献したいとの思いから公認会計士に。2015年7月、会社へ直談判をし、あずさ監査法人から一般社団法人あすびと福島へ出向。福島の復興のため、日々壁にぶちあたりながらも邁進中。謙虚で丁寧な人柄の中に熱い思いを秘める。