MAX158キロ――日本人最速左腕ホークス川原弘之の復活ロード
工藤監督も評論家時代から注目
日本人左腕最速158キロをマークしたことのあるホークスの川原弘之。
‘12年7月28日、下関球場。ウエスタン・リーグのドラゴンズ戦でその記録を叩きだした。しかし1軍実績は少ない。その年の2試合と翌‘13年に1試合の計3度のみ。
それでもこれだけの素質は誰もが放っておかない。特に目をかけたのが工藤公康監督だ。まだホークスの監督に就任する前の評論家時代に、宮崎キャンプを取材で訪れた際に川原に大注目。ブルペンで投げれば王貞治球団会長、秋山幸二監督(当時)、工藤・現監督が並んで熱視線を送る光景も見られた。
当時も、工藤・現監督は「排気量の大きな車は操作が難しい」と自動車に例えて表現していたが、川原は自分の才能をなかなか操れずにいた。
昨年、左肩と左肘を手術
その矢先、川原は故障に見舞われる。‘14年に左肩に痛みを覚え始めた。翌‘15年の開幕前にメスを入れた。さらに左肘にも異変を発症して、同年11月25日には「トミー・ジョン手術」を受けた。
そして昨オフには戦力外通告を受け、育成選手として再契約。背番号は「26」から「122」へと変わった。
5月28日、タマスタ筑後。川原は屋内練習場を出て球場でキャッチボールを行った。その距離は約40m。およそ15球左腕を振りぬいた。
「1か月くらい前からキャッチボールを始めています。痛みもない。順調です」
本来の腕の振りが戻った
左肩が痛かったころはかなり肘が下がってしまいサイドスローに近い感覚だったというが、本来のスリークォーターの腕の振りに戻っていた。
「肩が痛かった頃はどんどん下がっていって…。写真で確認させてもらって安心しました。すごく気になっていたので」
現在、術後(トミー・ジョン)半年。球団トレーナーは「このまま順調に進んでくれれば、夏場にはピッチングレベルの投球が出来ると思います。ただ、焦りは禁物ですが」と話した。川原も「急がない」としながらも、「理想は10月の宮崎フェニックス・リーグで登板し、来季につなげること」と未来図を描く。
和田や松坂、五十嵐から助言も
また、ホークスには同じ肘の手術を経験した先輩選手がたくさんいる。
「和田(毅)さんには『とにかく焦るな』と言葉をかけられましたし、五十嵐(亮太)さんからは『何でも聞いてくれよ』と言ってもらいました。松坂(大輔)さんも声をかけてくれます」
最後にスピードへのこだわりを訊いてみた。
「やっぱりスピードは戻したいです。ただ、それだけに拘ってはいません。いや、でも、やっぱり…」と本音ものぞかせた。
これからもまだしばらくは地道な小さな積み重ねが続く。そして辛抱の時を経て、また再び、とんでもない球で我々を驚かせてほしい。