「年末新党」派閥化する野党では自公支配に対抗できない
繰り返された「年末新党」
「年末に騒ぐ男」小沢一郎・生活の党代表のお株を奪う「年末新党」が誕生した。みんなの党を離党し、新党「結いの党」を旗揚げした江田憲司代表は19日、日本外国特派員協会で会見、「来秋、安倍政権の支持率は20%台前半まで落ちる。野党再編の大きなヤマだ」と意気込みを語った。
しかし、結いの党結成のニュースは、医療法人徳洲会グループから5千万円を受け取った問題で東京都の猪瀬直樹知事が辞職したため、あまり話題にならなかった。
自民・公明連立政権に対抗できる野党勢力の結集は必要なことだが、民主党からは離党が相次ぎ、日本維新の会からは大阪維新の会系と旧太陽の党系の不和が聞こえ、そして、みんなの党は分裂。野党は、求心力より遠心力が働いているのが現実だ。
江田代表が結いの党を触媒に野党勢力の結集を呼びかけても、すでに派閥化してしまった3党を1つにまとめるのは難しい。仮に結集できても、よほどの敵失がない限り、「敗者連合」に自公連立の壁を打ち破ることができるとは到底、思えない。
有権者は民主党政権の迷走に辟易しており、「敗者連合」に政権担当能力があるとは考えないだろう。
まず、結いの党の政党としての正当性は何なのか。政党には有権者の意思や利益を集約し、代表する機能が求められる。結いの党を立ち上げた議員15人のうち13人が比例代表選出だ。
みんなの党の看板で当選してきた議員はどんな有権者の声を代表しているといえるのか。
政党交付金の基準日である1月1日に間に合わせた「年末新党」の結成で、結いの党には年間約3億4千万円が支給される。政党交付金目当ての新党と非難されても仕方がない。
政党と徒党の違い
派閥や徒党と政党の違いについて、「保守主義の父」といわれる英国の政治思想家エドモンド・バークは「政党とは、全員が同意しているある特定の原理に基づき、共同の努力によって国民的利益を推進するために結集した人々の集まりである」と定義した。
それまで政党は私的利益を追求する派閥や徒党と同列に見られていたが、バークによって国民的利益を実現する集団と位置づけられた。
自公連立に対抗できる野党勢力をつくろうという主張は国民的利益にかなっているが、特定秘密保護法をめぐる対立が引き金になったとはいえ、みんなの党の主導権をめぐる分裂劇は傍目には派閥争いにしか映らない。
みんなの党1党でもまとまらなかったものが、日本維新の会、民主党の一部と合流できると考えるのは楽天的すぎる。衆院選の小選挙区で野党勢力が結集しないと票が割れて自公候補には勝てないというのはその通りだが、「敗者連合」にどんな統一政策が期待できるのか。
一党優位政党制に逆戻り
日米同盟を揺るがせた民主党政権が、福島第1原発事故でも混乱に拍車をかけたため、有権者の信頼を完全に失った。おかげで二大政党制への気運は一気にしぼみ、日本の政党システムは自公連立という事実上の一党優位政党制へと逆戻りした感が強い。
政権党であることが次の選挙でも政権党になることを保証する一党優位政党制の代表例が戦後の自民党支配だ。高度経済成長がもたらした富を、公共工事を通じて配分する利益誘導が一党優位政党制の前提になっていた。
自民党は赤字国債の大量発行でこの幻想を継続してきたが、やがて続かなくなり、1990年代以降、2度にわたって野党に転落。民主党の敵失と尖閣・北朝鮮問題を追い風に復活した安倍晋三首相は、日銀の異次元緩和だけが頼みといえる経済政策アベノミクスで成長という幻想をつくり出すのに成功した。
責任ある政治
この幻想が続いている間は、社会保障や医療の見直し、財政再建という現実から逃れることができる。しかし、膨大な政府債務と低成長、少子高齢化という問題を抱えた日本は、かつてのような「利益の配分」ではなく、「負担の配分」を有権者に求める「責任ある政治」を必要としている。
一党優位政党制が続くと、野党は分散し、政権の政策に反対すれば周辺に追いやられ、賛成すれば取り込まれるという宿命を負っている。「家庭内野党」を自称する昭恵夫人以外の野党が総崩れ状態に陥っているのは、一党優位政党制のワナともいえるのだ。
問題は安倍首相が円安やインフレをうまく利用して本当の成長を生み出し、財政再建や構造改革を実行できるかだが、日銀の異次元緩和が生み出す成長の幻想から抜け出すのは難しい。その一方で、政治的に無意味な存在となった野党の派閥化、徒党化が進めば、安倍政権が力尽きたとき、政権交代を期待できなくなる。
結いの党の旗揚げが、野党液状化の引き金となるか、野党結集の起爆剤となるか。理論的には前者の可能性が非常に高いが、日本の将来を考えると、江田代表の決意が本物で、野党結集の起爆剤になることを願わずにはいられない。
(おわり)
参考:『政治学講義』佐々木毅著(東京大学出版会)