近代化を振り返り、低迷する日本の将来の可能性を考える上で参考になる3つの書籍…東大、官僚制、OIST
日本は、この30年混迷し、低迷してきている。日本はその間安定はしており、ある意味良い社会であったが、国際社会や経済・技術環境が大きく変貌するなか、国際的な存在感を急速に低下させてきた。
今こそその原因を理解・把握し、それに基づいて、日本の問題・課題を解決し、将来に向けて、可能性を見出していく必要がある。その際には、短期的な問題を超えて、中長期的あるいは歴史的な視点や考察を踏まえて、考えていく必要があるだろう。
その作業のために、本記事では、皆さん方に是非とも参考にしていただきたい、3つの書籍を、相互関連づけながら紹介していきたい。
まずは、『「反・東大」の思想史』(2024年5月出版)というタイトルの書籍だ。
同書は、そのタイトルからもわかるように、日本の近代史における東大および反東大的な動きや活動について論じたものだ。そのテーマは、実は筆者が最近出版した『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか―日本を「明治維新の呪縛」から解放し、新しい可能性を探求する―』のテーマにもかかわるものであったので読ませていただいたものだ。
同書は、明治維新以降の近代から現在まで、反東大や別の大学モデルの構築のさまざまな試みや動きがあったが、現在までのところ、日本の大学・高等教育機関は結局は、東京大学(東大)を中心に形成されており、多様化・多元化には必ずしも成功してきていないことを描いている。また東大は、政府・官や経済界における中心的人材の輩出機関であり、それらの人材は日本の政府や社会の運営において中心的役割を担いあるいは日本の統治構造の維持者としての役割を果たしてきたということを述べている。
そして東大は設立以来大学ヒエラルキーの頂点を占めているが、同書著者である尾原宏之氏は、「東大の打倒を企む勢力が勝利する時は、明治維新がそうであったように、それまでの日本が日本でなくなることを意味する。260年続いた徳川幕府でさえ倒れたわけだから、その日がいつか来ないとも限らない」と指摘しているのである。
これは、別のいい方をすれば、東大が、明治以降の現在までにつづく近代化で枢要な役割を果たしてきたということを意味するということができるのである。
次の一冊が、書籍『官僚制の作法』(2024年6月)である。
同書については、拙記事「日本国のガバナンスの問題・課題そして今後を考える上での必読書『官僚制の作法』」にも書いているので詳しくは述べないが、日本は、明治維新の近代化以降は、要は政府(行政・官僚)中心の政策形成や国家・社会運営をしてきたことが書かれているのである。そして同書は、これまで、政府・行政や官僚制の仕組みの改革や行政に対する政治主導の試みはいくども行われてきているが、「官僚制の作法」から繰り出される手練手管により、表面的には変更されても、実態としては大きく変わっていないことも明瞭かつ的確に示している。そして、その行政・官僚の中心かつコアの人材は、先述の書のテーマである東大で教育を受け、輩出された者たちなのであるのだ。
これらのことは、極端な別のいい方をすると、日本は(このことは天皇制とも関連するのだが長くかつ複雑になり問題がわかりにくくなるので、ここでは論じないが)、明治以降の近代から現在まで、行政・官僚中心国家であり、官学である東大出身のエリートと称される人材が中心になって運営されてきた国だということができるのである。
最後に紹介したいのは、拙著『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか―日本を「明治維新の呪縛」から解放し、新しい可能性を探求する―』(2024年7月)である。
同書は、次のように論じている。
現在の日本の低迷・閉塞感の原因は、明治維新から現在まで続く近代化のモデル、より具体的には、「行政・官僚中心の政策形成」「中央集権(東京中心)」「東大を頂点とする人材育成」などの要素から構成されるセット・モデルである。このモデルや仕組みでは、多様性や多元性は極力抑えられ、画一性が重視される。それは、日本が、先進の国・地域やモデルがあるキャッチアップ段階の時には有効に機能したが、ある程度豊かになり、自国で独自に新しい方策を生み出すためには、不適切かつ無効なものとなった。その結果が、「失われた30年」という現状を、日本に生み出してきているのである。
同書では、その状況を打破する別のモデルとして、短期間で成果がでてきており、国際的にもまた社会的にも注目が高まってきている「沖縄科学技術大学院大学(OIST)」を提示している。
なお、拙著に関しては、拙記事「拙著『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』を書いた理由」でも、若干説明したので、そちらを参考にしていただきたい。
これまで説明してきたように、上記の3冊は、偶然にもつい最近同時多発的に出版されたもので、相互には何の関係もないのだが、テーマが実はこれまた偶然に相互に連動しているのだ。筆者の拙著は、他の上記2冊のテーマを偶然につないでいるようにもみえる。それは、別のいい方をすると、拙著のテーマにも関わる「東大」および「官僚制」という議題が、他の2冊で深掘りされていて、それらを読むと、拙著の主張したいことの意味の理解がさらに深まるような図式になっているのである。
いずれにしろ、これらの3冊を同時並行して読むことで、今の日本の問題・課題が明確になるし、あるいはそれらを基に、読者の考える問題・課題が鮮明になり、その結果、現在の日本が直面する低迷感・閉塞感を打破し、今後の可能性を見出していけるヒントを確実に得られるのではないかと思うところである。
できるだけ多くの方々に、これらの書籍を同時並行的に参考にしていただき、社会的に議論がはじまり、その議論から、日本の新しい可能性が創出されることを期待している。