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9月30日第2審判決!「頂き女子りりちゃん」が面会室で語った小児期体験

篠田博之月刊『創』編集長
「頂き女子りりちゃん」の筆者への手紙

  

9月30日には第2審の判決が出される

「頂き女子りりちゃん」こと渡邊真衣さんを名古屋拘置所に訪ねたのは8月23日。奇しくも彼女がちょうど1年前、逮捕されたその日だった。面会室でその話から会話が始まった。

 逮捕時や最近の裁判をめぐるテレビの報道では、派手なメイクで「頂き女子、りりちゃーん」と叫ぶ映像が流されているが、実際に会った彼女の素顔は、眼鏡をかけたごく普通の女の子だった。世間の認識は単なる「とんでもない人」というイメージだろうが、いろいろ調べていくとそう単純でもない。「今の社会に居場所がない」女性が、ホストクラブのある種の収奪構造とリンクしてしまい、犯罪に発展していくという、その社会的な構造が問題で、その部分にメスを入れない限り、解決にはならない。

 この「りりちゃん」事件を機に、警察がホストクラブのシステムに介入し始めたから、この事件もひとつの大きな社会的きっかけになったとはいえよう。

 渡邊さんは逮捕時は25歳だったが、5月11日の誕生日を経て現在は26歳だ。

 月刊『創』(つくる)は連続幼女殺害事件の宮﨑勤元死刑囚(既に執行)や、最近はやまゆり園障害者殺傷事件の植松聖死刑囚など、社会を震撼(しんかん)させた事件当事者の手記をよく載せてきたが、このりりちゃん事件についてはこれまで取り上げていなかった。

 1億円を超える詐欺被害額の大きさや、それを歌舞伎町のホストに貢いでいたということなど時代性・社会性は大きな事件ではあるが、犯罪の構造としては比較的単純だ。裁判も拘留先も名古屋なので通うのが簡単でないという事情も大きかった。渡邊さんは歌舞伎町のカプセルホテルを定宿にしていたし、通ったホストクラブも歌舞伎町にあるのだが、逮捕後に移送されたのだ。

 彼女は自ら詐欺を行うだけでなく、その方法をマニュアルにして3万円で約1000人に販売していたという。最初の逮捕容疑はその詐欺ほう助で、彼女のマニュアルを実践した詐欺の現場が愛知県だったために、最初に勾留されたのは春日井警察署で、その後名古屋拘置所に身柄を移された。

 詐欺、詐欺ほう助、そして所得税法違反で起訴された裁判は2023年11月9日から名古屋地裁で行われた。12月6日に第2回公判、24年3月15日の第3回公判で結審。4月22日に懲役9年罰金800万円という判決が出された。懲役9年は詐欺としては重い罰だが、1億5000万円という巨額の被害が出ていたことや、この事件を機に、ホストも逮捕され、ホストクラブの売掛システムに捜査のメスが入るなどしているから、社会的影響も勘案されたのだろう。

 控訴審は8月17日に始まったが、1回で結審し、9月30日に判決というスピード審理となった。被告も罪を認めているし、新たな証拠調べなどは不要と判断されたのだろう。

 今回、この事件に関わってみようと思ったきっかけは、『創』9月号で精神科医の香山リカさんが書いていた「逆境的小児期体験」という話だった。最近、精神医学や臨床心理学で注目されている。小児期に暴力やネグレクトの体験をした人のことだという。

 罪を犯した人に虐待などの小児期体験が影響していることが多いのはこれまでも指摘されてきた。香山さんが着目したのは札幌ススキノ首切断事件だが、記事の中で「頂き女子りりちゃん」についても例に挙げていた。

詐欺で得たお金を全て歌舞伎町のホストにつぎ込んだ

 渡邊真衣さんにその記事を送ったところ、「逆境的小児期体験」の指標となる10項目のスコアのうち3ないし4が自分にあてはまる、と本人から返事が届いた。彼女が小児期に父親の暴力にさらされ、時には包丁を突きつけられて警察を呼んだこともあったが、母親はかばってくれなかったという。またアトピーに悩まされて小中学校時代にクラスメートから「ばい菌」などと呼ばれ、いじめをうけていたという。

『創』にこれまで手記を寄せた人の中でも、奈良女児殺害事件の小林薫元死刑囚(既に執行)や、「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊博史さん(既に出所)などのケースで小児期の体験は大きな問題になってきた。後者については本人が弊社より『生ける屍の結末』という手記を刊行している。高校までの家庭環境と事件の関係は大きな注目を浴びた。

 今回の渡邊真衣さんについても、いろいろ調べていくうちに興味を覚えるようになった。

 その渡邊さん本人自筆の手紙を冒頭に掲載した。その絵文字満載の手紙や、末尾に描かれた犬のイラストなどのイメージと、その書かれた内容のギャップがあまりに大きい。自分の小児期について「中学生のとき、性器を使えば大人の男の人が私を見てくれることを知りました」といった記述が生々しい。

手書きの絵文字満載のりりちゃんの手紙
手書きの絵文字満載のりりちゃんの手紙

 

 面会室で聞いてみると、車に連れ込まれて性的暴行を受けたことがあって、先生に話したところ事件になってしまったという体験などを話してくれた。

 彼女は18歳で家を出て最初は横浜の携帯ショップに勤めたが、風俗店で働いてもいる。最初は横浜のイメージクラブだったというが、昨年、東京で逮捕された時は吉原のソープランドで働いていた。ソープランドで働くようになったきっかけはスカウトマンによるスカウトで、大宮のお店だったという。

 昨年8月23日の逮捕については獄中手記で詳述している。ソープランドへの早朝出勤に寝坊してしまい、歌舞伎町のカプセルホテルにいたところを警察に踏み込まれたという。

 小さい頃から自分の居場所がないと感じ、自分を認めてくれる人や場所を必死に見つけようとして、行きついたのがホストクラブだった。最初のホストクラブ体験は横浜関内の店で、知り合いに連れていってもらったという。

 その後20歳の時に彼女は東京に出て、歌舞伎町のカプセルホテルに寝泊まりしながらホストクラブに出入りするようになった。その頃のことを面会室でこう語った。

「20歳の6月までは昼間の仕事をしていたんですけど、生きる意味を見いだせないまま、アルコール生活にもなっていました。そんな頃、ホストクラブに誘われて行ってみたら、『お客になってよ』などとグイグイ言ってくるホストで、それまでそういう体験がなかったので印象に残ったんです」

Xで公開している獄中日記が話題に

 小児期体験についても詳しく聞いたのだが、その内容に入る前に、渡邊さんが現在、X(旧ツイッター)で公開している獄中日記を紹介しよう。後で紹介するように作家で編集者の草下シンヤさんや、写真家の立花奈央子さんらの協力を得て、公開しているのが「りりちゃんはごくちゅうです」。話題になって、フォロワーが、約30万人もついている。

https://twitter.com/inu2narenakatta

 その日記の文章がなかなかすごい。例えば6月16日の記述では、昨年8月に逮捕されて名古屋に連行されていく時の様子が書かれている。

《わたしは手錠されたまま、車と新幹線で連行されることになった。

 わたしは強い。したたかな女の子。だって今までずっと1人で生きてきたもん。どんなに辛くて全部がイヤんなっても、自殺という自分救済の道は選ばなかったのよ。だから、わたし、今も生きてる。》

《新幹線の中、ケーサツの女性2人にはさまれて、わたしは座った。新幹線は良くなかった。窓から東京がどんどんわたしから離れていっちゃう現実を見せてきた。「やだ」って、わたし、反射的に思った。 でも、そんなこと思っても新幹線はどんどん進んでく。わたしの心はまだ歌舞技町にあるのに。すごいスピードでつきはなされていく。新幹線は“強がりなわたし”を“スナオな私”にさせるには、じゅうぶんなほどの「恐怖」をわたしの中へ注ぎこんできた。

「私 がんばって 生きてきたくせに 結局1人ぼっちじゃん」 「誰も 頼れる人も いないじゃん」 「私 どうなっちゃうの こわいんだけど」 「やっぱり 死んでた方がよかったね。あの時も、あの時も」 ってスナオに思う私と 強がりなわたしが対面したとき 「こんな 生き方しか できなくて ごめん」って大量な涙と弱い女の子の私があふれだしてきた。》

 新幹線に乗せられて東京がどんどん遠ざかっていく。しかし自分の心はまだ歌舞伎町にある、といった描写に、彼女の感性が反映されている。

 続いて5月18日の記述の一部だ。

《その日は、もうすぐ春だからなのかハルシオン(うららな睡眠薬)をくれたよ。

 100錠の なかなか死ねない 自爆剤。

 私は やったー!! って、スキップ、おうちに帰った。

 わくわく どきどき さようなら 全部食べた。 ぶちぶち おくすり さようなら。

 もう 生きるのも 死ぬのも いやです ばいばい。

 1回目、 目が覚めたら、 私は外、はだかにパーカー。おまたからは精液。

 さむいし、 さむいし、 おうちあかないし、おうちのカギもってないし、さむい。

 なんなの、なんなの、世界しね世界しね世界しねって思ってたら、消火器を見つけた。赤い、消火器。

 私は消火器3つ集めてきて、ぜんぶ ぶちまけた。

 ぴんくの 泡、泡、泡 が私の「全部しね」って気持ち、表現してくれた。》

 獄中日記は今年2月から書かれており、相当な分量になっている。そこに描かれた渡邊さんの感性が独特だ。

なぜ証人を断ったのか母親に直接尋ねた

 8月23日の面会では、小児期の虐待体験を聞くのが目的だった。彼女の手紙では「逆境的小児期体験」を示す10のスコアに3つあてはまると書いた後に「父から身体に噛み跡を残される」のを含めると4つだと書いてあった。「噛み跡を残される」とはどういうことなのか、渡邊さんに訊いた。

「父親が突然噛みついてくるんですよ。噛みついた後、ニヤニヤしてたりして意味がわからなかった。暴力をふるったり、ちょっかい出したり、気分によってはいきなり、思いついたように噛みつくんです。

 もともと母が父を『きもい』とか悪口を言っていたし、家族は誰も父と口をきかない。父は家庭内で孤立していたから、かまってほしかったのかもしれません。

 ドアをバーンと叩いたり、いきなり見下してきたり、包丁を向けたりするので怖かったですね。それは私が中3の頃からで、警察に通報したこともありました。でも駆け付けてくれた警察官は、単なる親子喧嘩と判断したのか、何もしてくれなかったですね。

 父親から暴力をふるわれたことは母親も知ってましたが、何もしてくれませんでした」

 父がどんな仕事に就いていたかも知らなかったという。

 一方の母親とはどういう関係だったのか。事件後、母親は面会にも来ているという。ただし最初の面会を受けいれたのは1審の判決が出てからだったという。

「4月22日の判決までは会いたくないと思っていました。母の前ではたぶん私はいい子を演じて笑顔で接することになるし、求刑などを聞いてメンタルが落ち込んでいたので面会を断っていました」

 実は判決公判前の3月15日の公判では、情状証人として草下さんと立花さんが出廷してくれたのだが、母親に対しては弁護人が証人を頼もうと電話したら断られたという。

「情状証人には親が出てくることが多いと聞いていたので、出てくれないんだなと思いました。母はその後、面会に何度か来ているので、なぜ情状証人を断ったの?と訊いたことがありました。

 そしたら、自分も精神状態が良くなかったし、周りにも止められたと言うのですね。それを聞いた時、私は周りに頼れる人などいなかったので、母には止めてくれる人がいたんだと、そこを羨ましいなと思いました」

 え、そこなの?という感じだが、この感想も渡邊さんらしい。

「周りに頼れる人がいなかったので」と渡邊さんは言ったが、それは事件までのことで、今は草下さんなどサポートしてくれる人がおり、一緒に「被害弁済プロジェクト」というのを進めている。草下さんや立花さんの存在は、渡邊さんにとってとても大きなことだったと思う。

 その草下シンヤさんのインタビューも紹介しよう。編集者であり作家であるという多才な人で、この草下さんとの出会いは渡邊さんにとって、とても大きなことだった。

草下シンヤさんが語る渡邊さんとの出会い

《りりちゃんこと渡邊真衣さんに関わることになったきっかけは、昨年、ABEMAのカンニング竹山さんの番組にゲスト出演したことです。いろんな人がネタを持ち寄ってそれについて話したのですが、その時に友人のライターが持ってきたのが渡邊さんのオープンチャットの情報だったのです。

「おぢ」と呼ばれる中年男性からお金をどうやって取るかみたいなことをみんなで相談しているチャットだったんですが、それに衝撃を受けて、X(旧ツイッター)にポストしたんですね。それが結構バズって話題になったのですが、それを見た渡邊さん本人からDM(ダイレクトメッセージ)が届きました。それが「取り上げてくれてありがとう」みたいな内容だったので、ちょっと驚きました。

 ただ、自分のやっていることが犯罪になるかどうかということは気にしていて、何回かLINEでやりとりしました。それから、1回お会いしませんかということで、新宿の歌舞伎町にある喫茶店でお会いしたんです。彼女は当時25歳でしたが、結構ふわふわした感じというか、メンタル的には落ち着かない状況でした。

 彼女がやっていたのは明らかに詐欺行為なんですが、詐欺罪は立件するのが簡単でないのでなかなか事件化できないんですね。でも犯罪行為に当たるのは確かだし、税金も納めてないだろうから、所得税法違反にも該当するし、こういうことはやめた方がいいよと話しました。

 そしたらどこかでわかってはいたんだと思うんですが、犯罪になるんだったらやめたいみたいなことを言ったのですね。そこから更生というか、犯罪をやらないように頑張るんだったら協力しようということになって、その後もたまに会ったりする関係になりました。

 あと彼女にとって同性である、女性の信頼できる友達がいたらいいんじゃないかと考えて、いろんな人を紹介しました。今私と一緒に「被害弁済プロジェクト」をやってくれている写真家の立花奈央子さんもそうやって紹介した女性です。彼女も協力していろいろやってくれていたのですが、そういうやりとりを2~3カ月した昨年8月に、渡邊さんが逮捕されてしまったのです。》

ご褒美としてLINEで犬のスタンプを

《彼女は詐欺で得たお金を全部、ホストクラブのホストにつぎ込んでいて、逮捕された時に1万円ぐらいしか持っていなかったのです。歌舞伎町にあるカプセルホテルを定宿にして、ホストクラブに通っていました。食べ物もさば缶とか質素なもので、ホストにあげるお金が必要ということで詐欺行為に及んでいたのです。

 ですから、まずはホスト通いをやめた方がいいということで、ちょうどホストの担当も替わるタイミングだったようなので、ホストクラブに行くのをやめようと話しあいました。彼女は犬が好きなので、ホストクラブに行かなかったらご褒美(ほうび)としてLINEで犬のスタンプを送ることにしました。

 既にホストに対する依存症になっていて、やめることになってからも1~2回は行ってしまったようなのですが、彼女なりに頑張って、行くのをやめようとしていました。その意味では再犯を防ぐ方向に向かってはいたのですが、それまでの詐欺行為で計1億5000万円という被害を出していたので、逮捕されてしまったわけです。

 渡邊さんの話によると、小学校の頃から父親による虐待があって、殴られたり、包丁で脅されたりしていた。アトピーがひどかったので学校でもいじめられた。父親が暴力をふるうのに対しても母親が助けてはくれなかったというのです。

 そういった中でやっぱりまともな倫理観というか、そういうのが身に付いてこなかったようなのです。18歳の時に家を出て横浜の携帯ショップで働いたようですが、その最初の職場はそこそこ人間関係がうまくできていたようなんです。でも社会に受け入れられなくて、過去には性的被害にあったこともあったようなのです。その後、東京に出てきてからホストクラブに行ったら、自分の話を聞いてくれたし認めてくれた。コミュニケーションがあまりできなかった彼女にすると、なんかそれがすごいことに思えたらしいんですね。それからホストクラブに通うようになって、褒めてもらえるように多額の金をつぎ込み、それを得るために詐欺をしていたわけです。またその詐欺行為についてもどうやったらうまくいくのか訊いてくる人がいて、彼女はマニュアルを作ってそれを販売するといったこともしていたわけです。

 結局は、世の中に対する不信感というか、彼女から見れば社会とか大人というのが信用ならないものというような感じがあったようなのですね。》

情状証人として名古屋地裁に出廷

《昨年8月23日に逮捕されたことは報道で知りました。逮捕容疑は詐欺のほう助で、渡邊さんのマニュアルを使って詐欺をやった人が逮捕され、その被害者の住所が愛知県だったらしくて、渡邊さんも移送されたのです。そこで私は、すぐに知り合いの弁護士さんに頼んで面会に行ってもらいました。その後、渡邊さんには当番弁護士として接触した弁護士さんが国選弁護人としてついたようです。控訴審も含めてその弁護士さんがめんどうを見てくれています。

 名古屋地裁での2024年3月15日の結審の時には、弁護士さんから事前に連絡があって、私と立花さんが情状証人として出廷しました。私も事件ものをよくやっているので裁判傍聴は何度もしてきましたが、証人出廷したのは初めてでした。情状証人では親が出廷することが多いのですが、渡邊さんの場合は親が出てくれなかったようです。

 情状証人として証言したのは、渡邊さんの罪を軽減させるということよりも、人間って一人ぼっちになって孤独だったりふてくされるとやっぱりまた犯罪を起こしてしまうことが多いので、大事なのは自分をきちんと認識して再犯を防止することだし、それにはできる範囲で協力しようということでした。

 具体的にはその1審の途中から、「被害弁済プロジェクト」を立ち上げ、彼女が被害者に少しでも弁済できるよう考えていくことにしました。同時にそれを世の中に伝えることで社会が少しでも良い方向に行けばという気持ちもあります。まずは渡邊さんに自分の犯した罪を認識させ、どうしたら再犯に至らないようにできるか、一緒に考えていくということですね。

 1審の判決は4月22日に出たのですが、詐欺と詐欺ほう助、それに所得税法違反とあわせて懲役9年、罰金800万円でした。それに対して渡邊さんは控訴したのです。控訴理由は量刑不当でしたが、実際に考えているのは、やっぱり可能な限り被害弁済をしたいということです。罰金といっても本人は全くお金がないので、何もしないで刑に服すると弁済はできないことになってしまうからです。

 実は私のところに被害者の方からDMが来たんですね。渡邊さんの支援をしてるようだけど、お金を返してくれないのかみたいなメッセージでした。直接返信はしてないんですが、やはり被害者を無視はできないなと思って、弁護士さんを含めて相談しました。渡邊さんにとっても出所後も人生は続くわけで、被害者にどう向き合ったのかというのは大事なことだと思うのです。その結果、「被害弁済プロジェクト」が立ち上がりました。

 もともと逮捕前に、渡邊さんの本を出そうかという話があって、それは逮捕によって白紙になっていたのですが、被害者への弁済を考えるという流れの中で、もう一度、出版の話が出てきました。そこで得られたお金を全額、弁済に回すということですね。

 ただそういう方法は批判も受けるかもしれないし、もしかすると事件になっていない被害者もいて、自分にも弁済をと民事訴訟を起こしたりする可能性もないではない。さらに複雑なことになる可能性もあるけれど、それでもやるかと渡邊さんに訊いたら、本人もやりたいというので、取り組むことになったのです》

手記や獄中日記で得た収入を被害弁済に

《今考えていることは2つあって、1つは手記ですね。渡邊さんが自分がやってきたことや半生を自伝的につづったものを本にする。もう1つは、今、「りりちゃんはごくちゅうです」という名称で、彼女の獄中日記をXにあげているのですが、これも本にしようという話になっています。手記については紙の本でなくKindleでやるとか、クラウドファンディングをやるとか思案中ですが、いずれにせよ収支は全部ガラス張りにしていきます。

 もともと手記については、渡邊さんが自分で書いて地元の東海テレビに頼まれて87枚を渡していたんですね。それを放送に使った後、原稿を返してほしいと言ったら返してくれないのです。今後も東海テレビはこの事件について映像を作る予定のようで、やりとりしたけれど、にべもない返事でした。ひどい話だとは思いましたが、これについては既にSNSでも公表したため東海テレビへの抗議もあったようで、取材に来ていた若い記者が参ってしまったようなのですね。そこで渡邊さんと相談して、東海テレビとこれ以上やりとりするより、最初から書き直してしまおうということになりました。渡邊さんはまた最初から書き始め、8月中に書き上げたようです。

 本当は控訴審の間に、被害弁済を具体化させたいと考えていたのですが、手記がそういう事情で遅れたうえに、審理が予想以上に早くて、8月7日に公判が始まり、9月30日にはもう判決が出てしまう予定なのです。だから被害弁済はそれまでには間に合わないことになりました。

 DMを送ってきた被害者の方は、Xで渡邊さんが発信するのはやめてほしいということと、弁済は全額してほしいということも言っています。今回、被害者とされている3人の方の1人で、損害は3000万円強とされているので、全額弁済は簡単ではありません。

 渡邊さんの本が出たとしても、そのままでは印税などは、未納だった税金の一部として差し押さえられてしまうので、返済のための合同会社を設立し、そこで管理することにしています。渡邊さんが犬が好きなので「いぬわん」という社名にしました。弁済といっても、被害者への弁済と国への追徴金、さらに判決に基づく罰金もあるわけです。そこをどうするか、会計は全て公開します。

 弁護士さんも私たちも大変なのですが、渡邊さんが頑張っているので協力しましょうということですね。こういう犯罪に対して加害者がどう対応すべきなのか考えるためにも、プロジェクトやお金のことは全て社会に公開していきたいと思っています。》

 りりちゃんの犯罪にも時代性が刻印されているが、草下さんらの対応も、こうした犯罪に社会がどう対応すべきかを示していて興味深い。「被害弁済プロジェクト」、今後どう展開していくのだろうか。

 なお、この事件を機に、警察が捜査のメスを入れたホストクラブの実態については、渋井哲也さんのレポートをヤフーニュースの下記に公開した。ご覧いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8e5a8048414bf30ded337ba404ed6bc35face9ef

「りりちゃん事件」で捜査のメスが入ったホストクラブの闇   渋井哲也

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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