バルサと決別した男の一撃。サッカー選手がチームを選択するとき
サッカーを通じ、子どもたちが成長する小説「ラストシュート 絆を忘れない」(角川文庫)では、主人公である広瀬ゆうが所属するチーム、キッカーズが主な舞台になっている。居場所を探し、集った子供やコーチたち。彼らの人生の岐路を描いた。
居場所を探し当てられるか。
その大切さは人生も、サッカーも通じるところがあるだろう。居場所を探す、は、居場所をつかみ取る、にも言い換えられるかもしれない。それは大概、与えられるものではなく、自らの行動で手にするものだ。
バルサと決別したイカルディ
バルサは世界最高のクラブの一つで、下部組織である「ラ・マシア」はリオネル・メッシやアンドレス・イニエスタなど世界最高の選手を育て上げているが、誰にとっても居心地が良いわけではない。
「バルサのトップチームでプレーすることは難しいな、と感じていた」
バルサのユースで3年近くを過ごしたアルゼンチン代表FWマウロ・イカルディは、当時をそう振り返っている。イカルディは両親の都合で幼少の頃にスペインに移住した後、バルサにスカウトされたが、自らの決断でクラブを去った。どこで自分の力を出せるのか、を冷静に考察した結果だ。
「バルサのプレースタイルは独特で、自分のプレーキャラクターとはマッチしていなかった。代理人と話し、オファーのあったイタリアでのプレーを決めた。より適応できると思ったんだ」
イカルディは当時トップチームの監督だったジョゼップ・グアルディオラからも期待されていたが、それを振り切ってでも、新たな道を選んだ。
当時のバルサでは、イカルディのような9番タイプ(真ん中でどっしりと構えるセンターフォワード)が重用されていなかった。サミュエル・エトーも、ダビド・ビジャも、ズラタン・イブラヒモビッチでさえも、サイドでのプレーを強いられるか、戦力外を通告されていた。いかにパスを回すか、が徹底され、リオネル・メッシが戦術の中心だったのである。
点取り屋イカルディが失望したとしても、何ら不思議ではない。
結局、移籍したサンプドリアで2年目に二桁得点を記録し、名門インテルへ移籍している。セリエAで二度の得点王に輝き、今や世界最高のストライカーの一人に数えられるまでになった。自らが望んだように、イタリアでその花を咲かせた。
そして11月6日、チャンピオンズリーグでバルサと対戦したイカルディはキャプテンマークを巻き、貴重な同点弾を叩き込んでいる。
バルサで居場所をつかめなかった選手とつかめた選手
バルサではユースで研鑽を積んだ後、2年、3年とBチームで過ごし、その内に年齢を重ね、売り払われるというケースも少なくない。
ウィルフレッド・カプトゥムは、その典型だろう。
カプトゥムは、2014年にバルサユースがユース年代の欧州王者に輝いたメンバーの主力である。小柄だが、俊敏でスキルの高いMFとして、18才にして2014年夏にバルサBにデビュー。その後、ルイス・エンリケ監督によってトップデビューまで飾っている。
しかし主戦場はずっとバルサBのまま。高いレベルの試合を経験できていない。成長は止まって、そこにケガも重なった。2018年1月にベティスBへ移籍した後、チームが4部に降格した。
現時点で、カプトゥムは居場所をつかめていない。
一方で、セルジ・ロベルトのようなケースもある。
セルジ・ロベルトは19才でトップデビューを果たした後、22才までバルサBでのプレーが主だった。しかし23才を過ぎた頃から、出場機会をつかみ始める。インサイドハーフが本職だが、それに固執しなかった。右サイドバック、アンカー、右アタッカー、左アタッカー、トップ下など、どのポジションでも適応力を見せた。
居場所を探し続け、ポリバレントの能力が花開いたのだ。
セルジ・ロベルトは年月を重ねながら、自らの居場所をバルサで勝ち取った。
マシアでの経験は、今も自分を支えている
プロとして活躍するには、運も欠かせない。試合出場機会が乏しければ、途端に輝きを失う。そしてケガも含め、失ってしまった輝きを再び戻すには、膨大な時間と労力を要する。
それだけに、どこに居場所を決めるか、は大きなターニングポイントとなる。
しかし、正解は分からない。信じて飛び込んだ移籍先で、監督が呆気なく代わって、干されることもあるし、覚悟を決めて残っても、戦術的な理由から必要とされない、ということも起こりえる。いわゆる、成功のメソッドは存在しない。
ただ、若き日、サッカー選手を目指して過ごした日々は永遠なのだろう。その居場所でどう過ごしたか。その濃度が、プロ選手としても燃料になるのかも知れない。
「マシアでの経験は、今も自分を支えているよ」
バルサで栄光をつかみ取ったシャビ・エルナンデスはそう述懐している。
「同世代の同じ夢を持った仲間たちと切磋琢磨し、いつかトップチームでプレーしようと誓い合って、自分は成長してきた。毎日が必死だったけど、とても楽しかった。週末にカンプ・ノウであこがれの選手たちを見ると、次の週からの練習にまた打ち込めた。初めてトップの選手と練習したときのことは忘れられないね。カンプ・ノウに初めて立ったときのことも」