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会社まで一緒にした一貫校なんてのが必要になるのかも

前屋毅フリージャーナリスト

現行の学習指導要領について文部科学省(文科省)は、「子どもたちの『生きる力』をよりいっそう育むことを目指します」と述べている。しかし、ほんとうに「生きる力」が重視されているのかどうか疑問でしかない。今年4月から始まった「義務教育学校」も、そのひとつである。

義務教育学校とは、小中学校の9年間を通して同じ学校で学ぶ制度だ。つまり小中一貫校であり、隣接する公立小学校と公立中学校をくっつけて運用される。

その設立の狙いは、「中1ギャップの防止」と報じられてきている。 「問題行動等調査」 の結果を学年別にみると、小6から中1でいじめや不登校の数が急増するようにみえることから生まれたのが「中1ギャップ」という言葉だ。

素直に受け取って義務教育学校を解釈すると、いじめや不登校を防ぐのが目的の学校ということになる。しかし、小学校と中学校を一緒にするといじめや不登校が防げるというのは、素直に受け取ることはできない。

その理屈からいけば、高校でのいじめや不登校を防ぐには小中高一貫校にすべきであり、大学でのいじめや不登校を防ぐには小中高大一貫校が必要になるし、最近では会社でのいじめも問題視されているので、これを防ぐために小中高大会一貫としなければならなくなる。そんなことで「生きる力」など、とても育めない。

文科省が本気で考えているとすれば、言ってることと、やってることが、あまりにも違いすぎるということになる。小学校と中学校は別でも、いじめに負けず不登校にもならない力こそが「生きる力」につながる。別でもいじめや不登校を防げなければ、一緒になっても防げるはずもないのだ。

ただし、「中1ギャップ」の幅を広げると、文科省の言っていることとやっていることは見事に一致してくる。いじめや不登校が増えることが「中1ギャップ」のそもそもの由来だったが、いまでは小中学校間の接続の問題全般に「便利に」使われている。

そのなかには学力の問題もふくまれる。小学の学習内容をじゅうぶんに理解しないまま中1になって「落ちこぼれ」となっていくのも、「中1ギャップ」と呼ぶようになっている。この「中1ギャップ」を防ぐには、義務教育学校は意味があるらしい。

実際、今年4月に義務教育学校としてスタートした学校では、従来の小学6年・中学3年の9年間を「4年・3年・2年」に変更したところが多い。そのほうが指導を充実できる、ということらしい。

そこにも疑問があるのだが、確かに「入試」を前提にすれば効率がいいのもわからないではない。私立の名門と呼ばれる中高一貫校では、高2あたりまでで学習指導要領の内容を効率的に消化し、残りは入試対策の時間にあてて「合格」の実績につなげているところも多い。それと同じような効率性を狙っているのかもしれない。ただ、選抜された名門私立と公立で同じことができるか、学習指導要領を徹底させることが「生きる力」につながるのかどうかをはじめ、疑問は多い。

肝心なことは、文科省が「中1ギャップ」をどのようにとらえているかである。義務教育学校制度化の根拠となる「学校教育法等の一部を改正する法律案」の概要を文科省のホームページで確認すると、設置の目的として「心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育について、基礎的なものから一貫して施すこと」とある。いじめや不登校など眼中になく、「学力」の向上しか念頭においていないとしかおもえない。

いじめや不登校など二の次、つまり「生きる力」など、どうでもいいのが文科省の本音のようだ。その延長上に義務教育学校もある。もっとも「学力」が「生きる力」だというのなら、文科省の姿勢は一貫しているといえるのだが・・・。

「中1ギャップ」防止とマスコミが報じる義務教育学校もいじめや不登校への対応ということでの期待は薄く、「生きる力」が育まれる学校の実現は心許ない。どんな子どもたちを文科省は育てていこうとしているのか、ますます疑問が募る。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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