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中国人選手の危険なタックルは許されるのか?マラドーナが足を折られた時代

小宮良之スポーツライター・小説家
上海申花戦、危険なタックルでケガを負ったディエゴ・オリヴェイラ(写真:ロイター/アフロ)

 今年11月、アジアチャンピオンズリーグのグループステージ第4節・上海申花戦でFC東京のFWディエゴ・オリヴェイラは中国人MFチン・ションから危険なタックルを受け、担架で運び出されている。診断は、右足の腓骨の骨挫傷及び右足首の関節の靱帯損傷で全治3~4週間。大会を棒に振ることになっている。

 斜め背後の死角からスパイクの裏を見せ、猛然と足を狙ったタックルだった。この暴力的な反則に出されたジャッジが、イエローカードのみ。野蛮な行為と不条理な判定がセットになっていた。

 それは、ディエゴ・マラドーナが足を折られた1980年代のような光景だった。

エース潰しが横行した時代

 1960年代、70年代までのサッカー界では、試合中に見えないところでのパンチやエルボーで鼻や頬の骨が折られ、倒れた選手を踏みつけ、股間を蹴り上げ、パンチングと同時に相手を殴るなんて行為が頻繁にあった。半ば、無法状態だった。インターコンチネンタルカップ(現行のクラブワールドカップ)やワールドカップというトップレベルの試合でもプレーと関係のない暴力が目立ち始め、ようやく厳しい態度が取られるようになる。

 1980年代になって暴力行為は減っていったが、「勝利のためには手段を選ばない」という傾向はまだ強く残っていた。

 例えば、当時は監督が本気で「エースを潰してこい」と煽った。それは比喩ではない。リーガエスパニョーラでも、ベルント・シュスター、マラドーナなど多くのファンタジスタたちがその標的にされ、実際に足を狙われ、へし折られた(シュスターは前十字靭帯、マラドーナは足首骨折)。

 驚くべきことに、タックルした選手だけでなく、批判に晒された監督も悪びれるところはなかった。

「俺だって、現役時代、膝をタックルで潰され、引退に追い込まれた!」

「限界ギリギリでプレーしているだけだ」

 荒くれ者の時代である。

 上海申花のプレーは、当時と重なるものがあった。

時代遅れの中国サッカー

 チン・ションだけの問題ではない。危険な行為の連発は、中国サッカー全体の問題だ。

 ディエゴ・オリヴェイラは、チン・ションの悪辣な反則でケガを負う以外の場面でも、いくつも質の悪いファウルを受けていた。チン・ションに足を狙われる直前にも、3度続けて相手が蹴ってくるところを交わしている。図らずも、その突出した技術が、相手を警戒させ、挑発する形になったのか。

 上海申花のサッカーは、勝利に対する欲望だけが巨大だった。闘争心が空回り。「サッカーは格闘技」という大昔のフレーズを振りかざし、欧州で「カンフーサッカー」と揶揄される行為だった。

 中国は全体的にサッカーに対する道徳の点(スポーツマンシップ)が、深刻なまでに進んでいない。昨年のEAFF E-1サッカー選手権では中国代表選手が、日本代表選手の頭上にカンフーキックを食らわす場面もあって、物議を醸した。勝利のためにはなりふり構わない。それに通じるフィジカル信仰が過剰と言える。各選手の体つきは大きく筋骨隆々で、格闘家のようにすら映るが、感情を制御できず、その力を反則行為に使う。結果、荒っぽく、雑で、見るに堪えない。国内だけの話なら仕方ないが、国際試合があるだけに…。

 中国サッカーは、肝心の技術や戦術が30~40年は遅れている。気が利いたり、テンポを変えたり、うまさを見せられる選手がほとんどいない。これだけサッカーに力を入れているにもかかわらず、欧州のトップレベルでプレーする選手が一人も出てこないのだ。

「中国では大金が稼げるが、できれば行きたくない。サッカーをする環境ではないから」

 そのように中国行きを回避する欧州や南米の選手は少なくない。事実、アンドレス・イニエスタも巨額のオファーを受け、現地にも赴いたが、オファーを蹴ってヴィッセル神戸を選択した。

マラドーナの足を折った選手には、試合後に出場停止処分

 そしてもう一つ、アジア最高峰のACLでジャッジをする審判団であれば、正当な判断を下すべきだった。チン・ションにはレッドカードが相当。試合でカードを出さなかったら(ジャッジに異議は申し立てられないようになっているようだが)、後々でもっと重い処分を検討すべきだろう。

 ディエゴ・オリヴェイラを欠くことになった東京は、大きな損失を与えられているのだ。

 1983年、マラドーナがアスレティック・ビルバオ戦の暴力的タックルで左足首を粉々にされた時も、実はイエローカードだった。それで国内は紛糾した。タックルをした選手は、「犯罪者」として欧州中から糾弾された。

 事態を重く見たリーガ連盟は、当初は18試合の出場停止処分を検討していた。結果、6試合までに減ったのは、当時はまだ危険なプレーに対する基準があいまいだったからだろう。それに近い反則が日常的に存在していた。

「リオネル・メッシは1980年代までだったら、生き延びられていない」

 当時を生きた人たちは、口をそろえて言う。悪質なタックルの集中砲火を浴びていたはず、というのだ。そうした時代だった。

 しかし、ディエゴ・オリヴェイラは現代に生きている。東京が上海申花を抑え、決勝トーナメントに進むことができたのは救いだが…。

 アジア最高峰の大会で、チン・ションのような卑劣な行為がまかり通ってはならない。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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