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フィッカデンティの提言について。微妙な判定のリプレイ映像を、スタジアムで流すべきか?

清水英斗サッカーライター
サガン鳥栖監督、マッシモ・フィッカデンティ(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

微妙な判定のリプレイ映像を、スタジアムで流すべきではないのか?

この問題を提起したのは、J1サガン鳥栖のマッシモ・フィッカデンティ監督だ。J1第4節の横浜F・マリノス戦、前半3分に、微妙なオフサイドの判定シーンがあった。

横浜FMのファビオが大きく蹴ったボールが、裏へ飛び出した富樫敬真に渡り、ゴールを決めた。しかし、このシーンで鳥栖のベンチは猛抗議に飛び出す。焦点となったのは、ファビオのパスの中継点に入った中村俊輔が、ボールに触ったか、触っていないかだ。

中村俊が触っていなければ、富樫はファビオがパスを出した時点ではオンサイドなので、ゴールは認められる。しかし、もしも中村俊が触っていれば、富樫はその時点でオフサイドポジションに飛び出していたので、オフサイドとなる。つまりノーゴールだ。

中村俊が試合後に語ったところによると、ボールは肩に触れたらしい。しかし、審判はそれを視認できず、ゴールが認められた。

その瞬間を振り返ると、主審と中村俊は、ほぼ真横に並んでおり、角度的に肩に当たったことが視認しづらい位置関係だ。通常のリプレイ映像を見ても、触れたのか触れていないのか、よくわからない。難しい判定シーンに違いない。だが、中村俊の話が正しければ、ミスジャッジということになる。

このとき鳥栖のフィッカデンティ監督が納得できなかったのは、判定云々だけでなく、スタジアムでリプレイ映像が流れないことだった。

「1点目はオフサイドであり、試合は納得のいかないゴールではじまった。フェアプレー、フェアプレーと言うが、ゴールによって(スタジアムに)映像が流れるときと、流れないときがある。あれはなぜなのか? 都合が悪いのでしょうか? 私は決して誰かを責めているわけではない。ただ、フェアプレーと言うなら、すべてのゴールを映像で流すべきでしょう。あるいは、すべてのゴールを流さない。ゴールによって流れる、流れないがあるのは、フェアプレーではないのでは? みなさんはどう思いますか?」

出典:サンケイスポーツ掲載の記者会見コメントより

気持ちはわかるが、筆者は、流すべきではないと考えている。

理由のひとつは、2010年南アフリカワールドカップでも問題になったように、スタジアム映像で判定ミスを吊るし上げることで、暴動が発生し、スタジアムにいる人の身が危険にさらされる恐れがあること。

もうひとつの理由は、リプレイ映像を流すことが、“アンフェアな行為”につながるからだ。

2013年にJ1の浦和対鹿島で、興梠慎三のゴール直後に、誤ってスタジアムの大型スクリーンに判定のリプレイ映像が映し出されたことがあった。今回よりも明らかなオフサイドだったが、副審の旗は上がらず。当然、鹿島の選手たちは猛烈に抗議した。“リプレイ映像を指で示しながら”。

気持ちは痛いほどわかるが、しかし、そんなことをされても、審判にはどうすることもできない。現行のルールでは、ビデオ判定が認められていないからだ。

プレーを再開する前なら、主審は判定を変えることができるが、それは主審本人が正しくないことに気付いたとき、あるいは副審と第4審判の助言を採用したときのみと、ルールで定められている。過去に遡っての映像確認は含まれない。

この3年前の試合で主審を務めた佐藤隆治氏は、しばらくJ1の割り当てから外れたが、仮にこのとき、リプレイ映像を見て判定を覆していたら、ミスジャッジでは済まない一大事に発展していた。単なる見極めのミスではなく、ルールそのものの適用違反となれば、審判としては根本的な間違いを犯したことになるからだ。

サッカーの審判は、リアルタイムに、人間の目で判断することが大原則である。

その審判に対して、リプレイ映像を指差しながら判定の修正を迫る行為。それこそ、“アンフェア”ではないだろうか。

たとえリプレイを流しても、あくまでも参考に止めておき、映像を元にしたその場での抗議をしないと誓約できるのであれば、流しても構わないだろう。しかし、それをスタジアム全体に浸透させるのは、現実的に不可能だ。

また、”アンフェア”と書いたが、選手がそうやって映像を指差しながら抗議するのも仕方のないことだ。その気持ちは痛いほど理解できる。それなのに、微妙な判定のリプレイをわざわざスタジアムで流すとなれば、生産性のない争いの種をまき、試合の進行を妨げる害にしかならない。

以上の理由から、微妙な判定に関して、サッカーのルールの範囲外にあるリプレイ映像を、スタジアムでプレー直後に流すことには反対だ。仮にビデオ判定が始まれば、流しても問題はないと思うが、現行のルールでは、これが限界である。

スタジアム以外で、たとえばテレビ中継に関しては、どんどんリプレイを流しても構わないだろう。臭いものに蓋をせず、フェアで積極的な議論は行われるべきだ。しかし、一方で蓋を開けてはいけないタイミングもある。スタジアムでの試合中に関しては、慎むべき、というのが筆者の意見だ。

また、レフェリングとは別の話として、リプレイを流さないとスタジアム観戦者は何が起こったのかわからない、という話もある。これを解決するなら、選手交代と同じようにスタジアムアナウンスで、「何番何選手のホールディングの反則によりPKが与えられます」と伝えればよい。

本当の改善点は、”試合後”にあるのではないか?

とはいえ、これだけでは何も解決せず、納得しない人も多いはず。では、レフェリングに関して、何を改善するべきだろうか。

筆者が考えているのは、試合中のあれこれではなく、“試合後”のほうだ。

イタリアのセリエAでは、来季から試合後に、審判が公に向けてコメントすることを検討している。これまでは審判が自身の見解を公に説明する機会は、ほとんどなかった。画期的な改革だ。素晴らしいことであるし、JリーグやJFAも検討するべきではないかと思う。

これまで審判の人間性というものは、全く表に出ることがなかった。しかし、実際のところ、審判のキャラクターは、サッカーの試合に小さからぬ影響を与える要素だ。審判本人が話をすることは、大きな意義がある。

現在は試合後にアウェーの監督、ホームの監督という流れで記者会見が行われているが、その後に審判団も会見し、その日の判定の振り返りと、微妙な判定があれば、それについて自分の見方を説明してはどうだろうか。

いろいろな話をしてほしい。ミス云々だけでなく、審判の目から見える景色を。そのときに考えたことを。

今まで審判委員会が、情報発信に消極的だったわけではない。むしろ近年は、カンファレンスやスカパーの番組を通して積極的な情報発信を行っているが、その対応は、審判委員長の上川徹氏に限られてきた。しかし、筆者の意見はそうではない。試合を担当した審判本人が、試合後にコメントするのがベストだ。いつも言われっぱなしだが、選手や監督と同じく、試合に参加した人間として、自らの口で話す権利があるのではないか。逆に選手や監督に対して、苦言を呈したいときもあるはず。

そうなったとき、個人的に望みたいのは、必要のない「すみません」を言わないことだ。

明らかに自分の判定方法に問題があると自覚した場合は、「すみません」と謝るべきだが、たとえば今回の中村俊がボールに触ったか否かを視認できなかったケース。もはや人間の目で見極めるのが不可能なレベルだとすれば、「すみません」と謝るのは、むしろ不誠実である。「これが限界でした」と正直に言って済ませるべき。

どんな難しい判定も100パーセント正しく吹けるとすれば、その審判は人間ではない。審判は1試合で400以上の判定をこなすが、そこには必ずミスが含まれる。100点には絶対にならない。選手がキックミスやトラップミスをするのと同じことだ。自らの真実を語る率直な態度が、サッカーや審判に対する理解を深めるのではないかと期待する。

だが、最大の懸念は、そうした記者会見が単なる審判の吊し上げの場になってしまうことだ。その可能性は高い。

建設的な場にならないのなら、わざわざ会見をする意味はない。実際、オーストラリアのAリーグでは、3人のプロ審判が試合後の会見を行うことにトライしたが、2カ月半で取りやめになったそうだ。果たして、セリエAの試みはどうなるか。

日本でも、たとえ審判の会見を開いても、記者に質問させると、節度を失って暴走するケースも容易に想像がつく。ならば、ホームとアウェーの監督がそのまま残り、質問者として審判との公開セッションを行ってもいいかもしれない。

どんな形にせよ、審判が口を開くということを、筆者は一つの突破口として期待している。

審判は密室で守られているだけではない

そして、もうひとつ考えている改善点がある。それは、レフェリーアセッサーの評価レポートを、部分的にでも公開することだ。

一般的なサッカーファンからは、「審判は密室で守られている」「聖域だ」と言われることが多い。それは半分正しく、半分は間違っている。

審判は毎試合、レフェリーアセッサーによって細かい項目を採点され、100点満点でポイントを付けられる。シーズンが終わってポイントが低かった審判は降格となり、逆に昇格も行われる。しっかりと競争の場にさらされているのだ。

これらの評価レポートは審判本人にはフィードバックされるが、一般には公開されない。つまり、正確に言うなら「審判は密室で競争している」ということになる。

個人的には、非常にもったいない印象を抱く。評価レポートの公開が進めば、競争を行い、向上を目指していることが明示され、審判への理解が進むのではないか。

また、総合点数のランキングが公開されていれば、ナビスコカップ決勝やチャンピオンシップ決勝、天皇杯決勝などの重要な舞台で審判が出てきたとき、「あっ。今年の評価が高いあの人が主審だ」と認識され、それはファンの安心度と共に、審判のモチベーションにもなるはず。

試合中のレフェリングについては、ビデオ判定や追加副審の導入など、さまざまな議論が始まっているが、筆者は試合後の対応でも、大いに状況を改善できる点があるのではないかと期待している。

サッカーライター

1979年12月1日生まれ、岐阜県下呂市出身。プレーヤー目線で試合を切り取るサッカーライター。新著『サッカー観戦力 プロでも見落とすワンランク上の視点』『サッカーは監督で決まる リーダーたちの統率術』。既刊は「サッカーDF&GK練習メニュー100」「居酒屋サッカー論」など。現在も週に1回はボールを蹴っており、海外取材に出かけた際には現地の人たちとサッカーを通じて触れ合うのが最大の楽しみとなっている。

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