高校野球 史上初、東西東京の東京ドーム決戦を楽しみたい
知ってました? 第103回全国高校野球選手権、つまりこの夏の東西東京大会は、準決勝以降が東京ドームでの開催となるんです。まあ、高校野球通にとってはジョーシキの範囲内だけど。
東京大会といえば、灼熱の神宮球場というイメージだ。例年、東西東京大会の準々決勝以降が行われる、メイン球場である。人気も高い。たとえば2015年の夏、清宮幸太郎(日本ハム)の早稲田実と東海大菅生の西東京の決勝には、2万8000人もの観客が詰めかけていた。
ところが本来、東京オリンピック・パラリンピックが開催されるはずだった20年、その神宮は7月6日から70日間、来賓の待機場所や資材置き場として使用されることになっていた。当然、時期が丸かぶりする高校野球では使えない。とはいえ都内にはほかに2万人収容規模の球場がなく、代替球場探しが喫緊の課題だった。
そこで、オリンピック開催でプロ野球が中断中の東京ドームが候補として浮上。東京都高野連が打診したところ、読売新聞と株式会社東京ドームの協力が得られ、20年東西東京大会の準決勝・決勝の開催が決まったのだ。
オリンピックが延期となった今年も、それを引き継ぐ。7月31日は西東京の、8月1日には東東京の準決勝2試合を行い、8月2日には東西東京の決勝2試合を行う予定。高校野球の公式試合が東京ドームで行われれば、むろん史上初めてのことだ。
日光をさえぎるドームでの試合なら、選手たちも快適だろう。さらに西東京なら、7月27日の準々決勝から中3日の準決勝、そして中1日で決勝だから、勝ち進んだチームにとっては日程もありがたい。残念なのは、やはりコロナだ。緊急事態宣言中で入場者数も制限されるから、超満員とはほど遠くなるはず。いつか、一杯になった東京ドームで高校野球を見てみたいものだ。
1敗したのに甲子園出場?
ついでに、東京の「知ってました?」をもうひとつ。夏の地方大会は、負けたら終わりのトーナメント一発勝負というのがまた、魅力のひとつだが、東京では一時期、例外があった。神奈川との京浜大会から分離し、単独で代表を送り出すようになった1923年から30年までは、リーグ戦を行い、その1位が代表となったのだ。23〜28年の代表は、7年連続で早稲田実。だがそのうち、25年と27年は、リーグ戦で1敗しながら決勝で勝ち(27年の決勝の相手はなんと、あの麻布です)、甲子園に出場している。
異例なのは、リーグ戦最後の年となった30年。この年の東京は、2つのリーグの勝者で代表決定戦を行うという異常事態に陥ったのだ。
当時大会を主催していたのは東京都中等学校野球連盟だが、新しい参加校を一切認めず、練習試合を行えるのも加盟校同士のみと、なんとも寛容さを欠く運営だった。しかし、野球人気の高まりを受けて各校で創部が相次ぎ、連盟の閉鎖性に対する不満が高まっていく。
そこで29年、攻玉社中と赤坂中(現日大三)が中心となり、新たに東都中等学校野球連盟を設立。また、そもそも東京連盟に加盟していた早稲田実も、秋田県に遠征したことを理由に大会参加を停止されると、東京連盟を飛び出して東都連盟に加わった。
ただしこの29年、東都連盟に属した4校は、東京連盟の大会に出場できていない。第1回の全国大会から出場している早稲田実が、いわゆる皆勤校に数えられないのはこの1年のブランクがあるからだ。
そして2連盟が並立した30年は、両連盟それぞれのリーグ戦を行い、東京連盟10校では慶応普通部(現慶応・神奈川)が、東都連盟6校では早稲田実が優勝。代表決定戦を2対0で勝った慶応普通部が甲子園に出場している。31年には、両連盟が合併して東京府中等学校野球連盟に。33校に増えた参加校が、トーナメントで代表を争うようになった。
以上、高校野球史のウンチクでした。