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【高校野球】福島県只見町出身の七十七銀行・長谷川選手、父が指揮するセンバツ出場の”教え子”にエール

高橋昌江フリーライター
只見町出身の七十七銀行・長谷川(写真提供:七十七銀行硬式野球部)

 第94回選抜高校野球大会(甲子園)が19日、開幕した。大会4日目の第3試合に登場するのが21世紀枠で選出された福島県の只見。選手13人、マネジャー2人の小さな野球部はたくさんの応援を受けてきた。七十七銀行(宮城県仙台市)の長谷川将樹内野手も気にかけてきた一人だ。只見町の出身で、父・清之さんが只見の監督。帰省するたびにアドバイスを送ってきた“教え子”たちへ、「本当にすごい。自分たちのことを信じて、思い切りのいいプレーをしてほしい」とエールを送る。

■「只見から甲子園って、本当にすごい」

 社会人野球の七十七銀行・長谷川は181cm、95kgの体格を生かしたパワフルな打撃が持ち味で、チームの主軸を担う。城西大から入行し、今年で5年目。生まれ育ったのが、センバツに21世紀枠で出場する只見がある只見町だ。

「本当に嬉しいです。兄が只見の野球部の選手で、姉はマネジャーをしていました。父は監督ですから、ずっと身近な存在で気にしていました。小さい頃は父に連れられて、練習にもよく行っていたんですよ。兄がいた時にベスト16に入りましたが、なかなか勝ち進むことがなくて(苦笑)。本当に、甲子園に行けるというのはすごい。ビックリですね」

 学法石川(福島)で甲子園に出場している父・清之さんは社会人野球を引退後、退社し、地元の只見町へUターン。会社勤めをしながら、2000年からコーチ、03年から監督として只見を指導する。4歳上の兄、3歳上の姉は父のもとで青春時代を過ごした。「只見町から甲子園って、本当にすごい」。家族として喜び、驚いた。

 只見は昨秋の福島県大会で粘り強い戦いを展開し、春夏秋を通じて創部初の8強入りを果たした。学校がある南会津郡只見町は福島県と新潟県の県境に位置し、高速道路の最寄りのインターチェンジまでは約60キロ、車で90分ほどかかる。冬は積雪が3メートルに達する日本有数の豪雪地帯で、11月から降り出す雪が消えるのは5月に入ってからだ。山間の町では過疎化も進み、ダム建設で栄えた1955年前後に13,000人を超えていた人口は現在、4,000人を割っている。

 全校生徒数は84人。30人の3年生が卒業し、1、2年生54人のうち、野球部は選手が13人、女子マネジャーが2人。2002年からは「山村教育留学制度」を導入しており、町外の生徒は町立の宿泊施設で寮生活を送る。野球部も部員15人中、5人が山村留学生だ。練習は、シーズン中は町の野球場で行い、冬場は学校の体育館や校舎1階の自転車置き場など、限られたスペースで地道に腕を磨く。

 センバツの21世紀枠は、秋季都道府県大会のベスト16以上という戦績と、少数部員、施設面のハンディや自然災害など困難な環境の克服、学業と部活動の両立、校内や地域に好影響を与える活動をしていることなどが選考基準になっている。条件を考えると、只見は秋の福島県大会で16強以上の成績を残すことで、県の推薦を得られる可能性が高かった。そして、昨秋、接戦をものにしたり、延長サヨナラ勝ちを収めたりと試合後半に勝負強さを見せて新たな歴史を作ったのだった。

只見町から甲子園へ。只見ナインは郷土の誇りだ(写真提供:七十七銀行硬式野球部)
只見町から甲子園へ。只見ナインは郷土の誇りだ(写真提供:七十七銀行硬式野球部)

■「強くなるんじゃないかなという感じがありましたね」

「あの子たちが甲子園でプレーするのかぁ」

 只見のセンバツ出場が決まった時、長谷川の脳裏には只見ナインの顔が浮かんだ。実家に帰省すると「自分も体を動かさないといけないので」と只見の練習に参加している。ティー打撃では1箱120球を黙々と打ってみせる。今回、センバツに出場する選手たちの前でも披露した。

「1箱を打つのって結構、きつい。ティーバッティングが大事だと口で言っても『打てねぇよ』『疲れるよ』と思うじゃないですか。だから、やればできるんだよ、というのを見せつけました(笑)」

 長谷川が帰省すると、小さな町で噂は広がる。社会人野球の企業チームがない福島県で、ましてや只見町では滅多にお目にかかれない、現役の社会人選手。保護者や町民が両翼90メートル、中堅115メートルの町下球場に集まり、「社会人の力を見せてくれよ!」の声に柵越えをして応える。部員数が少ないため、兄や近年のOBを相手に行う“紅白戦”では投手として対決。アドバイスも送ってきた。

「今回、センバツに出る子たちはめちゃくちゃ真剣に話を聞いてくれて、実際にやってくれていました。『聞きたいことがあれば、聞いてね』と言っても、なかなか聞きに来ないじゃないですか。それが、『あの、すみません、いいですか』って。真面目で素直だし、そういう取り組む姿勢を見て、強くなるんじゃないかなという感じがありましたね。美好食堂の子を中心に結構、聞いてきてくれて、教えがいがあるというか。また教えたいなと感じました」

 長谷川の言う「美好食堂の子」は、秋の公式戦全4試合に先発した酒井悠来(新3年)のことだ。

「まだ(酒井悠が)小さい頃、美好食堂に食べに行くと手伝いをしていて。片付けをしたり、テーブルを拭いたり、すごく気が利く子だなと思っていたんです。その子が只見の野球部にいて、もう、そんな年なのかって思ったんですよね(笑)」

 ちなみに、酒井悠のオススメメニューは会津名物のソースカツ丼。長谷川選手の好きなメニューは? 「ソースカツ丼です(笑)」

只見ナインの前で実際にティー打撃を披露。柵越えする打球も打ってみせた(写真提供:七十七銀行硬式野球部)
只見ナインの前で実際にティー打撃を披露。柵越えする打球も打ってみせた(写真提供:七十七銀行硬式野球部)

■父・清之監督はアウトドアのプロ!?

 手付かずの自然が残り、2007年から「自然首都・只見」を宣言、2014年にはユネスコエコパークに登録された只見町。この自然豊かな町で長谷川は1995年8月10日、3人きょうだいの末っ子として生まれた。スポーツ一家で、「遊びはキャッチボールから」。ただ、「四番・投手」で甲子園を経験し、社会人野球・住友金属鹿島でも4年間プレーした父・清之さんから野球を教わったことはなく、川での印象が強い。

「きょうだい3人と父で川に行くと、『お前ら、そこで待ってろ』と言ったまま、父は山の上へ。しばらくすると、でっかい魚を獲って戻ってくるんです。釣り竿もモリも持たずに手ぶらで行って、ですよ。『え? どうやって獲ったの?』『つかんできたんだ』って(笑)。父はアウトドアのプロみたいな感じで、遊びの知恵を学びました」

 只見町は町内3つの小学校それぞれにスポーツ少年団のソフトボールチームがある。長谷川も兄、姉に続いて入団したが、やはり、技術を教わることなかった。だから、グラウンドで選手を指導する父の様子を見て、「教えられるんだ。なんで、僕には教えてくれないんだろう」と思っていた。その答えは今も聞いたことはない。

 只見中の軟式野球部では1学年上にポテンシャルの高い選手がそろっており、県レベルの大会で優勝することもあった。「みんなで只見に入れば、結構、強いチームになったと思います」。だが、先輩たちは県内外の強豪校で力試しをする選択をした。

 長谷川は兄、姉が只見に進み、野球部に入っていたため、「只見でやりたいなと、ずっと思っていた」という。兄が2年生エースだった2008年夏の福島大会で初の16強入りする姿も見ていた。だが、先輩たちの選択によって向上心に火がつき、父の母校である古豪・学法石川を選んだ。目標は、只見中の先輩が進学していた聖光学院を倒すこと。長谷川が中学3年の時点で福島大会を4連覇していた。

豊かな自然環境の中で育ち、魚をつかみ捕りしてきたワイルドな父の姿には驚いた(写真提供:七十七銀行硬式野球部)
豊かな自然環境の中で育ち、魚をつかみ捕りしてきたワイルドな父の姿には驚いた(写真提供:七十七銀行硬式野球部)

■万雷の拍手を浴びた場外弾

 只見町から約140キロ離れた石川町の学法石川で高校野球に打ち込むため、15歳で故郷を離れた。その時、初めて父・清之さんの野球選手としての偉大さを知る。石川町内で年配者から「お、野球部か。名前は何ていうんだ」と声をかけられ、「只見町出身の長谷川です」と答えると、「おめぇが。お前の親父、すごがったんだぞ。叔父さん(達栄さん、学法石川→日本ハム)もプロに行って、すごがったんだぞ」と言われた。

 石川町民にとって、春3回、夏9回の甲子園出場がある学法石川は誇りであり、自慢。おそらく、1984年夏の甲子園に出場した時のエースで四番だった「長谷川の息子」の入部は噂になっていたのだろう。只見とは毎年、練習試合で対戦していたが、公式戦で顔を合わせることはなかった。「親子対決」が実現したのは、四番を打ち、三塁のレギュラーを獲得した3年夏だった。

 2013年の福島大会。学法石川と只見は互いに勝ち進めば3回戦で対戦する組み合わせになった。学法石川は初戦の硬さがありながらも、2回戦を7回コールド勝ち。翌日、只見も8回コールド勝ちで駒を進めてきた。「親子対決」を前に、伊東美明監督(当時、現部長)からは「いいところを見せようとか、意識するなよ」と声をかけられたが、「練習試合もやっていたので、特別な意識はなかった」と長谷川。甲子園に通じる一戦として臨んだが、結果的に「いいところ」を見せることになる。

 初回、1死三塁で1打席目が回ってきた。カウント1-1からの3球目、変化球が外に外れてボールになったが、「これが中に入ってきたら反応して打てるな」と感じた。好調で最後の夏を迎え、打席で集中できていた。2ボール1ストライクからの4球目、その通り、真ん中よりに入ってきた変化球を仕留めた。完璧にとらえた打球は、両翼100メートル、中堅122メートルの天狗山球場の場外へと消えていった。うわ、打っちゃった――。ベースを踏むたびに守る只見の選手からは「ナイスバッティング」「やべーな」と声をかけられた。

「打席に入っている時、もう周りが、みんな笑っているんですよ。キャッチャーなんて打席に入る時、『お願いします♪』みたいな(笑)。ファースト、サード、外野3人は中学まで一緒で、幼馴染もいて。セカンドとショートは選抜チームのチームメイト。だから、知らないやつはいないんです。しかも、只見は全校応援でスタンドの生徒も観客も知っている顔がいっぱい。『え、あの人も来てるじゃん』みたいな。だから、父というより、そっちの方が気になったかもしれません」

 そんな状況だから、学法石川の三塁側はもちろん、気づけば只見の一塁側からも拍手を浴びてダイヤモンドを一周した。試合は4-0で学法石川が勝利。1時間38分で決着した後、球場の外で只見ナインと記念写真に収まった。「甲子園、頼むぞ」と託されて――。

 4回戦でも長打力を発揮し、7回コールド勝ちで突破。7連覇に挑む王者・聖光学院との準々決勝を迎えた。前年の決勝では2-14と大敗しており、1回表で3点を失った時はコールド負けをするのではないかと思った。ところが、小雨が降る中、相手の守備も乱れる。1回裏、2死三塁で長谷川はスライダーにバットを振り抜いた。「フェンスの手前かな」と手応えがなかった打球はスタンドイン。2-3とした。2回表に1点を加えられたが、その裏に6点を奪い、4点差をつけた。ところが、その後に失点。9-9で5回を終え、7回に失策でホームインを許し、万事休す。両校合わせて24安打の乱打戦の末、9-10で敗れたのだった。

高校3年の夏、只見との試合では場外弾を放った(写真提供:七十七銀行硬式野球部)
高校3年の夏、只見との試合では場外弾を放った(写真提供:七十七銀行硬式野球部)

■「俺を超えたな」

 甲子園には一度もたどり着くことなく、高校野球を引退した。プロを目指して城西大に進学するも、徐々に現実が見えてきた。社会人野球で硬式野球を継続することを望み、2018年、七十七銀行に入行。1年目に出場した都市対抗は自身初の全国舞台で、父・清之さんら家族が応援に駆けつけてくれた。三菱重工神戸・高砂との初戦。長谷川は初回の1死二塁でライトフェンス直撃の適時二塁打を放った。

「その時、関東に就職した(只見町の)同級生たちも観にきてくれていたんです。只見高校で父の指導を受けていた友達が、父の後ろから自分の打席を動画で撮影してくれていました。試合後にLINEを開いたらその動画と〈監督さん、めちゃくちゃ喜んでいたよ〉というメッセージが届いていました。その子からしたら僕の父が“監督さん”なので(笑)」

 1-6で敗れた試合後、送られてきた動画を再生。そこに、喜ぶ父の姿も映り込んでいた。「え、こんなに喜んでいるところ、初めてみた」と、心が震えた。実は、都市対抗出場を決めた時点で、清之さんからは「すごいな、よくやったな。俺を超えたな」と言われていた。清之さんは住友金属鹿島で4年間、プレーしたが、都市対抗には出場できなかったからだ。

「その時、『やっと勝ったわ』と思ったんですよ、親父に対して。僕は甲子園に行けなかったので。都市対抗って、社会人野球の甲子園のようなものじゃないですか。でも、結局、親父はまた甲子園の土を踏むんだなって。これでまた1つ、抜かれたなった感じですね」

 高校球児として甲子園のマウンドに上がった父は、故郷の高校を20年以上指導し、今度は監督として聖地で指揮する。父の球歴にはない都市対抗や日本選手権への出場を果たし、「やっと勝った」と思ったのに、オヤジの背中はやっぱり、遠い。

3年ぶりの都市対抗出場で只見との”ダブル全国出場”を果たしたい(写真提供:七十七銀行硬式野球部)
3年ぶりの都市対抗出場で只見との”ダブル全国出場”を果たしたい(写真提供:七十七銀行硬式野球部)

■「そしたら、親父が贅沢になりますね(笑)」

 只見町の冬は容赦がなく、今年も積雪は3メートルを超えた。清之さんは冬の間、除雪作業の仕事を請け負っている。午前2時頃から作業をするため、その前に自宅を出発する。「朝、行くのが大変だと思いますよ。平気で60センチとか積もっていますから」。除雪作業の前に、雪は除けられていない。誰かを支え、誰かに支えられ、人々の平穏な生活はまわっている。

 真っ白な雪が静まり返った山々に降り掛かり、墨絵のような景色が続く只見町。春は例年、4万ヘクタールのブナの天然林が緑鮮やかに芽吹く4月下旬からはじまるが、今年の“春”は早い。只見は大会4日目の第3試合、東海大会4強の大垣日大と対戦する。

「ちょっと不安はありますが(笑)、本当に楽しみです。教えた子たちがどう活躍…、活躍しなくても楽しんでほしい、という思いが一番です。なんか、父のことよりも、あの子たちを教えたことがあるので、『よくやったな』という気持ちの方が強くて。父には『俺も教えたかんね!』って感じです(笑)」

 故郷に帰るたびに”臨時コーチ”として携わってきた。高校球児として甲子園に縁はなかったが、巡り巡って、聖地との球縁がかすかに結ばれた。

 シーズンがはじまり、甲子園球場へ応援には行けない。只見ナインの勇姿と父の采配は宮城からテレビで見届ける予定だ。

「高校野球なので、本当に何があるか分からないじゃないですか。なので、9回までしっかりと、自分たちの野球をやってほしいですね。僕はもう、甲子園の土を踏めないと思うので、本当に羨ましい。自分たちのことを信じて、思い切りのいいプレーをしてほしいですね」

 自身は3年ぶりの都市対抗出場を目指し、バットを振っている。厳しい戦いを勝ち抜き、只見とダブルで全国舞台に立ちたいところだ。「そしたら、親父が贅沢になりますね(笑)」。贅沢を味わわせてあげれば、いいじゃないか。

フリーライター

1987年3月7日生まれ。宮城県栗原市(旧若柳町)出身。大学卒業後、仙台市在住のフリーライターとなり、東北地方のベースボール型競技(野球・ソフトボール)を中心にスポーツを取材。専門誌やWebサイト、地域スポーツ誌などに寄稿している。中学、高校、大学とソフトボール部に所属。大学では2度のインカレ優勝を経験し、ベンチ外で日本一を目指す過程を体験したことが原点。大学3年から新聞部と兼部し、学生記者として取材経験も積んだ。ポジションは捕手。右投右打。

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